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「この絵、いいなと思って。色が、とてもよかった」
「日本版のミュージカルもとてもおもしろかったんですが、タイトルの付け方がユニークだと思って。原題は『Dirty Rotten Scoundrels』(編集部注:ひどく下劣な悪党)で、全然違う。そして、ペテン師も詐欺師も、意味は一緒。なかなかしゃれたタイトルですよね。そこで僕も、『だましだまされ』がおもしろい構図のミステリーを書けないかな、と思ったのが、今作の出発点です」
「6年も経ってしまいましたか」
「150ページほど書いたのですが、どうもうまくいかなかったので、残念ながらボツにして、半沢を主人公に一から書き直しました」
新作「半沢直樹」のストーリーは?
作中では、経営難の美術専門出版社「仙波工藝社」をめぐる買収計画が描かれる。創業100年近い老舗とはいえ2億円の借り入れがままならない赤字出版社に、破格の買収価格を提示する買い手企業が現れるのだ。
「持っている情報量が違うために、当事者によって妥当な価格が変わってくるわけです。持っている情報によってモノの価値が変わって見えるともいえます。企業の株価が典型ですよね。会社の中で何が起きているか、外からはうかがい知れません。記者会見や報道発表文で会社から情報が出てきて初めて、何が起きていたかを知るわけです。もしも発表より先に知っていれば、事前に売り買いする人が出てきますよね」
「ある企業に持ち込まれた実話をもとに組み立ててみました。情報がモノの価値を左右し、だましだまされる。そんなことが日常生活のいろいろな場面で実際に起こっています」
「今回は本の後ろに、執筆に協力してくれた3人の名前を載せました。このうち2人は友人です(日仏通訳・翻訳家の友重山桃《ともしげゆら》さん、アドバンストアイ株式会社の岡本行生さん)。初めてお会いして取材したのは、東京国立近代美術館主任研究員の保坂健二朗さんだけ。作品はリアルに読んでもらえると思いますが、実際には現実と少し違う部分もあるでしょう」
「よく誤解されるんですが、銀行に対して特別な感情をもって書いているわけではありません。好きだから良く書くわけでも、嫌いだから悪く書くわけでもありません。エンターテインメント作品ですから」
SNSのバッシングに思うこと
『アルルカンと道化師』では、銀行に加えて絵画の世界が舞台になる。絵画では、他人の絵に似た作品を描いたからといって作品の価値が否定されるわけでないことを知り、興味を持ったという。
「模倣と盗作、剽窃(ひょうせつ)は紙一重。そこを分け隔てるのはどうも、『真似するほう』と『されるほう』の人間関係のようです。日本の画壇でかつて権威ある賞を取った画家がいて、受賞後に海外の画家からクレームが入り、賞を取り消されたことがあります。両者の関係がちゃんと成立していなかったために問題化したのですが、もし両者の間で作品を模倣することに了解があった場合は?評価が難しくなりますよね」
「批判は結構ですけども。ただ、本名でやりませんか」
「この状況は変わらないと思います。インターネット上のアカウントを一人に一つ割り当てて、書き込みと投稿者をひも付けるという策も、現実的ではないでしょう。発信する側が発言に気を付けるしかありません」
「プロの書き手なら、しかるべき媒体で自分の主義主張を展開すればいいと考えているから。なぜ作家がタダで書いた文章で炎上しているのか、不思議で仕方ありません。職業作家として文章を生業(なりわい)とするなら、正攻法で世に問うべきでしょう」
エンタメにはわかりやすさが重要
「エンターテインメントはわかりやすさが重要です。読んだだけで、登場人物の表情や風景がすぐに思い浮かぶような作品になるよう、常に心がけています。その点、『半沢直樹』シリーズは読者がドラマのイメージで脳内変換してくれるから、書きやすくなりました」
「万人が楽しめる作品をつくりたいと思って書いているので、意識して形容詞を省いています。意味がわかりづらい横文字やカタカナ語も、極力使いません。小学生から80代のお年寄りまでいる、幅広い読者のためです」
※AERA増刊『AERA Money 今さら聞けない投資信託の基本』より一部抜粋
池井戸 潤(いけいど・じゅん)/作家。1963年、岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒業。1998年『果つる底なき』で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。2010年『鉄の骨』で吉川英治文学新人賞、2011年『下町ロケット』で直木賞を受賞。主な著書に「半沢直樹」シリーズ、「下町ロケット」シリーズ、「花咲舞」シリーズ、『空飛ぶタイヤ』『ルーズヴェルト・ゲーム』『七つの会議』『陸王』『民王』『アキラとあきら』『ノーサイド・ゲーム』など
(構成/大場宏明、編集部・中島晶子、伊藤忍)