結成から33年、常に日本の音楽シーンの最前線を走ってきたB'z。そんな彼らもこの2年ほどは他のアーティストと同様、コロナ禍という未曾有の事態に翻弄される日々が続いた。ユニットの顔であるフロントマン・稲葉浩志に、これまでのキャリアやMr.ChildrenやGLAYとの共演で話題となった今年9月のスペシャルライブの背景、そして音楽活動の本格再開に向けた思いなどを聞いた。(Yahoo! ニュース オリジナル 特集編集部、本文敬称略)
ある程度、名前を知られている人がやらないと意味がないと思った
「ある時期から、世間的にコンサートというものをコソコソやらなきゃいけない感じになってきて、ニュースになるのは悪いところばかりで。コンサートをやることが、口に出して言えないようなことみたいになりつつあって、それがすごく嫌だったんです。だから、なんとなくの雰囲気ではなく、具体的な対策を並べて、『B'zの場合はこういう条件の中でやります』と、包み隠さず公表しました。そこをひとつの基準に、また次のことを考えられるわけで。B'zとしては、目に見えることの積み重ねをやっていくしかない。まあ、杭を打ちながら山を登るみたいなものです。やったことがないからわからないですけど(笑)」
今年11月のライブ「B'z presents LIVE FRIENDS」で、2年半ぶりに会場キャパシティー100%の動員を行ったB'z。ボーカリストの稲葉浩志は、リハーサルでも本番会場でも、毎回PCR検査を受けた。そこまでしたのは、コンサートをめぐる状況へのこうした思いがあったためだ。
今年9月には、入場者を会場キャパシティー上限の5000人に制限した有観客ライブ「B'z presents UNITE #01」を実現。大阪公演ではMr.Childrenを、横浜公演でGLAYを迎えた 。
「ある程度、名前を知られている人がやらないと意味がないと思ったんです。名前を知られているからリスクは回避したいっていう気持ちにも、もちろんなるんですけど、名前がある人がやらないと、公表してやる意味がないと思っていたので。だから、そこに乗ってくれたMr.ChildrenとGLAYの皆さんには、本当に感謝しかないですね」
「UNITE」では、コロナ禍という状況とは別に、Mr.ChildrenとGLAYと音楽を通じて「交歓できた」実感もあった。
「B'zはあまりフェスに出てないので、横の交流がほとんどなかったんです。でも、ステージで一緒に音を出すと邪念がなくなる。そういう瞬間が体験できたのは本当にうれしかったですね。強く『何が何でも団結しよう』とかは言いたくないタイプなんですけど、『その気になればできるな』ということは、『UNITE』という言葉の通りだなと思って。だから、今回のプロジェクトは嘘がないし、本当にリアルでしたね」
「ロックごっこ」の延長を、まだずっとやってるだけ
稲葉は岡山県津山市出身。上京して横浜国立大学教育学部に入学後、ボーカルスクール「Being音楽振興会」にも通った。そして、大学卒業後に出会った松本孝弘とのセッションを経てB'zを結成し、1988年にデビュー。90年のシングル『太陽のKomachi Angel』で初のオリコン1位を獲得し、またたくまにスターダムへ。以来約30年、B'zはその王座から降りたことがない。
自身の特徴的なボーカルスタイルは、ハードロックの影響を受けながら独自にアレンジしたものだという。
「歌詞が聞き取れないといけないな、というのがありましたね。日本語のロック系のジャンルの歌詞だと、暗めの雰囲気のものが多かったんですけど、普段目にしているような光景を、ハードな音で歌うこともやってきました」
シングル1位を獲得した楽曲は実に49作。連続1位獲得記録は20年にも及ぶ、「モンスター級」のアーティストだ。しかし、稲葉の自己分析は極めて冷静だ。
「あまり大衆的な音楽には聴こえないかもしれないので、そこは不思議なところなんです。ドラムが大きくて、ギターにディストーションが思いっきりかかってて、ギターソロがいつも何小節かある音楽は、それまでのトップ10に入るような曲には、ほぼなかったと思います。ただ、メロディーは非常にキャッチーだし、そこは意識してるのが功を奏しているのかな」
「思い返せば、(B'zの)名前がのしかかってきたことはあったかもしれないんですけど、ある時から逆に、『B'zが好きな人が集まって、ああだこうだ言って、B'zっていうものを育てましょうよ、面白がっていきましょうよ』みたいな感覚があって、そんなにのしかかる感じもなくなってきました」
しかし、多くの人が「B'z」と聞いて思い浮かべるのは、フロントに立つ、ボーカリストの顔のはずだ。それでも稲葉は意外な言葉を続ける。
「僕だけに関していえば、B'zが自分のものとか、そういう感じはあんまりないんです。もちろん、皆さんの思いの詰まったB'zというチームを代表して、その名に恥じないようなパフォーマンスをしようという気概は持ってやってます」
ならば、「ひとりの人間としての稲葉浩志」と「B'zの稲葉浩志」は、どういう関係なのだろうか。
「どっちも自分ですね。ああいうパフォーマンスしてる自分っていうのは、小学生とか中学生の頃から、自分の中にあって。部屋でステレオを大音量で鳴らして、壊れたギターを抱えて、エアパフォーマンスをずっとしていたわけです。だから、その『ロックごっこ』の延長を、まだずっとやってるだけだなって思っているんですよね、正直言うと」
しかし、そんなロック少年は、日本中に何万人といたはずだ。なぜ稲葉は、「ロックごっこ」で本当に大衆を熱狂させることができたのか。
「人との出会いでしょうね。一番最初は長戸大幸さん(B'zをデビューさせたビーインググループ創業者)。そして、長戸さんに松本さんを紹介してもらって。そういうことがなければ、自分はロックごっこをやってるサラリーマンか学校の先生になってたかもしれない」
人って、絶対わかりあえないところがある
2020年、日本をコロナ禍が襲った。稲葉とスティーヴィー・サラスによるユニット・INABA/SALASのツアーは中止を余儀なくされ、B'zは初の無観客配信ライブを5週連続で開催した。
そんな状況下で、稲葉もまた「分断」を肌で感じていたひとりだった。
「いくらでも怖がることもできたし、気にしない人もいたし、人の考えがわかれていく感じがすごくして。それが悪いほうに進んじゃうと、分断みたいなことになるんだと思うんです。ワクチンも、それぞれの考えやフィジカルな要因があるし、やっぱり基本的には尊重することではあるじゃないですか。でも、現実的には疎遠になっちゃう人もいると思うし」
コロナ禍の分断は、彼の考え方にも少なからず影響を及ぼした。
「人って、みんな考え方が違うんだなとか、絶対わかりあえないところがあるんだろうなっていうのは、こういうことがあると感じますね。『やっぱりそういうところはある』って思っておかないといけないのかな、と」
稲葉自身は、疎遠になる相手がいても、あまり焦らずに、いつかは連絡するタイプだという。ただ、コミュニケーションの難しさを感じる場面もあると話す。「B'zの稲葉浩志」ではない、「人間・稲葉浩志」の顔が浮かびあがる。
「僕もコミュニケーションは上手じゃないので、もしかしたら人から『気がつかない人だな』と思われているところもあると思うし。今、実際に行動に移る前に、余計な心配をする人が多い感じはしますよね。今、みんな携帯の字面上ではものすごくいろいろ心配するじゃないですか。あれも何か面倒くさいなと思うんで(笑)」
とにかく苦手な気持ちがずっとあった「いつかのメリークリスマス」
B'zのリーダー・松本孝弘は日米を往復しているため、日本への帰国時には隔離生活を余儀なくされた。その中で生まれたのが、アルバム「FRIENDS III」だ。92年と96年にリリースされ、B'zの代表曲のひとつとなった『いつかのメリークリスマス』も生んだ「FRIENDS」シリーズ。その25年ぶりの新作となる。
「普段のB'zよりも、主人公が過去を振り返ったり、自分を見つめたり、内省的な曲の比率が高いですね。今回はコロナの状況で、詞を見てみると、こもって何かを考えてる雰囲気がやっぱり強いなと」
「FRIENDS」シリーズの代名詞的な曲に、「いつかのメリークリスマス」がある。だが、稲葉にとっては歌いこなすのがとても難しい存在だったという。
「とにかく苦手な気持ちがずっとありました。自分の声のいいところを出し切れないというか。『FRIENDS III』の映像特典で歌い直したり、『LIVE FRIENDS』で歌ったりして、今は初めてスッと歌えてる状況で。それは年齢のせいかもしれないし、自分の声質が変わってきたせいかもしれません」
編集部からの「ようやく『いつかのメリークリスマス』と “FRIENDS”になった感じでしょうか?」という狙った問いに、稲葉が「その通りです」と即答し、取材現場は笑いに包まれた。彼の茶目っ気が顔を出す。
ただ、「FRIENDS」というシンプルな言葉の持つ意味合いについて聞くと、再び思索の海に沈んだ。言葉を選んでいるのが伝わってくる。歌詞を書くときもこんな表情なのかもしれない。
「個人と個人が、恋愛関係以外にも、非常に強いつながりを持ってる関係のことを『FRIENDS』と想定して歌詞を書いていて。でも、強いつながりだと思ってたけれど、そんなことはなかった、って思ってしまうようなこともあったと思うんですね、この2年ぐらいで。そういう脆さが露呈するような時期にありますよね」
11月に日本武道館で開催された「松本隆 作詞活動50周年記念 オフィシャル・プロジェクト~ 風街オデッセイ2021」の初日の追加出演者の発表は大きな話題を呼んだ。B'zの出演が突如発表されたからだ。
「『風街オデッセイ』は、松本さんとふたりで行ってパーッと演奏して帰ったみたいな感じ。あの後、冗談めいて話したんですけど、『この形態だったら、どこでもパッと行って演奏して帰ってこれる』って(笑)。今まではずっと、レコーディングとライブの繰り返しだったんですよ。コロナの影響で、それが一回途切れて、逆に実現できたことなんです。まさかそこで自分たちのフットワークの軽さを発見するとは思わなかった」
30周年をとうに越えて発見された、B'zのフットワークの軽さ。稀代のユニットには、さらなる進化が待っているのかもしれない。
「たぶん、ギター1本と、僕はまあ手ぶらで、全国を回るということですかね。地元のバンドの皆さんと演奏する(笑)。経費もかからないし(笑)。『B'zの歌とギターが、このバンドの演奏の中に入ったら?』っていう楽しみも出てくると思うんですよ。この短期間で、本当にいろんなミュージシャンの方と共演させてもらって、感じたことでもあります。できそうなタイミングがあれば、やっても面白いかもしれないですね」
稲葉浩志(いなば・こうし)
1964年、岡山県生まれ。ボーカリスト・作詞家・作曲家・シンガーソングライター。88年結成の音楽ユニット・B'zのメンバー。ソロ活動時は作曲に加え、レコーディング等でのギター、アレンジ、プロデュース等も担当。今月、B'zのコンセプト・アルバム「FRIENDS」シリーズ25年ぶりの新作となる「FRIENDS III」をリリースしたばかり。今月24日には配信ライブ「B’z presents LIVE FRIENDS」を控える。
(取材・文/宗像明将)