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ラグビーの町にやってくるW杯、復興へ向かう釜石の"船出"

2018年9月25日 13:00 LINE NEWS編集部

2018年8月19日、岩手県釜石市鵜住居。

6530人の大観衆、そして無数の大漁旗が、スタンドを埋めている。

その中央、真新しいピッチに一人、セーラー服姿の少女が立っていた。

釜石高校2年、洞口留伊さん。マイクの前で、ゆっくりと語り出す。

「わたしは、釜石が好きだ。海と山に囲まれた、自然豊かな町だから」


来る2019年のラグビーワールドカップ(W杯)日本大会に向け、この日、こけら落としを迎えた「釜石鵜住居復興スタジアム」。

スタジアムは、その自然豊かな釜石の町に溶け込んでいる。

そして、「羽ばたき」「船出」をテーマにした大屋根が美しい。

津波で流されてしまったJR山田線「鵜住居駅」を始め、スタジアム周辺では今も整備が進んでいる。

震災の爪痕が残る釜石の、新たな船出。

この日、かつて日本選手権7連覇を果たした2チーム、「新日鐵釜石OB」と「神戸製鋼OB」のレジェンドマッチを実施。

また、歌手の平原綾香が釜石東中の生徒と共に合唱を披露した他、EXILEメンバーによるパフォーマンスも行われ、観客を大いに沸かせた。

メインイベントは、地元の「釜石シーウェイブスRFC」とトップリーグに所属する「ヤマハ発動機ジュビロ」の試合。

シーウェイブスが押し込まれる時間帯が続いたものの、大声援を背に追い上げ、格上相手に互角の戦いを見せた。

「7年前の3月11日。小学校3年生だったわたしは、算数の授業を受けていた。防寒着を着て、校舎の5階へ逃げた」


洞口さんはマイクを前に、かみ締めるように当時の状況を回想する。

2011年3月11日、東日本大震災。

このとき、鵜住居小学校の3年生だった。

洞口さんはさらに語る。

「土砂崩れが起きて、もっと高くへ逃げた。後ろを振り返れば、鵜住居を飲み込む津波が見えたかもしれない。けれど、わたしは『とにかく逃げなきゃ』と焦っていた。たまたま通りがかったトラックに乗って、町の体育館へ避難した」


隣接する釜石東中の生徒も合わせ、両校にいた生徒はすぐに避難。

日頃から防災訓練を行っていた生徒たち約570人は、無事に生き延びた。

「釜石の奇跡」と呼ばれた出来事だった。

「1列に並んで2人ずつ分けたおせんべい。コップ1杯の水。そのときの自分の気持ちはうまく思い出せない。数日たっておにぎりを1つ食べたときに、生きていることの喜びをじんわりと感じたことは覚えている」

洞口さんの家族は無事だったが、自宅は全壊。お父さんとも、すぐには会えなかった。

お母さんと3つ下の弟と一緒に過ごし、伝言板で居場所を伝え、ようやく会うことができた。

連絡の取れない友だち。

転々とする避難所生活。

いつまで続くか分からなかった。

この先、どうなるのか想像がつかなかった。

「7年前は、まだまだ復興は見えなかった」

真剣なまなざしでスピーチを聞いていた選手が、ピッチサイドでこうつぶやく。

ヤマハ発動機ジュビロ、五郎丸歩選手。

震災直後、釜石に来ていた選手の一人だ。

「このスタジアムを見て、着実に復興へと進んでいると感じた」

「スタジアムは復興のシンボルとして、みんなの希望や思いを持って建てられている。それを感じるし、W杯への期待も感じられた」

そう言って、感慨深そうに満員のスタジアムを見つめる。

「釜石は町全体がラグビーを愛している。こんな町は日本中探してもここしかない。震災を乗り越えるためにも、釜石でW杯を開催することに意義がある」

釜石での成功、すなわちW杯の成功だと、何度も強調した。

日本開催に懸ける思いも、人一倍強い。

「自国開催が決まってから、代表のみんなが生活を犠牲にしてトレーニングに励んだ。前回大会では、日本のみならず世界のラグビーファンから注目してもらえた。ある程度は満足しているが、本番は来年だ」

日本ラグビー界にとっても、来年は真価が問われる重要な大会になる。

一方で、洞口さんにも五郎丸選手には特別な思い入れがあった。

その理由を、宣言の中で明かす。

「わたしは、ラグビーが好きだ。中学2年生のとき、2015年のラグビーW杯イングランド大会を現地で観戦して、スタジアムの雰囲気とその迫力に圧倒されたから」

"五郎丸ポーズ"が話題になった、前回大会。

洞口さんは、W杯釜石開催支援プロジェクトの一環で、地元のロータリークラブが募集していた「ラグビーW杯イングランド大会への派遣事業」に参加。

五郎丸選手ら日本代表の活躍を現地で観ていた。

強豪・南アフリカに対して、海外メディアが「スポーツ史上最大の番狂わせ」と表現するほどの大逆転劇を演じた大会。

国内外で日本代表が注目される中、スコットランドとの試合を現地で観戦した。

「わたしは、ラグビーが好きだ。試合後、ファン同士が敵味方関係なく握手をし合い、一緒になってゴミ拾いをする姿に感銘を受けたから」


ラグビーで試合終了を意味する「ノーサイド」。

試合が終わったら、敵味方の区別がなくなること。

紳士のスポーツとされるラグビーでは、試合後に互いをたたえ合う。

そんな"ノーサイドの精神"を現地で初めて体感した少女は、ラグビーのとりこになっていた。

「2019年。大好きな釜石の町で、大好きなラグビーの国際大会が行われる。そして、このスタジアムは完成した。そして釜石は、世界とつながる」

W杯はこれまで、オーストラリアや南アフリカ、フランスなどといったラグビー強豪国でしか開催されてこなかった。

日本はもとより、アジアでも初めての開催。

釜石を含めた、全国12都市にやってくる。

かつて名をはせた「新日鐵釜石」の本拠であり、"ラグビーの町"と称される釜石。

2019年。震災から8年たったこの町が、世界中から注目される。

釜石市長は、固く決意した表情で、こう話す。

「震災当時はこんなに立派なスタジアムができるとは思ってもいなかった。支援していただいた世界中の方に、感謝の気持ちを伝えたい」

"復興のシンボル"を構えた釜石の、新たな船出。

「このスタジアムが造られたのは、わたしの小学校があった場所。入学するはずだった中学校があった場所。そして、離れ離れになってしまった友だちと、また会える大切な場所」


「釜石の奇跡」の現場。

それこそが、スタジアムが建てられた場所だ。

もっともっと、ここで友だちと遊べたはずだった。

入学する中学校で、新しい出会いがあるはずだった。

「スタジアムの建設が決まって、小学校が取り壊されるのは、複雑な気持ちでした」

洞口さんは、そう述懐する。

鵜住居にある自宅から、スタジアムが建っていく様子を見ていた洞口さん。

「いざスタジアムが建ってみると、新しい"釜石のシンボル"ができたと思えて、うれしかったです」

声を弾ませて、笑顔で話した。

その場所で来年、旧友と再会する。

日本中、そして世界中の人たちと、出会うことになる。

「スタジアムの完成をきっかけに、スポーツ以外でも、みんなと会えるような場所になったら」

そう言って、目を輝かせた。

「わたしを成長させてくれた」と洞口さんが話す、2015年ラグビーW杯。

イングランドへの渡航がきっかけで、キャビンアテンダントになりたいという夢ができた。

来年の9月25日。そんなW杯が、生まれ育った釜石にやってくる。

「このスタジアムはたくさんの感謝をのせて、今、未来へ向けて出航する」

唯一の新設スタジアムであること、唯一の東北開催であることなどから、釜石での試合は、特に海外からの申し込みが多い。

実力あるフィジーも試合を行う。

洞口さんは今、観戦に来る人たちのために、英語を勉強中だ。

「英語を生かして、海外の方を温かく迎え入れたいです」

W杯でのもてなしが、将来の夢にもつながる。

未来への船出ーー。

洞口さんの視線は、ずっと先へ向かっていた。



(取材・文=加藤貴大、撮影=松本洸)

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