小走りでタッチライン沿いまで駆けてきた守田英正に代わり、初めて青いユニフォームに袖を通した伊藤敦樹がピッチの中へ入った。
感慨深い日本代表デビューだった。流通経済大学の中野雄二監督は、6月15日のエルサルバドラ戦で2人の教え子がハイタッチを交わす場面を見て、心を打たれたという。
「あまり人には言ったことはないですが、あんなにうれしいシーンはなかったです。2人とも年代別日本代表に入ったことはなく、大学で大きく伸びた選手ですからね」
伊藤は大卒1年目から浦和レッズの主力として活躍し、プロ3年目を迎えた今季は本人が理想とする『ボックス・トゥ・ボックス』のボランチになりつつある。
6月に代表初キャップをマークし、9月には代表初ゴール。いまやコンスタントに代表に招集されている。
大学時代の恩師は、右肩上がりで成長していく伊藤の姿を見ていると、3年前のことを思い出すという。
2020年9月2日、天皇杯・茨城県決勝の筑波大学戦。会場のケーズデンキスタジアム水戸には、レッズの強化担当者が顔をそろえていた。
試合後、すぐに伊藤を車に乗せ、そのまま浦和に連れて帰るつもりだったのだ。
「事前にクラブと話し合いを済ませ、大学側も了承していました。ただ、筑波大に負けて天皇杯の出場権を逃すと(●1-2)、敦樹がロッカールームで泣きながら言うんです。『レッズの練習参加をキャンセルしてもいいですか。大学に残って、チームメイトと一緒に練習したいんです。僕だけプロの練習に行くわけにはいかない』って」
試合は伊藤のミスで負けたわけではない。それでも、キャプテンマークを巻き、センターバックとして出場した責任を感じていたのだ。
中野監督は本人の意思を尊重し、レッズのフットボール本部に事情を説明。特別指定選手として、Jリーグの公式戦に出場する可能性もあったものの、練習参加を見送ることにした。
いまあらためて振り返っても、責任感の強い伊藤らしい決断だったという。
「普通の選手であれば、自分の将来のことを考えて、内定しているプロの練習に行きますよ。でも、敦樹は違った。『僕はキャプテンとして、このチームですべきことがあります』と言うんです。彼の力強い言葉を聞いたとき、『コイツは変わるな』と思いました。もしかすると、あそこがターニングポイントの一つだったかもしれないです」
2023年11月4日、国立競技場の地下で目元を押さえ、言葉を詰まらせる伊藤を初めて見た。
代表に招集されていたため、YBCルヴァンカップ準々決勝、準決勝の4試合とも欠場。ファイナルの舞台には特別な思いで臨んでいた。
試合後、報道陣でごった返すミックスゾーンでチームへの思いについて話そうとした瞬間、一度はぐっとこらえたものの、涙が頬を伝った。
「僕はチームに連れてきてもらいました。(それなのに)この素晴らしい雰囲気、こういう試合で、こういうプレーしかできない自分が悔しくて……」
チームに対する責任感は、昔も今も変わらない。そしてまた、涙を流した分だけ強くなるはずだ。
(取材・文/杉園昌之)