大原サッカー場の芝生で日向ぼっこしていた鳩を眺めながらジョアン ミレッGKコーチは、ふとつぶやいた。
「うまそうだな」
母国に帰れば、自ら鳩を手際よくさばき、オーブンで焼いて食べるという。何も驚くことはない。スペインでは定番料理のひとつなのだ。GK陣は口をそろえて言う。
「ジョアンの自宅で食べる料理はプロレベルですよ」
J1リーグ通算600試合出場記念に食事会を開催してもらった西川周作は「すごいコース料理が出てきました」と感動し、その会に参加した吉田舜は本場のパエリアの味には驚いたという。
スイーツ好きの牲川歩見は「スイートポテトのようなデザート、チーズケーキはめちゃうまかったです」と絶賛。前菜、副菜、メインプレート、2種類のパエリア、デザートと至れり尽くせりだったようだ。
残暑が厳しい昼下がりのある日、ジョアンGKコーチを直撃すると、柔和な笑みを浮かべて、快く取材に応じてくれた。すると、開口一番から意味深な言葉が出てきた。
「私の料理は、GK練習と一緒でたくさんの秘密があります」
レパートリーは数え上げれば切りがない。パエリア、ガスパチョ、アヒージョ、トルティージャ、肉の煮込み、チョリソーなど、スペイン料理はお手の物。母親にみっちり仕込まれ、台所に入るのが当たり前の環境で育ってきたという。幼少期からいつも言われていた。
「いずれひとりで生活するのだから料理は覚えなさい」
素直で聞く耳を持っていたジョアン少年は、サッカー同様にメキメキと料理の腕を上げていったようだ。
幸い自宅には食材も豊富にそろっていた。カタルーニャ州で育った実家の家業はお肉屋さん。父親から豚、羊の解体を教わり、きれいに捌くこともできる。料理はただの趣味ではない。
「私にとっては、リフレッシュのひとつ。集中して料理をすることで、気分転換にもなるんです」
浦和レッズにGKコーチとして加入する際、家探しでクラブにオーダーしたことはひとつ。備え付けのオーブンがあること。
「それだけが私の希望でした。とても大事なポイントなので」
料理へのこだわりは、素人の域を超えている。豚肉の腸詰めは自家製。20日間干してつくるという。出汁も出来合いものではなく、元になる魚選びから始める。
ケーキ、パン、ラーメンの麺も小麦粉からこしらえる。これが秘密のひとつ。神蔵勇太通訳もあ然とさせられることがある。
「すべてゼロベースからつくるんですよ。ラーメンの豚骨スープをつくるのに8時間もかける人なので」
食材にも一切の妥協はない。料理に使用する肉は、つくば市の卸業者からキロ単位で仕入れている。いざ料理が始まれば、すべての仕事がきめ細かい。
「毎回、より高いクオリティーを再現するためには、細部にこだわらないといけない。GKが何歩、何メートル単位で動くように、料理も塩大さじ何杯ではなく、グラム数をきちんと計ることです。
正確な数字を出すことが大事。そうすれば、味付けも安定して質が高くなります。どのような過程を踏めば、いい味を出せるのか。その思考プロセスが楽しいんでしょうね。料理はサッカーにも通じるものがあります」
GKのトレーニングメソッドと同じである。こだわるのは忠実な再現性。さじ加減、なんとなくの感覚ではない。経験値から導き出された的確な数値こそが、良い味を出し続ける秘密なのかもしれない。
(取材・文/杉園昌之)