近年、ヨーロッパ王室では、民間出身のプリンセスが続々登場しています。その裏には、恋愛結婚を選んだが故に越えなければならなかったハードルもたくさん。現代のシンデレラ・ストーリーともいえる、とりわけドラマティックな愛の物語をご紹介。
ノルウェー/メッテ=マリット皇太子妃は元彼が逮捕歴のあるシングルマザーだった
挙式3日前、世論を変えた涙の会見
2001年8月25日、結婚式を終えて王宮のバルコニーから手を振るホーコン・マグヌス皇太子とメッテ=マリット皇太子妃。その側にはタキシードを着た4歳の男の子がいました。メッテ=マリット妃が未婚で産んだ息子マリウスです。ノルウェーの中流階級の家に生まれた彼女は高校卒業後、ドラッグの行き交うパーティに通うようになり、麻薬所持で逮捕歴のある男性と交際。マリウス君を出産しシングルマザーとなったのです。
そしてウエイトレスなどで生計を立てながらオスロ大学に通ううち、ロックコンサートで出会い、交際を始めたのがノルウェーの皇太子だったのです。しかし、ドラッグ疑惑もある未婚の母の彼女は皇太子妃候補として前代未聞。国民から「王室にふさわしくない」と声が高まり、大人気だった王室の支持率も急降下してしまうのですが、そんな2人の強い味方となったのが皇太子の父、ハラルド国王。自身の結婚の際も、ソニア王妃が民間出身であることが障害となり、6年以上かけて議会を説得した経験があったのです。
さらに世論が大きく変わったのが、挙式3日前に2人で臨んだ会見。涙をこぼし誠実に反省の言葉を語る彼女に対して国民の親愛は増す一方。たくさんの祝福に包まれながらお城に迎えられた現代のシンデレラは、その後皇太子との間に王女と王子ももうけ、マリウス君も加えた5人で幸せな家庭を築き上げています。
結婚式3日前の会見。泣きながら告白する妃の手をずっと握り励ましていた皇太子。結婚式でも「今まで一度もあなたを愛したように人を愛したことがない」と力強く誓う、頼もしい男性。
オランダ/マキシマ女王の愛するパパは軍事政権の閣僚だった
笑顔のプリンセスが挙式で流した涙
アルゼンチン出身のマキシマがウィレム・アレキサンダー皇太子と出会ったのはセビリアの春祭り。彼女の明るさに惹かれた皇太子は、銀行員としてニューヨークで暮らす彼女に電話をかけ続け、交際が始まります。
しかし、未来のオランダ国王との結婚には大きな障害が2つありました。1つは、王室はプロテスタントで彼女はカトリックという宗教の違いですが、それ以上の問題が、彼女の父が1970年代、大量虐殺を行ったアルゼンチンの独裁的軍事政権下で大臣を務めていたこと。人権擁護意識の高いオランダでは大きな問題でした。彼女を巡って世論が沸騰、強硬な結婚反対論も多かったそう。
そんななか人権問題やオランダの歴史、言葉など熱心に勉強するマキシマの真摯な姿勢が女王や首相に認められ、父親が虐殺に関与していないことも判明。結婚式に父親は出席しないという条件で議会の承認を得られると、婚約期間中、皇太子と共に全国を回る彼女はどこへ行っても大歓迎される人気者に。
そして迎えた結婚式当日。笑顔のたえない挙式の途中、妃の瞳から大粒の涙がこぼれる瞬間がありました。それはアルゼンチンの作曲家ピアソラのタンゴ「さよなら、お父さん」が流れたとき。出席できない父を偲ぶ、皇太子の思いやりに満ちた計らいでした。2人の間には3人の可愛い王女が生まれ、そして皇太子は2013年に国王へ。かつて〝独裁者の娘〞と結婚を反対された女性は今、オランダ王室の太陽として輝いています。
婚約会見で、心からの気持ちを率直に、しかも難しいオランダ語を流暢に操って語りかけるマキシマのスピーチが国民の心を打った。ラテン気質の妃とお祭り好きな皇太子と、明るい2人。