南米からやってきたジャガイモが受け入れられるまで
南米原産のジャガイモは、今では世界中で食べられている重要な作物だ。だが、毒があることもあり、ヨーロッパに広まるまでには紆余曲折があった。そして、その普及に一役買ったのが、かのマリー・アントワネットだったという。贅沢の限りを尽くしたというフランス王妃と、「貧民のパン」と呼ばれたジャガイモはなかなか結び付かないのだが……。その理由を『世界史を大きく動かした植物』の著者である植物学者の稲垣栄洋氏が説く。
マリー・アントワネットが愛した花
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」――飢餓の被害を聞いたマリー・アントワネットは、苦しむ国民を尻目に、そう言ってのけたという。そしてマリー・アントワネットは、ついには国民の怒りを買い、フランス革命で公開処刑のギロチンにかけられてしまう。
フランス革命の史実をもとに描かれた漫画『ベルサイユのばら』では、マリー・アントワネットは、宮殿に咲く気高いバラにたとえられている。このマリー・アントワネットがこよなく愛した花があるという。
それは、漫画のタイトルになったバラの花でもなく、『ベルサイユのばら』が連載されていた雑誌の名称だったマーガレットでもない。
彼女が愛した花は、ジャガイモの花だったという。
どうして、高貴な王妃であったマリー・アントワネットがジャガイモを愛したのだろう。
これには深い理由があったのである。
ヨーロッパ人が見たこともない作物
ジャガイモの原産地は、南米のアンデス山地である。
コロンブスがアメリカ大陸を発見したことが、ジャガイモがヨーロッパに紹介されるきっかけとなった。ただし、コロンブスは沿岸部を探索していたため、コロンブス自身が山地で栽培されるジャガイモに出合うことはなかった。しかし、アメリカ大陸発見以降、ヨーロッパの人々が南米を訪れるようになり、16世紀にヨーロッパに持ち込まれたのである。
現代のヨーロッパ料理では、ジャガイモは欠かせない。土地がやせていて麦類しか作れなかったヨーロッパにとって、やせた土地でも育つジャガイモは、まさに救世主のような存在だった。今でもドイツ料理に代表されるように、ヨーロッパではジャガイモは欠かせない食材となっている。
しかし、見たことも聞いたこともないアメリカ大陸の作物が、簡単にヨーロッパの人々に受け入れられたわけではなかった。
ヨーロッパは「芋」向きの土地ではなかった
もともとヨーロッパでは「芋」はない。
芋は、雨期と乾期が明確な熱帯に多く見られるものである。雨期に葉を茂らせながら貯蔵物質を地面の下の芋に蓄えて、その芋で乾期を乗り越えようとしているのである。
たとえばジャガイモは南米のアンデス地域が原産である。アンデス地域は標高が高く、冷涼な気候だが、気候区分は熱帯であり、雨期と乾期がある。
また、サツマイモもアメリカ大陸の熱帯性気候の中央アメリカが原産地である。日本人にもなじみの深いサトイモやコンニャクイモは東南アジアの原産であるし、ヤマイモ(ナガイモ)は中国南部の原産である。タピオカの原料としても有名なキャッサバも熱帯性気候の中南米の原産である。
一方、ヨーロッパの農耕地帯の地中海性気候では、冬に雨が降り、夏に乾燥する。そのため、植物は雨の降る冬の間に生育するものが多くなる。そういえば、地中海沿岸地域の主要な作物であるコムギも、秋に種子を播く冬作物である。
そして、ダイコンやカブに見られるように、茎を伸ばさず地面の近くに葉だけを広げて光合成を行い、地面の下に貯蔵物質を蓄える根菜類が広まっていくのである。
そのため、ヨーロッパの人々はダイコンのような根菜類は知っていたが、ジャガイモのような芋類は見たことがなかったのである。
ジャガイモの毒はかなりの強さ
ジャガイモのことを知らないヨーロッパ人の中には、芋ではなく、ジャガイモの芽や緑色の部分を誤って食べてしまうこともあったという。これは大事件である。
ジャガイモの芽や緑色に変色した部分は、食べてはいけないと言われている。ジャガイモは、芋は無毒だが、ソラニンという毒を含む有毒植物である。ソラニンはめまいや嘔吐などの中毒症状を引き起こす。その致死量はわずか400ミリグラムというから、かなりの毒の強さだ。
ジャガイモはナス科の植物だが、ナス科の植物には有毒なものが多い。
魔女が使ったとされる有毒植物のヒヨスやベラドンナ、マンドレイクはナス科の植物であるし、日本では幻覚で鬼を見ることから鬼見草の別名を持つハシリドコロもナス科である。また、ナス科のチョウセンアサガオやホオズキも有毒植物である。
そして、ジャガイモも葉が毒を持つのである。
ジャガイモ中毒が続くと、ジャガイモは有毒な植物であるというイメージが強まってしまった。
また、ジャガイモはそのゴツゴツとした醜い姿から、食べるとハンセン病になるというデマが流布されていた。
「悪魔の植物」と呼ばれ、裁判にかけられたジャガイモ
さらに、ジャガイモは「聖書に書かれていない植物」であった。聖書では、神は種子で増える植物を創ったとされている。ところが、ジャガイモは種子ではなく芋で増える。
ヨーロッパの人々にとって、芋で増えるジャガイモは奇異な植物だったのだろう。西洋では、聖書に書かれていない植物は悪魔のものである。そして、ジャガイモは「悪魔の植物」というレッテルを貼られてしまったのである。
中世ヨーロッパは、魔女裁判などが盛んに行われた時代でもある。
そして、ついには悪魔の植物であるジャガイモも裁判に掛けられてしまうのである。世の中の生物は雌雄によって子孫を残す。しかし、ジャガイモは種芋だけで繁殖する。これが性的に不純とされて、ジャガイモは有罪判決となってしまうのである。
その刑罰は、驚くなかれ「火あぶりの刑」である。直火でこんがり焼いたジャガイモからは、良い香りが漂ったような気もするが、人々はこれを見ても美味しそうだとは思わなかったのだろうか。
エリザベス1世もジャガイモの毒にあたった?
「悪魔の植物」と言われたジャガイモは、食用ではなく、珍しい観賞用植物として栽培されることが多かった。
しかし、アンデスのやせた土地で収穫できるジャガイモは、食糧として重要だと評価する識者たちもいた。しかも高地に育つジャガイモは、冷涼な気候のヨーロッパでも育てることのできる特殊な芋である。
そして、大凶作に苦しむヨーロッパでは、このジャガイモを普及させるための挑戦が始まるのである。さて、この悪魔の植物をどのようにして広めていけば良いのだろう。
ジャガイモを普及させようとしたのは、イギリスのエリザベス1世である。
エリザベス1世は、まず上流階級の間にジャガイモを広めようと、ジャガイモ・パーティを主催する。ところが、ジャガイモを知らないシェフたちが、ジャガイモの葉や茎を使って料理を作ったため、エリザベス1世はソラニン中毒になってしまった。
こうしてイギリスでは、ジャガイモは有毒な植物というイメージが強まり、ジャガイモの普及が遅れてしまうのである。
ドイツを支えたジャガイモ
冷涼な気候のドイツ北部地域にとって、飢饉を乗り越えることは大きな課題であった。
しかも近隣諸国との紛争の多かった中世ヨーロッパでは、食糧の不足は国力や軍事力の低下を招く。そのため、ジャガイモの普及が重要な課題だったのである。
そこで、プロイセン王国(ドイツ北部)のフリードリッヒ2世は、ジャガイモの普及に取り組む。そして、人々が嫌うジャガイモを毎日のように自ら食べ、各地を回ってはジャガイモ普及のキャンペーンを展開したのである。また、いかにも大切なものであるかのように、軍隊にジャガイモ畑を警備させて、人々の興味を引かせた。そしてときには、武力で農民にジャガイモの栽培を強要したという。反抗する者には鼻と耳をそぎ落とす刑罰を与えたというから恐ろしい。しかし、この努力によってドイツには早い時期からジャガイモが普及することになるのである。
現在でもジャガイモは、ジャーマンポテトを始めとしてドイツ料理には欠かすことのできない存在である。
ルイ16世の策略
こうして徐々にヨーロッパの国々に広まっていたジャガイモだが、フランスにはなかなか広まらなかった。このフランスにジャガイモを広めた仕掛け人が、パルマンティエ男爵である。フランスとドイツ(プロイセン王国)が7年戦争を行ったときに、ドイツの捕虜となったパルマンティエは、ドイツの重要な食糧となっていたジャガイモを食べて生き延びた。
ヨーロッパが大飢饉に見舞われたとき、フランスはコムギに代わる救荒食を賞金付きで募集した。このときにパルマンティエがジャガイモの普及を提案したのである。
そして、彼の提案どおり、ルイ16世は、ボタン穴にジャガイモの花を飾った。そして、王妃のマリー・アントワネットにジャガイモの花飾りを付けさせて、ジャガイモを大いに宣伝したのである。その効果は絶大で、美しい観賞用の花としてジャガイモの栽培がフランス上流階級に広まり、王侯貴族は競って庭でジャガイモを栽培するようになった。
次に、ルイ16世とパルマンティエ男爵は、国営農場にジャガイモを展示栽培させた。
そして、「これはジャガイモといい、非常に美味で栄養に富むものである。王侯貴族が食べるものにつき、これを盗んで食べた者は厳罰に処す」とお触れを出して、大げさに見張りをつけた。
ジャガイモを庶民の間に普及させたいはずなのに、どうして独占するようなマネをしたのだろうか。じつはこれこそがルイ16世らの巧みな策略だったのである。
国営農場は、昼間は大げさに警備したが、夜になると警備は手薄にした。そして、好奇心に駆られた人々は、深夜に畑に侵入し、次々にジャガイモを盗み出したのである。こうしてジャガイモは庶民の間にも広まっていった。
バラと散った王妃
悪名高いマリー・アントワネットと、その尻に敷かれていたというルイ16世。贅沢三昧を尽くした二人は、国民の怒りを買い、ついにはフランス革命で処刑されてしまう。しかし、最近の研究では、その悪評の多くは中傷やデマであり、マリー・アントワネットは本当は国民思いの優しい人物であったと彼女を再評価する動きが見られる。
冒頭の「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という言葉も、実際にはマリー・アントワネットの言葉ではなく、ルイ16世の叔母であるヴィクトワール内親王の言葉とされている。しかも、正確には「ブリオッシュを食べればいい」であり、現在では高価なお菓子であるブリオッシュも、当時はパンの半分の価格の食べ物だったとされている。
ルイ16世やマリー・アントワネットがどのような人物だったのか、今となってはわからない。しかし、国民を飢饉から救うために、ジャガイモの普及に尽力した人物であることは明らかである。
歴史は勝者たちによって作られる。
そして、人々を飢えから救うためにジャガイモの花を愛した王妃は、ギロチン台でバラの花びらのように散っていったのである。
(『世界史を大きく動かした植物』より一部再編集)
稲垣栄洋(いながき・たかひろ)植物学者
1968年静岡県生まれ。静岡大学農学部教授。農学博士、植物学者。農林水産省、静岡県農林技術研究所等を経て現職。主な著書に『身近な雑草の愉快な生きかた』(ちくま文庫)、『植物の不思議な生き方』(朝日文庫)、『キャベツにだって花が咲く』(光文社新書)、『雑草は踏まれても諦めない』(中公新書ラクレ)、『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)、『弱者の戦略』(新潮選書)、『面白くて眠れなくなる植物学』『怖くて眠れなくなる植物学』(PHPエディターズ・グループ)など多数。(『THE21オンライン』2018年07月11日 公開)