「マチェイ スコルジャ監督も俺も来たばかりで、そこで良いスタートを切ることができるかどうかが今のチームにとって大切だと思っていた」
「いろんなところでいろんな人が『お帰りなさい』と言ってくれた。だけど自分の仕事を考えたら、ピッチでサポーターと一緒に闘って、そして勝って、そこで初めて『帰って来たな』と思えた。その実感が、ようやく得られた瞬間でした」
「浦和にいたときは、浦和のためにという気持ちがすごく強くて、『こう』なってた」
「『浦和レッズ』という場所に、すごく執着していたんです。本当に心の底から、タイトルを獲って出ていきたかった。でも、それが簡単なことではなくて、もがいていた」
「世界は広くて、とんでもない選手がたくさんいて、そこでチャレンジしていきたいって気持ちになりました」
「だから――」と原口は続ける。
「いったん意識をその『世界』に集中していた時期は正直ありました」
「20代の頃は『いつでも帰って来い』と言われるときもあれば、『まだまだドイツで頑張ってくれよ』と言われることもあった。両方のニュアンスでしたね。30代になって、『帰って来てくれ』と本格的に誘われるようになった。『いつでも待ってる』ということは常に言ってくれていました」
「ホリさんがドイツまで来てくれるたびに、俺がその時々のレッズのサッカーを見て感じたことを、ふたりでよく話しました。そういうディスカッションはかなりしていましたね」
「いつかは再び、レッズで――」。
「正直なところ、ヨーロッパに残ろうと思えば残れた。でも、どこでプレーしたいか、どこで点を取りたいかと考えたときに、浦和のユニフォームを着ている自分と、埼スタの映像が思い浮かんできて――」
「そのときに、『やっぱり浦和だな』と思いました。ドイツで過ごす間に好きなクラブもできたし、長くいてもいいなと思えるクラブもあった。でも、心情的な部分で『すべてを懸けてこのクラブのために頑張りたい』と思えるようなところには、ヨーロッパでは出会えなかったかな」
「でも、帰って来たということだけで『美談』にされたくはない。これで終わりではないから」
「ドイツに行った当初は、バーッと世界が広がって、浦和レッズがすごく狭い場所に感じた時期もありました。でも、10年の間にいろいろなものを感じた末に、もう一度このエンブレムを付けてプレーするってことが、こんなに感情を揺さぶられることだとは思ってなかった。それってすごく幸運なことでしょ。だから、そんな特別な場所があって幸せだなと思う」
『井の中の蛙 大海を知らず』
「今でも世界を、その諺で言えば『大海』を知っているつもり。ここはバイエルン ミュンヘンでもレアル マドリードでもない――」
「だけど俺にとっては、世界で一番情熱を燃やせる場所。それがここ」だと。
(取材・文/小齋秀樹)