ファン・サポーターで混み合う埼玉スタジアムのコンコースを、軽やかに犬が歩いていた。
スタッフに案内されるパートナーを誘導するように階段を駆け上がると、座席の下にちょこんと座った。
任務を終えた犬の表情は、どこか誇らしげに見えた。
5月21日に行われたJ1リーグ第14節の鹿島アントラーズ戦で、浦和レッズは身体障害者補助犬ユーザー、いわゆる盲導犬ユーザーに観戦体験の場を提供した。
視覚障害者であり、盲導犬ユーザーである田中さんの声を聞けば、その興奮と感動は否が応でも伝わってくる。
「目が見えていた頃はテレビでよくサッカー観戦をしていたのですが、目が見えなくなってからはスタジアムに足を運ぶことはかなりハードルが高かったので、実際にこうしてスタジアムで試合を観戦できるのは本当にうれしいですね」
きっかけは1年前だった。
2021年シーズンが始まって間もない頃、盲導犬ユーザーが来場した。しかし当時はスタッフに知識や見識がなく、適切な案内をすることができなかった。
「ひとりでも多くの方に、浦和レッズを好きになってもらい、応援してもらう楽しみを提供したい」
盲導犬ユーザーに対して安心かつ安全で快適な観戦環境を提供できなかったことは、クラブの理念に反しているのではないか。
ここでクラブは、ただ反省するのではなく、改善しようと行動に移した。
公益財団法人日本盲導犬協会に連絡し、埼玉スタジアムにて「盲導犬受け入れ・視覚障害者サポートセミナー」を実施してもらった。
セミナーを担当した日本盲導犬協会の山本ありささんが言う。
「クラブスタッフの方や埼玉スタジアムの職員の方も含めて参加していただき、盲導犬とそのユーザーの方について学んでもらうと同時に、実際に席へとお連れするレクチャーもさせていただきました。
コロナ禍の影響もあり、そこから時間は経ちましたが、今回、初めて実際に盲導犬ユーザーの方をお呼びして、試合を観戦してもらう運びになりました」
鹿島戦には、5組の盲導犬ユーザーが観戦に訪れた。
うち4組が同伴者なしでパートナーである盲導犬とともに家から埼玉スタジアムまで足を運んだという。前述の田中さんもそのうちの一人だった。
「スタッフの人が声を掛けてくれてからは、席まで非常にスムーズに来られました。不安だったのはそれ以前で、音や雰囲気でこの辺りが(埼玉スタジアムの)南門なのだろうということは分かったのですが、スタッフの人がどこにいるのかが分かりませんでした。
一般の人に声を掛けてしまったところ、その方がスタッフを呼んで来てくれて対応してもらいました。そういうときにスタッフの方から積極的に声を掛けてくれたら、もっと僕らとしては助かる。視覚障害者にとって、広い空間ではどこに何があるかが分からず、方向感覚がなくなってしまうので、そこでひと声かけてもらえるだけでも変わってくるのかなと思いました」
課題に取り組んだからこそ見えてきた、次への改善点と言えるだろう。
田中さんを誘導したスタッフに話を聞けば、彼自身は場外の担当だったというが、責任を持って席まで付き添う柔軟な対応を行っていた。
ファン・サポーターの誰かがスタッフに声を掛けてくれたように、みんなが障害を持つ方への理解を深めれば、誰もが観戦を楽しむことのできるスタジアムへと、さらに改善されていくはずだ。
盲導犬ユーザーの方たちは、アプリでラジオ放送を聞きながら、試合の状況とスタジアムの臨場感を同時に楽しんだ。田中さんは言う。
「実際に目でプレーを見ることはできないですが、ラジオを聞きながら試合の展開とスタジアムの臨場感を併せて楽しむことができる。雰囲気を感じられるだけでも、テレビなどとはまったく違う楽しみ方ができると思います。
盲導犬を持つということは、社会に少しでも参加できることにつながると思っています。杖だけでは行けなかったところに行ける可能性が広がると思って、自分は盲導犬を持つことにしたんです。
それでもこれまでは、なかなかサッカー観戦はできなかったので、今回、浦和レッズが僕ら盲導犬ユーザーを受け入れてくれたことが本当にうれしいんです。こうした機会は僕らの世界が広がるので、もっと、もっと受け入れてくれる場所が増えたらなと思います」
盲導犬協会の山本さんも言う。
「今回のような検証会を行ってくれた浦和レッズは首都圏のクラブですよね。そうしたリーディングクラブが率先して取り組んでくれたことは、他のクラブや団体、さらには他競技の後押しになるのではないかと思っています。
今日はその大きな一歩。これまでスタジアムなどでは盲導犬ユーザーの方が拒否されてしまうケースも多かったので、これを機会にどのスタジアムでも盲導犬同伴での受け入れが認知されて、盲導犬ユーザーが出掛けられる場所が増えたらいいなと思います」
さらに山本さんは言葉を続けた。
「障害者差別解消法をきっかけに、日本でも障害に対する考え方が変わってきていますよね。以前は目が見えない、見えにくいことが障害だと思われていましたが、見えないことで生活しにくい環境や設備が障害を作っているという考えになりました。
例えば、紙に書かなければいけないことや直筆でなければ手続きができない、ということが障害だったりするのです。音声や代筆でもOKになれば、決して目が見えない、見えにくいことは障害ではなくなるんです」
視覚障害者がサッカー観戦を諦めるのではなく、視覚障害者もサッカー観戦を楽しめる環境を提供すればいい。
誰もが楽しめるスタジアムを作るため、浦和レッズはまた一歩、前身した。
ひとまず任務を終えた盲導犬がおとなしく座席の下に寝転び、安堵の表情を浮かべていた。田中さんがスタジアムの音を感じながら、最後にこう言った。
「こうした機会を与えてくれた浦和レッズのことが好きになりました。これからも浦和レッズの試合を気にしていきたいと思います」
その言葉がすべてだった。
新たな一歩を踏み出した浦和レッズは、同時に新たなファン・サポーターを味方につけた。スタジアムへとユーザーを連れてきてくれた頼もしいパートナーとともに。
(取材・文/原田大輔)