■人類はトウモロコシに操られている?
日本人にとってもごく普通の植物である「トウモロコシ」だが、実は植物の中でも非常にユニークな特徴を数多く持っており、「宇宙からやってきた植物」とすら言われることがあるという。さらに、我々は知らず知らずのうちに、トウモロコシに大きな影響を受けているという。そんなトウモロコシの秘密を『世界史を大きく動かした植物』の著者である植物学者の稲垣栄洋氏に紐解いてもらった。
■「宇宙からやってきた植物」
トウモロコシは宇宙からやってきた植物であるという都市伝説がある。
本当だろうか。
まさか、そんなことはないだろう。そう思うかも知れないが、トウモロコシはじつに不思議な植物である。
なにしろトウモロコシには明確な祖先種である野生植物がない。たとえば私たちが食べるイネには、祖先となった野生のイネがある。また、コムギは直接の祖先があったわけではないが、コムギの元となったとされるタルホコムギやエンマコムギという植物が明らかになっている。ところがトウモロコシは、どのようにして生まれたのか、まったく謎に満ちているのである。
トウモロコシは中米原産の作物である。祖先種なのではないかと考えられている植物には、テオシントと呼ばれる植物がある。しかし、テオシントの見た目はトウモロコシとは異なる。さらに、仮にテオシントが起源種であったとしても、テオシントにも近縁の植物はないのだ。
トウモロコシはイネ科の植物と言われるが、ずいぶんと変わっている。
一般的に植物は、一つの花の中に雄しべと雌しべがある。イネやコムギなどイネ科の多くは、一つの花の中に雄しべと雌しべがある両性花である。ところが、トウモロコシは茎の先端に雄花が咲く。そして、茎の中ほどに雌花ができる。雌花もずいぶんと変わっていて、絹糸という長い糸を大量に伸ばしている。この絹糸で花粉をキャッチしようとしているのである。
■「種」を落とそうとしない不思議な植物
この雌花の部分が、私たちが食べるトウモロコシになる部分である。私たちがトウモロコシを食べるときに皮を?いて食べる。皮を?くと中から黄色いトウモロコシの粒が現れる。このトウモロコシの粒は、種子である。
当たり前のように思えるが、考えてみるとこれも不思議である。
植物は種子を散布するために、さまざまな工夫を凝らしている。たとえばタンポポは綿毛で種子を飛ばすし、オナモミは人の衣服に種子をくっつける。ところが、トウモロコシは、散布しなければならない種子を皮で包んでいるのだ。
皮に包まれていては種子を落とすことはできない。さらには皮を巻いて黄色い粒をむき出しにしておいても、種子は落ちることがない。種子を落とすことができなければ、植物は子孫を残すことができない。つまり、トウモロコシは人間の助けなしには育つことができないのだ。まるで家畜のような植物だ。
初めから作物として食べられるために作られたかのような植物――それがトウモロコシである。そのため、宇宙人が古代人の食糧としてトウモロコシを授けたのではないかと噂されているのである。
トウモロコシが宇宙から来た植物かどうかは定かではないが、植物学者たちはこの得体の知れない植物であるトウモロコシを「怪物」と呼んでいる。
■マヤの伝説では「人間はトウモロコシから生まれた」
人類の文明には、それを支えた作物がある。黄河文明にはダイズがあり、インダス文明や長江文明にはイネがある。そして、地中海沿岸のメソポタミア文明、エジプト文明にはムギ類があり、南米のインカ文明にはジャガイモがある。
文明があったから作物が発達したのか、優れた作物が文明の発達を支えたのかはわからないが、いずれにしても、世界の文明の起源は、作物の存在と深く関係しているのである。
トウモロコシの起源地とされる中米に存在したのが、アステカ文明やマヤ文明である。
アステカ文明やマヤ文明では、トウモロコシは重要な作物であったとされている。
マヤの伝説では、人間はトウモロコシから作られたとされている。人間がトウモロコシを創り出したのではなく、人間の方が後なのだ。
伝説では、神々がトウモロコシを練って、人間を創造したと言われている。日本ではあまり見られないが、トウモロコシには黄色や白だけでなく、紫色や黒色、橙色などさまざまな色がある。そのため、トウモロコシから作られた人間もさまざまな肌の色を持っているのだという。
グローバル化した現代であれば、世界には白人や黒人、黄色人種など、肌の色の違う人々がいることを知っている。
しかし、肌の白いスペイン人が中南米にやってきたのは、コロンブスがアメリカ大陸を発見した15世紀以降のことである。そして、アフリカから黒人たちがアメリカ大陸へ連れてこられたのは17世紀以降のことである。マヤの人々はどうして世界中にさまざまな肌の色の人間がいることを知っていたのだろうか。本当に不思議である。
■あの織田信長も愛した
アメリカ大陸の先住民の食糧として広く栽培されていたトウモロコシは、コロンブスの最初の航海によってヨーロッパに持ち込まれたとされている。しかし、ヨーロッパに紹介された後も、トウモロコシがヨーロッパの人々に受け入れられることはなかった。
ムギ類を見慣れたヨーロッパの人々にとって、トウモロコシは奇妙な植物であった。神が世界を創造したと信じるヨーロッパの人々にとって、自然の摂理に反するものは信じがたい。そのため、トウモロコシは珍しい植物として観賞用に栽培されるだけで、食糧となることはなかったのである。
一方、トウモロコシはアフリカ、中近東、アジアの諸国へと広まっていった。日本にはポルトガル船によって1579年に伝えられたとされている。コロンブスがアメリカ大陸を発見したのが1492年であるから、それから100年も経たないうちに、極東の島国にトウモロコシが伝えられたことになる。
日本にもイネがあったから、トウモロコシの栽培は大々的には行われなかったが、水田を拓くことができない山間地では、トウモロコシは食糧として広まっていった。現在でも、山間地では、もちもちした食感のトウモロコシを栽培していることがある。これが、戦国時代に日本に伝えられたトウモロコシの系統である。
派手好きで、新し物好きであった織田信長はトウモロコシの花を愛したという。
■我々は気づかぬところで「トウモロコシ」を食べている
世界で最も多く作られている農作物は何だろう。
コムギでもなく、イネでもなく、トウモロコシである。
トウモロコシと言えば、私たち日本人にとっては、出店の屋台の焼きトウモロコシやサラダやスープなどが思い付くところだ。トウモロコシが、コムギやイネ以上に食べられているようにはとても思えない。
アメリカの先住民や移民の間で重要な食糧であったトウモロコシは、やがて硬い土を耕す「鋤」の発明や蒸気機関の登場による機械化によって、大規模生産が行われるようになった。しかし、穀物として人間に食べられるトウモロコシも、じつは少数派である。
今やトウモロコシは単なる食糧ではない。トウモロコシは栄養価が高いので、世界のトウモロコシの多くは、家畜の餌として用いられているのだ。
そのため、トウモロコシを食べていないと思っても、牛肉や豚肉などの肉を食べたり、牛乳を飲むことで、間接的にトウモロコシを食べていることになるのだ。
■人間の半分はトウモロコシでできている!?
しかし、トウモロコシの役割はそれだけではない。じつは、さまざまな加工食品や工業品の原料としても活躍している。
さまざまな加工食品に用いられるコーン油も、コーンスターチも、トウモロコシを原料としている。驚くべきことに、かまぼこやビールにまでトウモロコシは入っているのだ。
それだけではない。トウモロコシのデンプンからは、「果糖ぶどう糖液糖」という甘味料が作られる。そのため、チューインガムやスナック菓子、栄養ドリンク、コーラなど、さまざまな食品に入っていて、知らず識らずにトウモロコシを食べている。
ダイエットのために、お菓子やドリンク類を控えているという人は、もしかすると糖類を抑えた特定保健用食品や、脂肪の吸収を抑える飲み物を利用している人もいるかも知れない。これらの商品には「難消化性デキストリン」という成分が入っている。この難消化性デキストリンもトウモロコシに由来して作られたものである。
私たちの体は、さまざまな食品から作られる。一説によると、人間の体のおよそ半分はトウモロコシから作られているのではないかと言われるほどである。
人間の体は、トウモロコシでできている。
まさに神がトウモロコシから人を作ったという、マヤの伝説そのものである。
■トウモロコシが人類を利用している?
食品だけではない。現在では工業用アルコールや糊もトウモロコシから作られており、ダンボールなどさまざまな資材も作られている。
最近では、限りある化石資源である石油に代替するものとして、トウモロコシから燃料であるバイオエタノールも作られている。
21世紀の現代、私たちの科学文明は、トウモロコシ無しには成立しないほどだ。もしかすると、どんなに科学技術を誇っても、私たちの文明もマヤの文明と本質的にはあまり変わっていないのかも知れない。
もっとも、科学技術が進んだ現代では、トウモロコシはさまざまな品種改良が行われている。最近では遺伝子組み換え技術も盛んに行われて、改良を加えられた新しい品種が次々に生み出されている。
しかし、どんなに改良が進められても、トウモロコシはトウモロコシである。遠い昔に、「トウモロコシ」という、他の植物とはまったく性質の異なる奇妙な植物を作りだすような劇的な改良は行われていない。いや、そんなことは現代の科学技術をもってしてもできないのだ。
それでは、遠い昔、どのようにしてトウモロコシは作りだされたのだろうか。
もしかすると、本当に宇宙からもたらされたのだろうか。
謎は深まるばかりである。
そして、人間はトウモロコシを栽培し、利用していると思っているかも知れないが、トウモロコシからしてみれば、今や人間の手によって世界中で栽培されている。
植物は分布を広げるために、さまざまな方法で種子を散布する。そう考えれば、トウモロコシほど分布を広げることに成功した植物はない。
もしかすると、トウモロコシの方が人間を利用しているのかも知れない。
(『世界史を大きく動かした植物』より一部再編集)
稲垣栄洋(いながき・たかひろ)植物学者
1968年静岡県生まれ。静岡大学農学部教授。農学博士、植物学者。農林水産省、静岡県農林技術研究所等を経て現職。主な著書に『身近な雑草の愉快な生きかた』(ちくま文庫)、『植物の不思議な生き方』(朝日文庫)、『キャベツにだって花が咲く』(光文社新書)、『雑草は踏まれても諦めない』(中公新書ラクレ)、『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)、『弱者の戦略』(新潮選書)、『面白くて眠れなくなる植物学』『怖くて眠れなくなる植物学』(PHPエディターズ・グループ)など多数。(『THE21オンライン』2018年07月17日 公開)