西川周作の表情がこわばっていた。
「ようやく来られましたよ。もう5、6年ぶりですし、この数年は早く行きたいとずっと思っていましたから。楽しみです」
マスクで覆われた口元は見えない。だが、どうも目が笑っていない。笑顔がトレードマークの彼だが、言葉と表情は裏腹だった。
8月9日、西川はチームメートの堀内陽太とともに、埼玉県立小児医療センターにいた。
新型コロナウイルス感染症が拡大し、日本だけではなく世界が未曾有の状況に陥っていた2020年6月、子ども用マスク3,000枚とハンドジェル72本を寄付したことから始まった西川と埼玉県立小児医療センターの交流。2021年、2022年のオンラインでの交流を経て、ようやく子どもたちと直接触れ合う機会が訪れた。
埼玉県立小児医療センターを訪れたこと自体は初めてではなかった。土田尚史スポーツダイレクターがGKコーチを務めていた当時、知人の子どもが埼玉県立小児医療センターに入院していたのだが、「シュウ、元気づけにいくから付き合ってくれ」と誘われたのが最初だった。
普段は笑っている西川だが、実は試合前にはいつも緊張するタイプ。そうは言っても、今回は緊張の種類が違う。
画面越しに見ていた子どもたちの状況を現実として受け止めなければならない。胸が痛むかもしれない。自身も親として感じる悲しみや切なさといった負の感情があるかもしれない。そして子どもたちや彼らの親の前でその感情が表情に出てしまったらどうしよう――。
実際にベッドでしか生活できない子どもたちの姿、それでも頑張っている姿を見ると、胸が締め付けられる思いだった。自分も親として、彼らの親御さんたちの気持ちも慮り、言葉には言い表せない感情になった。
しかし、気付けばいつもの自分らしい笑顔になっていた。
病院内にある患児家族用の滞在施設、さいたまハウスのハートフルカート(入院中の子どもたちとそのご家族をサポートする日用品やおもちゃを配布するためのカート)を押しながら、昭和の叩き売りのように子どもたちを呼び、サイン入りグッズをプレゼントしながら交流していると、緊張は解け、自然と笑みが溢れた。
「みんなの反応は、はっきりと覚えています。普通の反応ではないというか、目がキラキラしていて、本当に喜んでくれていることが伝わってきました。自分たちが頑張る姿を見てくれていて、会えたことを喜んでくれました。自分たちがパワーを与えるつもりで行きましたが、みんなにもっと喜んでもらうためには自分たちがもっと頑張らないといけないと身が引き締まりました」
ある病室に向かうと、2組のレッズサポーターがいた。ひとりの少年は、西川と堀内に何度も頭を下げながら、来てくれたことやプレゼントを渡してくれたことに感謝した。
そしてもうひとりの少年。西川にとっては彼の父親と共通の知人を介して知り合った。彼はレッズサポーターの父の影響もあったのだろうか、幼い頃からサッカーをしていたという。だが、大病に侵されてしまった。
西川は少しでも励みになればとメッセージを送っていたが、直接会うのは今回が初めて。普段から浦和レッズのユニフォームを着ているその子は、西川と堀内を目にすると混乱した。
挙動不審になり、言葉でない言葉が口から出てくる。西川や堀内を見ながら、治療によって脱毛した頭をこするようにしながら抱えていた少年を見て、父親は「帽子をかぶろうか?」と聞いた。
「違う、パニック」
むしろ恥ずかしさなんてないようだった。治療によって脱毛した頭も手術によって傷がついた足も、西川たちに堂々と見せていた。
特に足は、切断しなければいけない可能性があったという。それは西川も聞いていた。だが、ベッドに座る少年には、大きな傷がありながらもしっかりと両足がある。その傷さえも、西川や堀内に誇らしく見せていた。
父親は言う。
「西川選手と連絡を取ってからです。車椅子が松葉杖になり、今は杖で歩けるようになりました」
西川が去ると、少年はパニック状態から我に返ったのだろうか。それとも彼らと話をする際には気丈に振る舞うよう努めていたのだろうか。目には今にも溢れそうなほどの涙を浮かべていた。
父親は少年の様子を見て笑っていた。ただ晴れやかなのではなく、くしゃくしゃな笑顔だった。それは彼自身がレッズサポーターとして西川に会えてうれしいわけではないことは、聞かずとも理解できた。
その様子を西川は知らない。伝え聞いた西川は、「本当に?」と目を丸くした後、「そんなことを聞くともう……うれしいですね。また会いにいきたいですね」と文字通りの満面の笑顔を見せた。
さいたまハウスでは、肝移植家族会と交流した。さいたまハウスも埼玉県立小児医療センターの院内にあり、2020年9月からクラブが運営委員に就任しているのだが、西川には個人的に自宅近所の郵便局にさいたまハウスでボランティアをしている方が在籍していたという偶然の出会いもあった。
それからオンラインやメッセージでさいたまハウス、肝移植家族会との交流が続いていたのだが、今回ようやく直接会うことができた。
さいたまハウスでも、それぞれの家族と写真を撮るなどして交流すると、興奮して全身で喜びを表現する子どももいた。
西川と埼玉県立小児医療センターの交流のきっかけと言える土田SDは、「周作は今でも交流してくれているんだよね。何も言ってこないけど、押し付けがましく言わないのが周作らしい」と目を細め、「周作もいろいろなことを感じただろうけど、感謝しなければいけないことはいっぱいあるよね。自分たちにできることもいっぱいあるよね」と真剣な表情で語った。
堀内もまた真剣な表情で、埼玉県立小児医療センターやさいたまハウスを訪問した感想をこう語った。
「実際に来てみないと分からないことがたくさんありました。子どもたちのためにいろんな人が働いていて、たくさんの人が支えている。実際に来て、見て、『こんなことをやっているんだ』と身に染みて分かりました。僕もいろんな人に支えられていると改めて考え直しましたし、もっと頑張らないといけないと思いました」
それは、西川が堀内に感じてほしいことのひとつであり、2021年は大久保智明、2022年は木原励(AC長野パルセイロに期限付き移籍中)、そして今回の堀内と浦和レッズでプロキャリアをスタートさせた1年目の選手を誘い続けている理由でもある。
肝移植家族会を代表して謝辞を述べてくださった方は、それまで以上に語気を強め、最後にこう伝えた。
「ふたりは、私たちのヒーローです」
その言葉を聞いて、西川は体がキュッと引き締まったことを感じた。みんなを元気付けるために来たつもりだった。実際に喜んでもらえた。想像以上だった。ただ、もっと喜んでもらうためには、もっと活躍しなければいけないとも思った。
「『この前、来てくれた選手が活躍している』と思ってもらうためにも、もっと頑張らなければいけない。『この前の活躍見ましたよ』と言ってもらうためにも、また会いに行きたい。プロサッカー選手としての『価値』があるうちに、できるだけ会いに行きたいです。クラブや病院、多くの関係者たちに協力してもらわなければいけませんが、喜んでもらえるなら何度でも行きますよ!」
西川周作の表情はいつもの全快の笑顔だった。
(取材・文/菊地正典)