0-0で迎えた85分からピッチに立った6月26日のヴィッセル神戸戦で、関根貴大がJ1リーグ通算200試合出場を達成した。
任されたポジションはまさかの左サイドバック。決勝ゴールをもぎ取るための超攻撃的なシフトとはいえ、試合後の関根は苦笑した。
「200試合目にサイドバックで出るとは思いませんでした」
しかし、投入から5分後、ダヴィド モーベルグが直接フリーキックをねじ込み、喉から手が出るほど欲しかった先制点を手にしたあとの関根の行動は、注目に値する。
殊勲のモーベルグとともに多くのチームメイトがゴール裏に向かい、喜びを爆発させる一方で、関根はひとり冷静にセンターサークルの中に立ち、相手のキックオフを遅らせていたのだ。
その姿に、関根が浦和レッズで背負うものを感じずにはいられなかった。
2014年にトップチームに昇格したとき、末っ子の立場だった関根はある意味、無邪気だった。当時からちょっと大人びていて落ち着いたところがあったが、先輩たちに可愛がられ、ピッチ内では素直に喜怒哀楽を表現していた。
だが、ヨーロッパで2シーズン揉まれ、19年夏にレッズに復帰したものの、AFCチャンピオンズリーグ2019の決勝で敗れるなど悔しさを味わった。昨シーズン限りで苦楽をともにした先輩たちが去り、浦和を背負う覚悟が固まって以来、かつてのような笑顔をピッチ内で見せる機会が少ない。
6月18日の名古屋グランパス戦の36分、関根は伊藤敦樹との鮮やかなワンツーからチーム3点目をマークした。関根にとって嬉しい今季初ゴール。しかしこのときも、1点目、2点目を決めたアレクサンダー ショルツと伊藤が弾けるような笑みをこぼしたのとは対照的に、喜びを身体全体で表現することはなかった。
そのときの心境を、関根が振り返る。
「ゴールがなかなか決められないことにもどかしさがありました。表現は難しいけど、『ようやく取れた1点』という気持ちでしたね」
もっと無邪気に、感情を表してもいいのでは?
そう思ってしまうが、それは第三者の勝手な言い分だろう。今シーズンの低迷に責任を感じているからこそ、ようやく決めた自身の初ゴールも喜べないし、ぎりぎりで生まれた先制ゴールも、勝利が確約されていない以上、喜べない。
それはやはり、関根が本当の意味で、浦和を背負っている証だ。
レッズの育成組織出身で、レッズのユニホームをまとってJ1の試合に最も多く出場したのは宇賀神友弥で、293試合。原口元気は167試合だったから、気づけば敬愛する先輩の記録も抜いている。
あらためてJ1リーグ通算200試合出場の感想を問われた関根は、こう答えた。
「長かったですし、300試合、400試合と出ている選手は本当に偉大だと感じます」
まだ27歳の関根にとっても200試合は単なる通過点にすぎず、順調に積み重ねていけば3年後には300試合、6年後には400試合に達しているはずだ。そのすべてのゲームで関根がレッズのユニフォームをまとっていることを、レッズのファン・サポーターは信じ、願っているに違いない。
(取材・文/飯尾篤史)
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