人生の節目、節目に浦和レッズがある。
“サッカーのまち”にある浦和レッズが描く未来だ——。
昨年からさいたま市浦和区で小学生を対象にした企画が始まった。入学した小学1年生全員に、入学祝いとしてクラブのグッズと観戦招待チケットをプレゼントしている。
同時に小学6年生にも卒業祝いとして、同様のプレゼントを届けている。卒業後に記念として浦和レッズのホームゲームを観戦してもらおうという狙いがある。
それはすなわち、小学生になった始まりと終わりに、浦和レッズが彼らの人生に登場することになる。
ホームタウン担当の森俊之さんが、クラブの根底にある地域への思いを語ってくれた。
「サッカーをやっている子どもは多いですが、サッカーに興味がない子どもたちにも浦和レッズを知ってもらいたいし、浦和レッズを好きになってもらいたい。
もっと言えば、浦和レッズがある町に生まれてきたことを感じてもらうには、一度、スタジアムに来てもらうことが大事なのではないかと考えていました」
ホームタウン担当として、さまざまなイベントに参加し、チラシを配るなど、いわゆる草の根の活動をしてきたから感じることがあった。
興味のない人にいくらチラシを配ったとしても、必ずしもスタジアムに来てもらえるわけではない。招待という形式であれば、その可能性や確率は高くなるのではないか——。
「チラシを配ったり、言葉で伝えたりするよりも、実際に一度、スタジアムに足を運んでもらい、会場の雰囲気や試合を見てもらったほうが、感じてもらえるものはたくさんあるはず。そこにアプローチしたかったんです」
思いを届ける相手として、小学1年生と6年生を対象にした経緯については、同じくホームタウン担当の黒岩美幸さんが教えてくれた。
「その人の人生における記憶に残るところに浦和レッズがいることが、クラブを知ってもらうきっかけとしては大きいのではないかと思いました。さらに、お祝いという形であれば、学校の先生や保護者の方たちにも受け入れてもらいやすいとも考えました。
そうした背景から入学と卒業のお祝いとして贈らせていただくようになりました。子どもたちが成長する過程で必ず通る道に浦和レッズがあったらいいなと」
ただし、実現するには学校側の理解を得なければならなかった。区内の校長会に出席し、意図や趣旨を説明すると、全員に賛同してもらえて企画を進めることができた。
黒岩さんが感謝の言葉を口にする。
「この企画も校長先生はもちろんのこと、教頭先生や担任の先生方の理解があって成り立っています。私たちがやりたいという思いだけで実現しているわけではなく、周りの人たちの協力と理解があってできていること。そこに感謝しながら続けていければと思っています」
昨年は浦和区だけだったが、2年目となる今年は緑区にまで広がった。学校や子どもたちにも喜ばれている証拠だろう。
そこにはおそらく、クラブ側の努力や姿勢も影響している。
観戦招待チケットは、詳細が印刷されたチラシから手続きする仕組みになっている。生徒1人ひとりにチラシを配布してもらえればいいため、各小学校に郵送すれば、ことは済んでしまう。
しかし、森さんと黒岩さんはそうはしなかった。郵送するのではなく、各小学校に自ら足を運び、直接、校長先生や教頭先生に手渡しすることを選んだのである。
そこにはまた、コミュニケーションが生まれる。地域、ホームタウンとつながるきっかけであり、瞬間だった。
黒岩さんが続ける。
「他にもいろいろなイベントや事業などで、学校を訪問する機会もあったので、顔見知りになっていた校長先生からは、記念に贈呈した写真を撮りましょうかと言ってくれるところもありました。特に埼玉スタジアムに一番近い美園北小学校では、校長先生が自ら贈呈式をやりましょうと言ってくださって、学年を代表して男子児童と女子児童がひとりずつ校長室に来てくれたんです。
男子児童からは『卒業してもがんばります』という言葉を、女子児童からは『これまでもいろいろな場面で浦和レッズに関わることができてうれしかったので試合も見に行きたい』という言葉を聞けて、それはもう励みになりました」
森さんもその言葉に続く。
「小学1年生のお祝いを届けたときも、直接、渡してくださいと言ってくれた学校もあったんです。各クラスを回って、子どもたちの前で話しをする機会をいただけて。僕のことを選手と勘違いした子はいないと思いますが(笑)、直接、渡せた機会はうれしかった」
コロナ禍になって、もう3年目になる。サッカー界も大きな打撃を受けたが、子どもたちは一度しかない大切な思い出を作る機会が失われていた。だから——。
黒岩さんが思いを明かす。
「小学校に足を運ぶたびに子どもたちの生活が制限されていることを聞きました。学校行事が次々に延期、中止になってきたなかで、思い出づくりの一つに浦和レッズがなれたならという思いもこの企画には込められていました。
家族旅行に行く機会も失われたなかで、家族でスタジアムに来てもらえたらなと。コロナ禍で始まったことではありますけど、これからも継続していきたいですね」
黒岩さんの言葉を聞いた森さんが続けた。
「招待チケットがゴールではなく、次もまたスタジアムに足を運んでもらいたいんですよね。クラブとしてはハートフルクラブの活動として小学校に足を運び、『こころ』を育んでいる。今はオンラインですけど、選手たちがレッズ先生として『夢』を語っている。
その根底には、サッカーのまち浦和とどうして言われているのか、彼らが生まれた町にはサッカーの歴史があり、その背景から浦和レッズがあることを知ったうえで観戦してもらえたらいいなと。そうしたサイクルを作ることで、より浦和レッズがこの町にある意味を感じてもらえたらと思っています。先は長いかもしれないですけどね」
この活動の効果を実感するのは10年後、20年後なのかもしれない。
あのときのお祝いをきっかけに僕は、私は浦和レッズのサポーターになったんです。それこそが、彼らの人生の節目、節目に浦和レッズがいた証になる。
(取材・文/原田大輔)