現在チームは活動休止中だが、選手たちはそれぞれコンディション維持や、今しかできない活動に励んでいる。今回は自宅にいる選手たちをつないだTV電話企画を実施。荻原拓也が話し相手に指名したのは先輩の長澤和輝だった。
――今回は荻原選手たっての希望で、おふたりの対談をすることになりました。長澤選手にいろいろ聞きたいことがあるんですよね?
荻原
そうですね。カズキくんは大学からJリーグを経由せずにドイツに渡って。そういう決断力とか実行力とか、うまく言えないですけど、とにかく憧れています。
長澤
嬉しいね。オギとは最近すごく話すようになって。一緒に走ったり、互いのサッカー観を語り合ったりして、似たようなことを考えているのが分かった。オギは去年の年末、本場のサッカーを見たいということで、ひとりでドイツに渡ったでしょ。言葉もまったく分からないのに。
ああいう行動は簡単じゃない。オフを返上してでも自分の夢の舞台を自分の目で確かめたいっていうところに、個の強さとか、向上心を感じたよ。今日はなんでも聞いてよ。
荻原
ありがとうございます。でも、なんか恥ずかしいな(笑)。じゃあ、改めてカズキくんが大学からJリーグを経由しないでドイツに行った理由を教えてください。
長澤
僕がオギの年齢の頃には、プロになれると思ってなかったし、コンビニでバイトをしながらサッカーをしていた。大学生だったから、みんなとお酒も飲んだし。でも、ユニバーシアード代表に選ばれて世界大会に出場したり、ドイツ遠征を経験したりしたのが大きかったかな。最終的にオファーを頂いて、チャレンジしてみようって。
荻原
僕も冬に10日間弱、ドイツで過ごしたんですけど、それだけでも大変だったのに、向こうでプレーするというのは、かなりハードルが高いと思うんですよね。しかも、大学から直接行ったというのが凄いなと思って。言葉の問題もあると思うし、大学とブンデスではレベルも全然違うだろうし、想像できないくらい凄い。
長澤
もちろん、行く前はプレーできるかなって思ったし、練習参加した時点で、すでにモノが違うことを感じていたから、大変なチャレンジになるだろうな、と思っていたよ。でも、人間って慣れる生き物だから。オギだって、ルーキーの頃はプロのスピードに面食らった部分もあったでしょ。でも、今は慣れて普通にプレーしている。だから、オギも海外でプレーするチャンスがあったら、臆せずトライしてほしいな。
荻原
ドイツで身についたものは、ありますか?
長澤
もちろん、たくさんあるけど、当時はドイツがブラジル・ワールドカップで優勝して世界チャンピオンになった時期だった。で、「日本はどうだったんだ?」ってよく言われるわけ。それで、食事なんかで日本人選手が集まると、日本のサッカーはどうしたら強くなるか、っていう話に自然となった。アイデンティティというか、日本サッカーへの想いみたいなものは、ドイツに行って、より強くなったかな。
荻原
なるほど。あとは……何聞けばいいかな……。
長澤
質問、考えておけよ(笑)。うそうそ、なんでもいいよ(笑)。
荻原
すいません。緊張しちゃって(苦笑)。あと、カズキくんはいい意味で、普通じゃないというか。他の人がやらないことをやっていて。大学院に行ったのもそうだし。じゃあ、大学院に行った理由は?
長澤
大学院って、すごく専門的なことを学ぶ場所で、僕が行ったのはトップスポーツビジネスコースっていうところ。僕ら選手って毎日練習して、週末に試合をするけれど、じゃあ、どういう風にお金が回っているかとか、日本サッカーはどう強化されているかとか、どうやってサッカーの普及を進めているかとか、全体の仕組みを俯瞰して理解するのは難しい。
逆に言うと、選手として現場の最前線でいろいろ肌で感じながら、俯瞰した勉強もできたら、スポーツをすごく理解できるんじゃないかって。引退したあともスポーツに関わっていきたいと思っているし。
荻原
なるほど。
長澤
あと、ブンデスでプレーした日本人選手って、まだ40人ちょっとしかいないんだよね。日本のサッカーをいかに強くするかを考えると、海外のトップリーグで活躍する日本人選手を増やすことが、それに繋がる。
僕が今からもう一度、世界のトップリーグを目指すと言っても年齢的に難しいけど、オギのように若い選手のサポートはできる。だから、自分が経験したこと、感じたことを残せたらなと。そのための論文を書きたいと思ったのも理由のひとつなんだ。荻原は、どうしていきたいと考えてるの?
荻原
いやあ、今はまだ先のことまで見えないですけど、自分の中では、かなり大雑把ですけど、長くやるというより、サッカープレーヤーとしての荻原拓也をたくさんの人に知ってもらいたい。プレースタイルはこれから変わっていくかもしれないですけど、とにかく誰もが知っているサッカー選手になって、自分の価値を高めたいと思っていて。そのためにも、自分のキャラクターを確立していきたいと思っていますね。
長澤
オギはバカなこともできるけど、自分はこういうキャラで行こう、って意外としっかり考えているよね。
荻原
そうやって冷静に分析されると、困るな(笑)
長澤
やりづらくなっちゃう?
荻原
まあ、キャラを作るというよりは、とにかく自分を出していく。ありのままとまでは言わないですけど、日本人は自分の殻に閉じこもる性質みたいなものがあるじゃないですか。でも、僕は自分を出して、周りにいい影響を与えられたらいいな、と思っています。
――年末にドイツに行ったということは、海外でのプレーも夢見ているわけですよね?
荻原
目標のひとつとして常に持っていますね、海外でプレーしたいという気持ちは。なので今、英語の勉強をやっています。毎日やっているので、この中断期間を利用して、早く喋れるようになりたいです。カズキくんは語学のほうはどうでした?
長澤
大学時代にスペイン語を勉強していたよ。大学の授業ではなく、家庭教師みたいな感じで先生と契約して。
荻原
へえ。なんで、スペイン語だったんですか?
長澤
Jリーグに行くんだったら、チームメイトにブラジル人選手もいるだろうし、ブラジルはポルトガル語なんだけど、スペイン語と似ているから、取っ掛かりとしていいかなと思って。別にスペインに行くという夢があったわけじゃなく。勉強するのが好きなタイプなんだよ。
それこそ大学3、4年のときは教職課程を受けていたし。けっこう忙しかったんだけど、その中でもトレーニングと両立させて、空いている時間に勉強する、みたいなことはずっとやっていたよ。
荻原
やっぱり大学に行ってよかったですか?
長澤
オギと違って僕は高校を卒業するときにJリーグのクラブから声が掛かるような選手ではなかったからね。大学に行くしか選択肢はなかった。でも、行ってみたら成長できたし、18から22歳の4年間って自分の考えがはっきりしてくる時期だから、この先輩の言うことはためになるなとか、この先輩のようになりたいなっていうビジョンが明確になったし、いい仲間と切磋琢磨して、いいサッカーができたから、大学の4年間はすごく財産になったと思っているよ。
――大学で教員免許を取ったうえでドイツに渡ったり、浦和レッズでプレーしながら大学院に通ったりする、長澤選手のような新たな価値観の先輩と出会えたのは、荻原選手にとって大きいんじゃないですか。
荻原
まさにそうで、尊敬しています。
長澤
オギは本当にポテンシャルが凄いし、英語を勉強したり、単身ドイツに渡ったり。こうしたプラスαの経験はあとあとになって必ず生きてくると思う。僕自身もそういう風にやってきて、あのとき頑張って良かったな、って思っているので。だから、オギのことはすごく応援しているよ。
荻原
ありがとうございます!
》後編に続く
(取材/文・飯尾篤史)