一発屋という言葉にわが子を触れさせたくないと、かれこれ10年近く長女に正体を隠し続けている髭男爵・山田ルイ53世。最も懸念するのは、自分の仕事が原因で、娘が嫌な目に遭ったりしないかということだ。一方で、「職業を隠す」という選択自体が、子供の成長に悪影響を与えるのではとの心配もつきまとう。葛藤に揺れる山田ルイ53世が、「子どものこころ専門医」である関谷秀子医師(法政大学現代福祉学部教授)のもとを訪ね、改めて「親子関係」を考えた。(取材・文:山田ルイ53世/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
機密が漏れ出す“蛇口”
「パパって、“ひげだんしゃく”っていうの?」
長女に顔をのぞき込まれ、「いや? 違うよー?」と、このやりとりが娘の脳裏に刻まれぬよう祈りつつ、なるべく気のない返事に徹する父。年に1、2度親子の間で交わされる、わが家でおなじみの会話である。
筆者の職業は、漫才師。コンビ名を髭男爵という。10年と少し前、そこそこ売れたものの、現状はさっぱりの一発屋。そして、2児の父親でもある。
2歳になったばかりの次女はともかく、問題は長女(現在小3)。筆者は長らく、自分の正体を彼女にひた隠しにしてきた。親が無職では子供も不安だろうと、“フレキシブルに働くサラリーマン”で通しており、お笑い芸人だの、芸能人だのと娘の前で口にしたことはない。
理由は、“一発屋”。負けとか失敗といった苦み成分を含むこの言葉を、人生始まったばかりの小さな子供に触れさせたくない、その一心である。
とはいえ、ひとつ屋根の下に暮らすわが子が相手。完全に伏せ続けるのも容易ではない。
うっかり置きっ放しにしていた、筆者の写真入りのインタビュー記事や、家族そろっての外食先で、「男爵さん! この前、テレビ出てましたね!」と(良かれと思ってくださってのことだろうが)話しかけてくる店員氏など、長女が目に耳にすれば、全てチョロチョロと機密が漏れ出す“蛇口”と化す。
子に職業を隠す人は3.3%
いったい、世の中には、筆者と同じ境遇の人間……わが子への「隠し事」で苦慮する親がどれくらい存在するのか。
今回、Yahoo!ニュース オリジナル 特集でアンケートを実施した。
結果を眺めてみると、「子供から自分の仕事について聞かれ、答えをためらったことがある」人は22.4%に上るものの、「職業を隠している」となると3.3%に激減。すなわち、ためらった親たちの約8割は、最終的に真実を伝える道を選んでいることになる。
ちなみに、筆者のお仲間、「職業を偽っている」は1.5%。2000人中の30人……これを多いと取るか少ないと取るかは人それぞれだが、映画『300(スリーハンドレッド)』のスパルタ軍、あるいは、赤穂四十七士さながらの精鋭、決死隊には違いない。
着目すべきは、「ためらう」「隠す」「偽る」と決断に濃淡はあれど、動機の部分は皆似通っているということ。
「収入があまり多くないから」「給料を聞かれて困った」という金銭面の話や、「夜の仕事をしているため、うまく伝えられない」「パチンコ業なので、説明をためらった」「社用車の運転手をしているが、やり始めた当初は恥ずかしくて人に言えなかった。子供にも隠していた」など、業務の内容に誇りが持てず、引け目を感じているといった回答が目立った。
……実にもの悲しい。
それでもなお、「わが子にうそをつく」というのは、人聞きが悪い。
もちろん、筆者とて平気なわけではなく、こんなことしていて大丈夫かなという不安や罪悪感を常に抱えている。
一般的に、子育てにおける「隠し事」は、子供にどんな影響を与えるのだろうか。
親と子の「同一化」どう捉えるか
悩める父親のカウンセリング、もとい、取材に応じてくれたのは、関谷秀子医師(法政大学現代福祉学部教授)。彼女は、“子どものこころ専門医”でもある。
「子供は無意識に自分にとって大切な人のある部分を取り入れて、自分の一部にするんです。“同一化”と言ったりしますが、山田さんご自身、良いところも嫌なところも含め、『俺、親に似てるな……』って感じたことありませんか? 自分が子供にとっての、“参照枠”になりうるというのはポイントだと思います。もし子供に『正直であってほしい』『うそをつかないでほしい』と望むのなら……」
いや、おっしゃる通り。
穏やか、かつ、的確なプロの語り口に、筆者の“おとなのこころ”も大いに揺さぶられた。
ただ一方で、「中2の夏から不登校」「そのまま20歳手前まで6年間ひきこもり」「一発屋」「人付き合いに疎く、社交がゼロ」等々、過去・現在を問わず、見習ってほしくない“点”だらけで、人生ダルメシアン状態の筆者としては、“同一化”とは身の毛もよだつ話。
むしろ、(もっと隠さなければ……)と天岩戸にでも閉じこもりたくなってしまう。
娘たちが、シルクハットをかぶって、「ルネッサーンス!」などと叫び出すくらいなら、いっそのことうそつきに育ったほうがマシ……と思わぬでもない。
それに、不安材料はほかにも。先述のアンケート調査では、「子供は外でなんでも話してしまうので、話されたくない内容を聞かれたときは困る」「今の職業について子供たち同士で話題になって、いじめとかにつながってほしくない」といった声が少なくなかった。
筆者が危惧しているのも、まさにそれ。
芸能界における父のヒエラルキーなど知る由もない長女が、「パパ、おわらいげいにんなんだよー!」と学校で吹聴したが最後、「なんて名前ー?」「チョコプラ? ぺこぱ?」「『有吉の壁』に出てる!?」と質問攻めにあうだろう。
「ひげだんしゃく!」と胸を張る娘に、「だれそれ? しらなーい!」の大合唱……想像するだけで、涙があふれそうになる。
さらに、帰宅したクラスメートたちが保護者に、「○○ちゃん(筆者の長女)のパパ、ひげだんしゃくなんだって!」とご注進に及ぶだろうことは確実。
「えっ、そうなの!? あ一、あの一発屋の?」
「“いっぱつや”ってなーにー?」
……これにて、「Q.E.D.」、つまりは“終わり”である。
翌日、「お前の母ちゃんでーべーそー!」ならぬ、「お前のパーパは、いっぱつやー!」とはやし立てられるわ、給食当番の悪ガキに、「あれ? ○○ちゃんって貴族でしょ? おかず、キャビアじゃなくていいの!?」とイジられるわ……いや、バカな親の行き過ぎた妄想かもしれぬが、可能性がゼロとは言えぬ以上、二の足を踏んでしまうのだ。
子供の社会にもある「負け」や「失敗」
そんな筆者の訴えにも、「でも、お父さんが“ひげだんしゃく”だっていうことをお嬢さんが嫌かどうかわからないですよね?」とあくまで冷静な関谷医師。
いやいや、確かにそれはそうだが、少なくとも、「やったー!」と飛び跳ねることはないだろう。いくらなんでも気休めが過ぎる。正直釈然としないが、続く、親の職業に起因する子供の「いじめ」についてのお話はうなずく部分が多かった。
「親それぞれに考え方があるので、これが絶対に正しいと言うつもりはありませんが、子供の社会でも、負けや失敗はあると思うんです。かけっこでビリだったとか、友達に『かわいくないね』『下手だね』って嫌なことを言われるとか。そういうことを、親が全て取り除いてあげるって難しい。それに、親子でちゃんとした関係を築けていれば、子供が親の悪口を人から聞いたとしても、『何言ってるの? うちのパパはこんなに素敵なんだから!』と思ってくれるんじゃないでしょうか」
……久しぶりに、肩の荷が下りたような気分に浸る筆者。いや、ありがたい。では仮に、事実を打ち明けるとして、これまで自分の仕事を偽ってきた弊害はあるのだろうか。
「たとえば、お嬢さんの気持ちがものすごく暗くなってしまって、死をほのめかすようなことがあれば、専門医にご相談いただくなど対策を考えなきゃいけないと思います。でも両親との関係が良好であれば、何の問題もないと思いますよ」
(……セーフ!!)
思わぬ免罪符、いや、恩赦である。取り返しがつかぬわけでもなさそうだと、ホッと胸をなで下ろしたのもつかの間、
「ただ子供たちも“身体の成長と心のバランスが保てていて精神的に安定している時期”というのがあります」
この関谷医師の一言で、何やら雲行きが怪しくなってきた。
「子供によって差はありますが、だいたい小3~4ぐらい。小5くらいからは“前思春期”といって、ちょっと難しい年頃に入っていく。何か隠し事があって、話しておくのであればその頃がいい学年だと思います」
(じゃあ、今ってことでは!?)
長女はただいま小3……あまりの不意打ちに、筆者の精神的な安定は急速に失われていく。知らぬ間に、“そのとき”は訪れていたのだ。
いや、急にそんなことを言われてもと、改めて、わが「隠し事」の経緯をつまびらかに説明し、いかにカミングアウトが困難か猛アピールするも、「言っちゃっていいんじゃないですか?」とどこ吹く風の関谷医師。
……あんまりである。
いったい、筆者の9年間の苦労をなんだと思っているのか。
専門家なら、もう少し持って回ったしゃべりで、発言のありがたみを割り増ししてほしいところだが、「ハッキリ言うと、お嬢さん、わかってるんじゃないですか? 子供ってバカじゃないです。相当チェックしてると思うんです」とのご指摘には、思い当たる節があった。
あれは、長女が小学校に上がったころ。
その日も、「パパって、ルネサーンの人でしょ?」と長女に詰め寄られ、「違うよ?」と絞り出すも、「いや、ぜったいそうだよー!」と妙に自信満々。「だってさー……」とニヤつく娘に背筋が凍る。
「パパがおしごとにいくと、シルクハットがひとつへるもん!」
……自称貴族のコスプレキャラ芸人、つまりは筆者にとって、大切なアイテムの一つシルクハット。書斎の片隅にコッソリと保管していたのだが、それを発見しただけでなく、逐一数をチェックしていたらしい。
在庫と帳簿を突き合わせ、不正を暴くマルサのような手口に、「えー……パパは知らないなー……」ととぼけるくらいしかすべがなかった。
今のところ父の正体に長女はそこまでご執心でもなく、つかまれた証拠(?)も断片的で、“一発屋”という核心部分には程遠いのが救いだが、否定という徳俵でこらえるのも、そろそろ限界かもしれぬ。
「基本的には、子供と親は、別の人間です。『ずっと気をつかって仕事を内緒にして、わたし大丈夫なのに……』とか、『もうばれているのになんでわたしに内緒にするのかな』とか、その言わない気遣いが、子供にとって、重荷かもしれませんよ。内緒にすることで子供はお父さんに不信感をもつかもしれません」
かんで含めるように話す関谷医師に、どうしたものかと黙りこむ筆者。刑事ドラマなら、そろそろ容疑者が、「……殺すつもりはなかったんです」と自供を始める頃合いである。
実際、「オレ、もう全部(娘に)言っちゃいます!」と喉まで出かかったが、「お嬢さんが中学生くらいになると、もう職業うんぬんじゃなく、洗濯物を別にしてくれとか、近くに寄るなとか、父親を避けたり表面的には反発することが増えてくるかもしれませんよ。それは、心から嫌いになっているわけではなくて心の底では父親を気にしているんです。でも、そのときもしお悩みでしたらおいでください」という身も蓋(ふた)もない関谷節に、いったんゴクリとのみ込んだ。
“ルネサンス”を代表する劇作家、シェイクスピアの名ぜりふになぞらえるなどおこがましいが、いまだ「言うべきか言わざるべきか」という地点で立ち往生している筆者。
「長女の20歳の誕生日にワインで乾杯した後、正体を明かそう!」とかつて思い描いた夢のプランも、大幅な前倒しを余儀なくされそうだ。
Xデーが、5年後なのか、3年後なのか、それはわからない。
……たぶん、今年の秋だろう。
山田ルイ53世
お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当。「新潮45」で連載した「一発屋芸人列伝」が、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞 作品賞」を受賞。近著は『パパが貴族』(双葉社)。