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星浩:長野さんが今回の大統領選挙をどんな風に見ていたかを、まず聞いてみたいですね。
長野智子:今までの米国の政治には、振り子の原理が働いていましたよね。どちらかに傾くと必ず揺り戻しがある。それが今回、真ん中に戻ったことが印象的でした。つまり、民主党のオバマという初めての黒人大統領の後、共和党のトランプというトリックスターみたいな大統領が誕生する、という振り子が振れたわけですよね。それが再び反対の極に振り戻されるのではなく、バイデンという真ん中になった。バイデンのことを、みんなboring but healingって言うじゃないですか。つまり、民主党の左派からしてみれば保守だと言われ、トランプ大統領からは社会主義者と言われるような人。黒か白かはっきりしないと愉快がられない時代に、つまらないと言われるグレーな存在に落ち着いたのが、トランプショックのインパクトを象徴しているなあと。星さんは?
星:私は4年前、トランプとヒラリー・クリントンの大統領選挙の取材に行ったんですが、そのとき何回か見通しを誤ったんですね。まず、米国がまさかトランプを選ぶことはないだろうと思っていたらトランプが当選した。次は、共和党にはパウエル(元国務長官)やマケイン(重鎮の上院議員)などの穏健派もいて、トランプの横暴を許さないだろうと思っていたら、あれよという間に共和党がトランプに席巻されてしまった。
長野:トランプも大統領になったら少しは変わるかも、ってみんな思ってたんですよね。ところが変わらなかった。
星:本当に(苦笑)。それで、今回はさすがに揺り戻しでバイデンが勝つだろうなと思っていて、ようやく見通し通りの結果になったんです。この経験を通して考えてみると、米国でグローバル化の恩恵を受けているのは実は西海岸と東海岸だけなんですね。中西部はむしろその影の部分になって、そこに住む人々が、ある意味でトランプに託したという側面があった。そこが、メディアが描ききれていなかった部分だろうなという気がしています。とはいえ、米国の民主主義には復元力もある。今回、最後の最後はトランプにNOを突きつけた。
●第2のトランプへの期待
長野:トランプみたいな大統領が生まれたのは、いわゆるベテラン政治家が築き上げてきたものを壊せるのはこの人しかいない、全部壊して組み立て直してほしい、という期待もあってのことだったと思うんです。でも、トランプはエスタブリッシュメントに独占された政治のみならず、いわゆるポリティカルコレクトネスという倫理観も破壊し続けた。今回の選挙では、トランプが壊して組み立ててくれるかなって期待していた人たちが「これは無理だ」「このままでは本当に何もかも壊されてしまう」と考えたから、少し揺り戻しがあったんでしょうね。ところで、トランプの敗因はコロナ対策の失敗だという見方がありますね。私は抵抗があるんですけど、星さんはいかがですか?
星:結果的に感染者数と死亡者数が増えたのは間違いないけれど、米国人からすると、誰がやってもおそらくこんなものだろうという思いがあるでしょう。むしろ規制を強めるバイデンの手法に対して警戒している人が、半分くらいはいますよね。
長野:そうですね。私がいちばん驚いたのは、フロリダとかオハイオでした。いわゆるエッセンシャルワーカー、カラード(有色人種)の人々が、意外にも、人種差別的な発言を繰り返すトランプに入れていた。ロックダウンしたら生きていけない人たちが相当数いたっていうことなんですよね。
星:特にフロリダは、これ以上規制が続くとやっていられないという観光業関連の人々がトランプに流れましたね。
長野:だから、単なるコロナ対策の失敗では表現しきれない。
星:やっぱり、人種問題が大きかったんだと思うんですよ。人種問題はそれほどきれいごとでは片付けられないかもしれないけれど、(黒人への差別反対を訴える)「ブラック・ライブズ・マター」が噴出して、「これはまずい」と思い始めた人が多かったのではないかと。だから、初の有色女性副大統領になるカマラ・ハリスの存在が、最後の決め手だったと思うんですよね。
ただ、いま米国のメディアは、「バイデンは米国の良心だ」って言っているけれど、しばらくすると、「なんかちょっと政治が退屈になったね」っていう話になるんじゃないかと危惧しています。「トランプのときは毎日いろんな発言があって面白かったし、視聴率も取れたよね」と考えたメディアが、「第2のトランプが出てこないかな」って話になるんじゃないかという危惧がある。
長野:第2のトランプへの期待もそうですし、トランプ自身も居続けますよね。昔と違ってSNSがあるわけで、トランプはおそらくツイッターを通して発信し続けるかと。不満はあっても良識的に抑え込まれていた差別問題などが、リーダーであるトランプが進んで差別的な発言をすることで、「言ってもいいんだ」という空気になってしまった。トランプが開けてしまったパンドラの箱の、影のリーダーみたいに存在していくことで、米国の不安定要素は続くのではと思います。
星:そうですね、いずれにしてもトランプ的な価値観は残るでしょうね。常識や理性を大切にするオバマが守旧派みたいな扱いになって、タブー視されてきたことをひっくり返すトランプが改革派という、倒錯した位置関係になってしまっている。
長野:今回の選挙で、良識的な価値観に揺り戻されたと思うんですけど……、星さんはそれを正しいと思われていますよね?
星:ええ、世界標準の価値観に戻ったことは確かでしょう。
長野:私はもはや、それが本当に正しいのかどうかわからなくなってしまったんです。トランプが壊した米国のエスタブリッシュメントにだって問題はあったわけで、それを壊したことが「ネガティブ」という感覚でいていいのかなっていう思いがある。私は絶対に良識派が好きなはずなのに、どこかモヤってしまう感情が自分のなかに新しく生まれたんです。
星:トランプ的政治はまずいという気持ちは、相当数生まれたんじゃないかな?
長野:相当数、いますか? 意外と共感してもらえないんですよ。友だちにモヤってるって言うと、「大丈夫!?」って心配される。
星:それは、長野さんのほうが感受性が高いんじゃない?
長野 このモヤりをどうしていいかわからない、なう、みたいな感じです(笑)。
●名物記者がいなくなる
星:さっきの、トランプっていう嫌われ者がいなくなったとき、メディアが耐えられるかっていう話だけど。
長野:私、2000年から5回にわたって大統領選を取材してきたんですが、4年前までずっと、「日本の人、もっと興味持ってよ!」っていうくらい、数字が……視聴率が伸びなかったんです。でも今年は、びっくりするくらいメディアで取り上げられた。あれはやっぱりトランプが「おいしい」から、数字を持っているからですよね。
星:トランプは絵が強いから、もっと使いましょうとか、そういう声はもちろんありました。だけど、トランプと外交とか社会保障とかの話をしようとなると意外とボツをくらう。要はトランプを絵物として使っているわけです。一方で、バイデンの環境対策や財政再建の話では、まったく絵にならない。カマラ・ハリスだって毎日は演説してくれませんから、米国のメディアがそのうち「これじゃつまらないな」と考え出して、政治に変な影響を与えるんじゃないかと心配なんです。
長野:いま大手メディアがSNSに叩かれてるのはその点なんでしょうね。でもそれは、細かい政策を取り上げても数字が取れないからでしょう? テレビは、やりたくないとか、やらなくていいと思っているわけじゃないんです。テレビは数字のあるものをやるんですよ。ね?
星:そうですね(苦笑)。
長野:極端な話、政策を取り上げて数字があがるなら、テレビは政策ばかりやると思うんです。そういうところありますよね?
星:あります、あります。
長野:ただ、今のままだと、「大事なことをメディアはまったく報道しない」って叩かれる。ものすごく難しいですよね。究極的には、「テレビは数字が取れなくても良心として報道をやります」と言えるのか?っていう問いかけになります。
星:私の経験では、1980~90年代までは、テレビにも報道一筋の記者がいたんです。いつのまにかそういう記者が減ったのはどうしてかと周囲に聞いたら、テレビがメジャーなメディアになって、番組をたくさん作るようになったのが原因だと言うんですよ。オールマイティーに薄く広く手掛ける「なんでも屋」がいっぱい生まれた結果、その道一筋の名物記者がいなくなってしまった。
長野:人手不足ってことなんですね。
星:質量ともにね。
長野:もうひとつ、長年現場にいた私の感覚で言うと、10分以上の特集ができなくなりました。私は「ザ・スクープ」という番組を長年担当してきましたけど、昔は90分のVTRをひとりで作れる記者がいたんです。それが、時間や予算がかかっているのに数字が取れないというので、検証番組ができなくなってきちゃった。同時に、SNSが登場したことによって、ツイッターみたいにテンポよく情報を短くつなぐものにみんなが慣れてしまったから、集中力が90分も続かない。すると、1本の特集の時間がどんどん短くなって、長い番組をちゃんと取材してまとめられるディレクターも育たなくなってきた。さっき星さんがいったように、なんでも屋になってしまうこととの、悪い意味での相乗効果ですよね。
(文中一部敬称略)
(構成/編集部・伏見美雪)
※AERA 2020年12月7日号に加筆