努力すれば、大抵のことはかなうと思ってきた。がんばれば、いつだって結果が出た。
でも、妊娠だけはダメだった。
不妊治療に費やした費用は、2年間で400万円超。6度に及ぶ体外受精では、何度も“不合格”を突きつけられている気がした。
休職までして、全力を注いだのに。
「精神的にも身体的にも限界でした」
そんなふーさん(49)の傍らにはいま、2歳になる長男がいる。血がつながってはいないけれど、いとしくてかわいくてたまらない宝物だ。
追い詰められていたあの頃、自分の「選択」がこんな幸せを運んでくれるなんて、思いもしなかった……。
43歳から不妊治療、妊娠の確率は4%
九州地方に住むふーさんが夫(50)と結婚したのは43歳のとき。中学教員として忙しく働くうちに、40代になっていた。
子どもが欲しくて、不妊治療を始め、体外受精を始めるときに、医師から「1回の治療で子どもを授かる確率は5%以下です」と告げられた。
不妊治療で子どもを授かる率は、30歳代後半になると急激に下がり、40歳では10%、43歳では4%(日本産科婦人科学会まとめ)に下がる。
そんな数字は知っていたけれど、自分は頑張れば妊娠できると思っていた。第1志望の大学にストレートで合格、高倍率の教員の採用試験も突破し、努力すれば報われる人生だったからだ。
でも、不妊治療では「どんなに努力してもかなわないことがあるんだ」という現実に打ちのめされた。
治療に専念するために休職し、すべての気持ちと時間を費やしても、「受精卵は育っていません」と言われ続けた。つらくて家から出られず、生徒に見に行くと約束した合唱コンクールも欠席。「体外受精の失敗と、生徒との約束を破ったこと。二重のショックで涙が止まりませんでした」
血のつながらない子を愛せるだろうか
転機は、突然訪れた。
「里親になる道を考えてはどうだろうか」
勤務先の男性校長からそう言われたのは45歳の時だ。校長は不妊治療を10年以上続けた経験があり、つらい気持ちをわかってくれていたのだと思う。
その言葉をきっかけに、1か月悩んだ。私はどうしたいのだろうか――。
がんばってきた不妊治療を卒業し、夫と2人きりでこれからの人生を歩む。それもいいかもしれない。
でも、結婚したばかりのある夜、夢をみたことをぼんやり思い出した。
夫が子どもを幸せそうに抱っこし、2人で子育てしている夢だった。自分が出産した場面を夢でみたことはなかったのに。
血のつながらない子を愛せるだろうかとも考えた。
産みたいのか、それとも子育てがしたいのか――。
自らに何度も問いかけた。血がつながらなくても、夫と子育てがしたい。そう思えた。
「子育ては簡単じゃない」夫が告げた思い
ある日の夕食。思い切って夫にその思いを告げた。
「子育ては簡単じゃない。血もつながっていないなら、なおさらだよ」
夫は再婚で、離れて暮らす子どもがいる。子育ての喜びだけでなく、大変さもわかっていた。
ただ、ふーさんは一度決めたことは、テコでも動かない。ふーさんの強い気持ちに押される形で、夫も「もし、妻がへこたれたら、自分が一人で育てる」と一緒に子どもを迎える覚悟を決めた。
血のつながらない家族を作る三つの方法
血のつながらない子と家族になるには、「里親」「養子(普通養子縁組)」「特別養子縁組」と主に三つの方法がある。
里親は、子どもを預かる形だが、養子や特別養子縁組は戸籍に名前がのる。養子は実の親も親権を持つが、特別養子縁組は、実の親との法的な親子関係はなくなり、迎えた家族だけが親になる。
そのため育ての親になれる条件も決まっている。25歳以上で、配偶者のいる夫婦のみ。原則、実の父母の同意も必要だ。養子にする子の面倒を半年以上みた上で申請し、家庭裁判所が決定しなければ、特別養子縁組は認められない。
悩んだ末、ふーさんは特別養子縁組で子どもを迎えようと決意した。
家族に迎える子を見つけるには、乳児院や児童養護施設にいる子どもをあっせんする児童相談所に相談するか、国から許可された22か所の民間あっせん機関を探すかの二つのルートがある。
ふーさんの住む地域の児童相談所には、あっせん実績がなかったため、民間に頼ることにした。民間の機関は、予期せぬ妊娠に悩む女性を妊娠中から支えている機関が多く、新生児を迎えるケースが多い。生みの親の出産費用なども含め、育ての親が負担する。費用は数十万~百数十万円程度と幅がある。
全国の民間機関のホームページをくまなくチェックし、気になったところには電話した。このうち、関西にある夫の実家に近く、考え方にも共感できた民間機関と話を進め、年齢や経済力などの審査も受けた。不妊治療もやめる決意をした。
研修で「こんなふうに一緒にお昼寝できたらいいな」
あっせんを頼んでもすぐに子どもを迎えられるわけではない。特別養子縁組では、育ての親には、国が定めた研修を修了することが義務づけられている。
子どもを受け入れるために必要な知識や、心構えなどを研修で学び、乳児院などで赤ちゃんの世話をする実習もある。研修の期間は、児相や民間機関によって様々だが、少なくとも6日は必要になる。
ふーさんは乳児院での実習で、3歳ぐらいの男の子を真ん中に、夫婦で添い寝したことが印象に残っている。「こんなふうに一緒にお昼寝できたらいいな」
夫は障害のある子を育てている里親の話を聞く研修にハッとさせられた。漠然と、健康な子どもを迎えるのが当たり前とイメージしていたが、実の子だとしても生まれつき障害がある可能性もある。
「性別も障害の有無も、まるごと受け入れる。そんな覚悟ができました」
「まもなく生まれる子がいます」と電話、生みの親と会って…
研修を終え、民間機関の最終審査も通った19年7月、電話があった。「まもなく生まれる子がいます。育てる気持ちはありますか」
関西地方のとある場所で、生後7日の男の子の赤ちゃんをふーさんは初めて抱っこした。小さな目を開き、しゃっくりしている。
「ちっちゃくて、かわいい」
そんな言葉が思わず口をついて出ると、涙があふれてきた。待っていたよ。私たちのもとに来てくれてありがとう――。
初めて対面した日、生みの親にも会った。生みの親と育ての親が必ずしも顔を合わせる必要はなく、会うケースはまれだ。赤ちゃんを託すのはどんな人か知りたいという生みの親側の要望で実現した。
後日、受け取った母子健康手帳。出産した日のページには、生まれてくれてありがとうと書かれていた。
ふーさんは、物心がついたら長男に伝えるつもりだ。大きくなったら、自らのルーツを知りたくなるだろう。「息子が会いたいといったら、会ってください。その時には胸を張って会えるような生き方をしておいてください」。夫が伝えると、生みの親は涙を流しながら静かにうなずいた。
不妊治療大国の日本、里親になる選択肢は…
日本は世界で治療件数が最も多い不妊治療大国だ。
2019年に国内で行われた体外受精で生まれたのは6万598人。年間出生数の14人に1人になる。ただし、治療をすれば必ず子どもを授かるわけではない。この年に行われた体外受精は45万8101件で、出産に結びついたのは1割強。治療を断念し、2人で幸せに暮らしている夫婦もたくさんいる。
海外では、子どもに恵まれない場合に家族をつくる選択肢として、養子を迎える手段が普及し、情報提供する仕組みもある。養子大国と言われる米国での取り組みは特に進んでいる。
特別養子縁組の民間あっせん機関「アクロスジャパン」(東京)の代表理事を務める小川多鶴さんによると、州にもよるが、不妊治療を始める前に、コーディネーターやファイナンシャルプランナーが不妊治療で子どもを授かる場合と、養子で子どもを迎える場合それぞれについて、確率や費用を踏まえたライフプランなどを情報提供をするのが一般的だという。
小川さんが約20年前、米サンフランシスコで不妊治療を始める前も、同様の説明を受けた。
一方、日本では、不妊治療施設が、家族をつくる、こうした選択肢を伝えることはほとんどなかった。こうした状況を改善しようと、小川さんも関わった研究チームの意見を踏まえ、厚生労働省は今年4月から、不妊治療を行う夫婦に、子どもを迎える選択肢の一つとして、里親や特別養子縁組制度についての情報提供を始めた。同省のサイトで、夫婦向けのチラシなどを公開している。
特別養子縁組で迎えた16歳の長男を育てている小川さんはいう。
「様々な家族のカタチがあり、血のつながりは関係ありません。子どもをもちたいと治療に臨んでおり、最終的に人生の選択をするのはその夫婦です。治療と並行し、特別養子縁組や里親という仕組みで家族になる選択肢が広く知られてほしいです」
「施設から家庭へ」徐々に増える特別養子縁組
ただし、養子縁組は、子どもがほしい親のための仕組みではない。貧困や虐待、予期せぬ妊娠、親の病気や死など、様々な理由で親と暮らせない子どもが、家庭環境を得るための仕組みだ。
こうした子どもは約4万2000人に上る。その大半は、児童養護施設や乳児院などで保護されているが、特定の人と愛着関係を結べる家庭環境での暮らしの方が、子どもの成長に望ましいことが様々な研究で明らかになっている。
国は、2017年に児童福祉の基本方針として「施設から家庭へ」を掲げ、生みの親が育てるのが難しければ、養親などと暮らす子どもを増やすよう転換を図った。
厚生労働省によると、特別養子縁組の成立件数は20年度は693件で、10年前の2倍を超えた。
成長の記録を生みの親に、家族をつなぐ時間
子どもを託されてから8か月後の20年4月、特別養子縁組が成立した。ふーさんは長男の誕生日、あっせんした民間機関経由で、成長の記録をアルバムにして生みの親に送っている。命をつないでくれた感謝の気持ちからだ。成人するまで続けようと思う。
「おねつかな」
今年3月、新型コロナワクチンの副反応で熱を出し、布団で寝ていたふーさんに、2歳の長男の声が聞こえた。走って体温計を取ってきて、「洋服の中でピーするまで(ピーという音がするまで)待っててね」と言う。いつも自分が長男にかけるのと同じ言葉。体温計を差し出す小さな手に、愛おしさがこみ上げた。
不妊治療を終えた頃から、「ふー」という仮名で、ツイッターを続けている。子どもを迎えた日のことをつぶやくと、2万人以上から「いいね」がついた。
かつて、家族をつなぐのは血縁だと思っていた。長男を迎えて2年が過ぎた今、それは積み重ねた時間だと感じている。
ふーさんは3月末、24年続けた教員を退職した。学校現場には、親子の間で血がつながっていないなど、様々な背景の子供がいる。でも、かつての自分のように、それを知らない先生もいて、親子は血がつながっていることを前提とした教育が行われていることも多い。長男を育てるうち、それが課題だと感じるようになった。
これからは非常勤で教えながら、学校現場などに特別養子縁組の理解を広げる活動をするつもりだ。
「特別養子縁組はまだ数が少なく、社会の理解度は低い。色々な子どもがいて、色々な家族のカタチがあることを知ってほしい。息子が大きくなった時、少しでも生きやすい社会であってほしいんです」
<名前はいずれも仮名です>
(読売新聞医療部、加納昭彦)
※この記事は、読売新聞によるLINE NEWS向け特別企画です。