特別な人の言葉は、心に響く。
「もっとできるだろ」
3月17日の北海道コンサドーレ札幌戦後、相手ベンチから出てきて、愛のあるハッパをかけてくれたのは、FC琉球時代に1年半ともにプレーした大先輩である。
その背中から多くのことを学び、直接アドバイスももらった。今もその一つひとつを胸に留めている。浦和レッズの小泉佳穂にとって、小野伸二は幼少期からのヒーローだ。シルクタッチとも言われる柔らかいボールコントロールには幼いながらに感銘を受けた。
「レッズ時代のプレーも見ていましたし、背番号18(2006年)を付けていたことも知っていました。だから、レッズに移籍が決まり、僕が18番を付けることが分かったときは、素直にうれしかった。周囲やメディアの方にもいろいろ言われましたけど、誰よりも喜んでいたのはこの僕だと思います」
小野との出会いは、サッカー人生を変えた。
同じチームでボールを蹴るようになると、憧れの人は尊敬すべきアドバイザーのような存在になった。小泉は名門の前橋育英高から青山学院大に進み、J2の琉球に加入。プロ入り直後は自信を持ってプレーできなかったものの、ことあるたびに小野から前向きな声をかけられた。
「自信を持ってプレーしろ。お前はもっともっとできる」
まるで魔法の言葉のように効力はてきめんだった。徐々に意識は変化し、積極的にトライするようになっていく。
「腰の引けたプレーをしないようになりました。チャレンジすることを止めてはいけませんね」
自らの可能性を信じ、向上心を持って戦ってきた結果、成長速度は早まった。
琉球2年目の昨季はJ2リーグでも目を引く存在となり、今季から浦和レッズに移籍加入。一気にJ1の舞台まで駆け上がってきた。
トップカテゴリーのピッチに立っても、果敢に挑む姿勢は変わらない。すぐにリカルド ロドリゲス監督の信頼を勝ち取り、リーグ開幕戦から5試合連続で先発出場。いまや攻撃陣の軸となっていると言っても過言ではない。
狭いスペースでくるりと前を向き、勇気を持ってスパンと縦パスを入れる。自信にあふれた堂々たるプレーぶりは、目を見張るばかりだ。
それでも、ピッチを一歩出ると、謙虚な姿勢を崩さない24歳の青年。ゴールドの派手な髪色に違和感を感じるほどだ。受け答えも落ち着いている。インタビューでもひと呼吸を置き、物静かな口調でゆっくりと話し出す。
「自信はそんなにないですよ。中盤の浮いた位置でパスを受けて、チームのリズムをつくるところでは、自分の良さは出せていると思いますが、まだまだです。ゴールに直結する決定的な仕事ができていませんから。正直、手応えを得ているとは言えないないです」
むしろ、毎試合のように課題が見つかる。いまの自分に足りないことが、次から次に頭に浮かんでくる。
攻撃面ではボールを失う回数を少しでも減らし、守備面ではボールを奪う回数を増やすこと。そのために取り組むべきことは明確になっている。要所でワンタッチプレーを入れ、ファースタッチの置きどころにも気を使う。ボールを受ける前のポジショニングも改善点。目標はトライしながらもボールロストをゼロにすることだ。
「常にリスクとリターンは、天秤にかけています。リスクを恐れていないように見えるのは、本来、成功させるはずのプレーなんです。それは成功させないといけない。無理なリスクを負って、ボールを失っていたら意味がありません。判断の精度をもっと高めていきたいです」
ただ危険を恐れていると、前に進むことはできない。小泉は自らに言い聞かせる。
「現状を維持しようとすれば、相対的に落ちていくと思います。いまできていることを一度壊して、高めていく作業も必要です。一流になるためにはプラスアルファを積み重ねていかないといけません」
チャレンジを続けていく価値は、趣味の一つである将棋の世界からも学んだこと。埼玉県出身で国民栄誉賞を受賞したプロ棋士、羽生善治さんの言葉は、同じ勝負の世界で生きる者として参考にすることもある。
著書は読み漁った。かつて日本代表を率いた岡田武史元監督(現FC今治オーナー)との対談をまとめた一冊は興味深かった。
「たとえ、結果を出しても、新しい挑戦を続けていかないと、それ以上の成長はない。これは将棋の世界だけはなく、サッカーにも通じるものがあります。僕も常に新しいテーマを持って、練習から取り組んでいこうと思っています」
トライ・アンド・エラーを繰り返す先には、理想とするフットボーラー像がある。浦和レッズのエンブレムを胸に付けている以上、結果を求められるのも百も承知だ。
「チームを勝利に導く選手こそが、最も価値が高いと思います。自分が出ている試合は、すべて勝つ。それくらいの気持ちで戦っていますので。チャレンジしながら結果も出します」
新しい18番の言葉には、覚悟がにじんでいた。挑むことを止めない求道者は、ここからさらに大きくなっていくはずだ。
(取材/文・杉園昌之)