インドネシア高速鉄道の日中受注競争では、中国案が採用された。「中国ではさぞ快哉を叫んでいるに違いない」と想像する向きもあろうが、実は日本に勝ったという高揚感などどこにもない。
中国ではほとんど報道されていない
報道自体、日本のニュース(菅官房長官の苦虫を噛み潰した表情)からの引用に過ぎない。中国側から発信されたのは、テレビでおなじみの、洪磊外交部報道官による、定例記者会見でのコメントだけである。まさにコメントにすぎず、会見記録はわずか2行半ほどだ。新聞の扱いもほんの申し訳程度だった。
外国ニュースの引用で周知するというケースは、中国ではまれなことではない。例えば吉林省延辺朝鮮族自治州では、腹をすかせた越境北朝鮮兵士による強盗殺人事件がたびたび起きている。
こういうとき中国では自らは何も発信されず、韓国ニュースからの引用などであっさり済ませることが多い。国境警備の不備など明らかになるとまずいことは、そっとしておくに限る。
すると今回の新幹線の件も「何か裏があるのでは?」と勘繰りたくなる。それはさておき、洪磊報道官の「われわれには高速鉄道の建設、運営の両面において豊富な経験がある」という発言には、ひっくり返った日本人が多いだろう。
中国高速鉄道の歴史は2007年から始まったばかりにすぎないのだ。ただし、建設の面では彼の言うことにも一理ある。それは建設スピードが列車そのものより高速で、能力が巨大なことだ。
高速鉄道の父、死刑囚・劉志軍
中国共産党と鉄道とのつながりは国共内戦時の兵員輸送から始まる。軍との関係がもともと深い。それを拠りどころにして、軍同様の機密の多いアンタッチャブルな独立王国として存在してきた。その最後の玉座に君臨したのが劉志軍である。
2003年3月から解任される2011年2月まで鉄道部長職にあった。高速鉄道建設計画が動きだしたのは2004年の国務院布告「中国鉄道中長期発展計画」からだ。ここでは2020年までに平均時速200キロ以上の高速鉄道を1万2000キロ以上建設するとされていた。ところが2015年9月末の時点ですでに1万8000キロを突破している。特にこの1年では6700キロも増えている。驚異的なスピードである。
2004年時点に戻ろう。このとき国産技術のみでは計画達成は不可能ということで、入札により外国の技術が導入された。フランス、カナダと日本の川崎重工業 である。これらの技術をつなぎ合わせ「国産」と称したので、技術の整合性を欠いている。それなのに最高速度350キロという見栄にばかりこだわった。
さらに本来、安全運行のために使われるべき経費は、劉志軍を始めとする幹部たちのポケットへと収まる。当然の結果として2008年4月、山東省で乗客72人死亡という大事故が発生した。
ついには執行猶予付き死刑判決まで
ところが劉志軍は引責の危機を乗り越えたばかりか、同年9月のリーマンショックとその対策、緊急財政出動を利用し、さらに高速鉄道建設を加速させる。腐敗もそれに輪をかけて加速した。
劉志軍は2011年2月、ついに解任、逮捕される。同年7月には浙江省・温州市で、再び乗客死者40名を出す大事故が起きた。事故車両を現場付近に穴埋めにした信じられないシーンはまだ記憶に新しい。
この事故対応への批判が決定打となり、2013年3月、とうとう鉄道部は解体の憂き目を見る。同年7月には、劉志軍に対し収賄と職権乱用の罪で執行猶予付き死刑判決が出た。認定された収賄額は6460万元だった。
この件では地方の中核都市にも中央規律検査委員会の捜査が及び、10万元クラスの贈賄者の氏名まで地方紙に公表された。しかし立件されることはなく、見せしめだったようだ。
運行よりも建設重視は変わらず 中国がこっそり提示した破格の条件
鉄道部は解体され、管理部門は交通運輸部の国家鉄路局に、運行部門は中国鉄道総公司に分割され、再スタートを切った。
しかし最初から、これまでの鉄道建設による負債処理は税制面で優遇され、今後の建設に関する新たな起債にも、政府の援助が約束されていた。運行より建設が優位の体質は何ら変わらなかった。もはや誰も鉄道建設という巨大なマシンを止められない。国策としてこのマシンを干上がらせるわけにはいかなくなっている。
国内での鉄道建設余地が狭まる中、海外へ打って出るしか途はない。そしてどうしてもインドネシアを翻意させるべく、破格の条件をこっそり提示した。融資の政府保証を求めないばかりか、鉄道とは関係ない無利子融資までおまけに付けた。
これでは中国ネットでも指摘されたように、受注ではなく経済援助である。それでも今後のアジア展開のシンボルとして、どうしても必要だった。こうした事の真相はあまり国民に深読みされては困る。そこで自らは何も発信せず、そっとしておくことにした。
日本ほど几帳面な運行システムは不要だった?
安全面から見れば、50年間乗客死者を出したことのない日本の新幹線と、すでに3桁の犠牲者を出している中国とでは最初から比較にならない。それはインドネシアもよく理解しているだろう。
ただ日本ほど几帳面な運行システムは必要ない、とは考えていたかもしれない。とにかく中国の鉄道建設マシンは、国民に知られないよう新たに別の土俵を作ってまで仕事を確保した。中国の鉄道業界は再びアンタッチャブルなブラックボックスに逆戻りしているようにも見える。(高野悠介、中国在住の貿易コンサルタント)