全体トレーニングを終えた大原サッカー場に、塩田仁史GKアシスタントコーチの声が響き渡る。
選手への指示の声でも、叱咤激励の声でもない。悔しがる声だった。
昨季まで18年間もプロのGKとしてゴールを守ってきた人物を悔しがらせていたのは……ブライアン リンセンだった。
リンセンが蹴ったボールがゴールの上下左右、あらゆる場所へと吸い込まれていく。
塩田も現役から離れて鈍っていた勘が少し戻ってきたのだろうか。いつしかシュートをセーブする回数が増えていく。すると、リンセンが放つシュートはさらに際どいコースへ飛んでいった。
「全然止められませんでしたよ。彼のシュートは速い」
そう話す塩田の目尻は下がり、口元はへの字に曲がっていた。スタッフとしてのうれしさとGKとしての悔しさが共存しているような表情に見えた。
リンセンとともにシュート練習していた江坂任も塩田に同調する。
「リンセンはシュートが上手ですね。威力がある」
ピッチ外で目が合うと、相好を崩して右手を上げたり、親指を立てたりしながらあいさつをするナイスガイ。同胞のアレックス シャルクには兄ではなく父親のように慕われるほど面倒見が良く、仲間思い。チームメートにも溶け込み、フランクに接している印象を受ける。
オランダではほとんどの人が母国語に加えて英語で不自由なく会話できるため、外国籍選手とのコミュニケーションで困ることはほとんどなかった。対して日本では、ボディランゲージを用いることもあるが、今のところチームメートとの関係性で困ることはないという。
それだけではない。ヨーロッパではチームメートに激しく要求することもあったというが、浦和レッズでは日本人の特性を見て感じ、聞いて学びながら日本人に合わせたコミュニケーションを取ろうとしているほどだ。
だからだろう、ピッチ外やレクリエーションの要素が強いトレーニングでは、チームメートと話すリンセンも、リンセンを見るチームメートも、笑顔を浮かべていることが多い。
しかし、ピッチでゴールマウスに向ける眼光は鋭い。シュートについて語る際にも、笑顔と謙遜を打ち消すと同時に、自尊心をのぞかせた。
「私はストライカーです。ゴールを決めることに固執しています。シュートがうまくなるためにはトレーニングが重要ですし、毎年1000本くらいシュートを打っています。才能に恵まれている人はいますし、私にもあるのかもしれない。でも、努力のほうが大事です。才能があっても努力しなければ実らない」
10月1日のサンフレッチェ広島戦ではその力の片鱗を見せた。
62分、レッズの選手として初めて公式戦のピッチに立つと、75分に「ピッチの中でも外でもかなりの時間を一緒に過ごし、サッカーのことも常に話している」間柄であり、リカルド ロドリゲス監督も「共存できる」と評価するキャスパー ユンカーから送られたパスを左足で止め、右足でシュート。GKが弾いたボールを今後は頭で押し込もうと試みた。
あくまで1つのプレーではある。ゴールを奪うには至らなかった。それでも、トラップからシュート、そしてこぼれ球への反応はいずれも、リカルド ロドリゲス監督が「かなり前からチェックしていた」と言うのも納得できるスピードだった。
さらに、自身のプレーで得たコーナーキックの流れから大久保智明のクロスを頭で合わせ、柴戸海のゴールをアシスト。レッズでの公式戦デビューでゴールを演出した。
ゴールに固執している。具体的な目標は持たないが、毎試合ゴールを決めたいと思う。ならばサッカーをプレーする上で最も重要であり、最もうれしいことは自らのゴールなのか。
「No」
リンセンは即座に否定した。
「常にチームが自分よりも上にいます。チームが勝つことが最も大事です。誰がゴールを決めようが、勝てばいいのです。僕はストライカーとしてゴールという結果が必要とされます。それはチームが勝つために必要なものです」
ゴールを決めれば充実感が得られる。ストライカーなのだから当然だ。だが、リンセンにとってゴールとは「チームを助ける」ためのもの。自分がゴールを決めた瞬間は歓喜するが、試合終了のホイッスルが鳴った瞬間にチームのスコアが相手を上回っていなければ悔しい。
だから、前線からの守備もいとわない。いや、前線からの守備はシュートとともに得意であり、「チームを助ける」ために重要でもあるとリンセンが思うプレーだ。
「自分は前からプレスをかけて相手からボールを奪い切ったり、味方がプレスに行ったあとをカバーして、組織的にボールを奪ったりすることを好むタイプです」
さらにリンセンは、好む理由をもう少しかみ砕いて説明した。
「みんなで助け合いながらボールを奪うことは、試合中の喜び、そしてエネルギーにつながっていくからです」
チームに合流して9日後のパリ・サンジェルマン戦で負傷したため、試合でチームメートを助けたり、喜びを感じたりすることはできなかった。
生き生きとトレーニングに臨んでいた仲間たちは、ハードスケジュールによって次第に体力を削られ、その影響でいくつかの試合を落とし、精神的にも苦しくなっていく。
その様子をリンセンは少し離れた場所から見ているしかなかった。
「さまざまな影響が選手たちのエネルギーを削っていったと思います」
苦しむ仲間たち。助けられない自分……。そのことを考えると、リンセンの表情は曇っていく。
「しかし……」
リンセンは続けた。
「良い結果がチームにとって良い力になることもあれば、結果が出ずに苦しむこともあると思いますが、メンタル的にしっかりとした選手ばかりだと感じています。ここから巻き返せると思っています」
巻き返せると感じる要因は、内部だけにあるのではない。広島戦で感じたもうひとつの力がある。
「ファン・サポーターの方々の期待は常日頃から感じています。広島戦でもファン・サポーターの方々の声は聞こえていました。レッズのファン・サポーターの方々の声を聞きながらプレーすることに興奮を覚えます。みなさんの声に背中を押される感覚が得られました」
リンセンが巻き返しを狙う今季の残りゲームは4試合。そのうち3試合は、まだ公式戦では経験していないホームゲーム、埼玉スタジアムでの試合だ。
「すべての試合にどのように臨んでいくのか。勝利を掴みにいかなければいけません。僕ら自身が勝利を欲しています。それだけではなく、ファン・サポーターの方々のためにも勝利しなければいけない。まだ自分がプレーできる確証はありませんが、試合に出られるなら、チームの勝利のためにプレーします。チームを助けるプレーがゴールやアシストになれば私もうれしいです」
「あれ以上に嫌な経験はない」というデビューわずか10分足らずでの怪我は当然、しないに越したことはなかった。だが、怪我をしたことで知ったこともあった。
「レッズには素晴らしいメディカルスタッフがいて、全員がしっかりとサポートしてくれます。チームメートも同じです。常にチームの一員であるという感覚にさせてくれていました」
加入して半年足らずだが、だから、もうレッズに愛着が湧いている。そしてさらに、愛着を深めようとしている。
「残り4試合でタイトルには手が届きません。ですが、チームのためにプレーすることに幸せを感じている様子をファン・サポーターの方々にも見ていただきたいです。タイトルが懸かっていなくても、みなさんを喜ばすことができる。それを証明したいです。だから多くのファン・サポーターの方々にスタジアムに来てほしいです」
公式戦での埼スタデビューが期待より遅くなってしまったことは残念ではあるが、もう過ぎ去ったこと。まずは今年の残り4試合で自身の力を証明するために、仲間たち、クラブ、ファン・サポーターのために力を尽くす。
さあ、準備は整った。
(取材・文/菊地正典)