改めて勝利は細部に宿ることを知った。
AFCチャンピオンズリーグ(ACL)準決勝で、浦和レッズが見せた120分の同点弾も、PK戦での西川周作のセーブも、ホームである埼玉スタジアムだったからこそ手繰り寄せられたところがあっただろう。
浦和レッズというクラブ、さらに広義で見れば、日本サッカー界のアジアに懸ける思いが結実した決勝進出だった。
PK戦4人目のキッカーだった江坂任がシュートを決めた瞬間、大会の運営を担当していたスタッフのひとりである小出亮真さんは運営本部で思わず涙をこぼしたという。
「報われた……と思いました。今回、ノックアウトステージが埼玉県でのセントラル開催になったことで、クラブスタッフ全員が本当に大変な毎日を過ごしていました。まだ優勝はしていないですし、何かを勝ち獲ったわけではないですけど、決勝への進出が決まったことが本当にうれしかったです」
勝利への第一歩はノックアウトステージの招致にあった。小出さんは言う。
「JリーグとJFA(日本サッカー協会)からノックアウトステージを日本で開催しないか、という打診がありました。ただし、もし開催地が埼玉県になった場合には、浦和レッズが主体になって大会を運営していく必要があるとのことでした」
埼玉県内で開催するとなれば、会場は埼玉スタジアムと浦和駒場スタジアムになる。夏休み期間中の開催になるため、日程への懸念もあったが、予定を確認すれば2会場とも空いていた。
「それを受けて、チームの強化担当者や選手たちとコミュニケーションを取っていくと、やはりアジア(の大会)を勝ち獲るためには、ホームアドバンテージを得ることが強みになるのではないかと感じました」
再びアジアの頂点に返り咲く。その可能性を引き上げるためには日本開催、それも埼玉県での開催はミッションになった。浦和レッズは目標のため、大会招致に向けてすべてを加速させていった。
ただし、当然ながら他都市も立候補していた。最後まで争っていたのは、浦和レッズがラウンド16で激突したマレーシアのジョホールだった。
むしろ当初はジョホールが有力で、開催地決定の最終段階になっても五分五分との情報だった。
尽力してくれたのがJリーグとJFAだった。小出さんが感謝を言葉にする。
「浦和が本気で、『埼玉でノックアウトステージを開催するぞ』となってからは、JリーグとJFAも様々な働きかけをしてくれました。開催が決定してからも、入国手続きやVISAなど細々したところも含めて、AFC(アジアサッカー連盟)や各クラブへの対応をサポートしてくれました。
JリーグとJFAの協力がなければ、大会招致はもちろん、ノックアウトステージを円滑に運用することはできなかったのではないかと感じています」
埼玉県でのノックアウトステージ開催が決定したのが7月7日だった。それまでも目まぐるしい日々を過ごしていたが、開催決定に小出さんは思っていた。
「埼玉で開催することが決まってから、自分の感覚として決勝進出はミッションではなく、ノルマになりました。ホームでやる以上は絶対に負けたくないですし、必ず決勝のチケットを手にしなければと……」
開催までにはクリアしなければならないハードルがいくつもあった。そのひとつが浦和駒場スタジアムでは初となるACLの試合運営だった。
「埼玉スタジアムについては過去にACLの試合を運営していたので特段問題はありませんでした。一方で浦和駒場スタジアムではACLを開催したことがなかったので、一つひとつ課題を整理し、実施に向け取組みました」
まず、さいたま市、浦和駒場スタジアム側にハード面などでの理解と支援、協力をしてもらうことから始まり、そして試合運営については三菱重工浦和レッズレディースのスタッフたちに引き受けてもらった。
ここは浦和レッズというクラブの強み、総合力が最大限に活きたと言えるだろう。
「今回のノックアウトステージはクラブ全体で一丸となって取り組むことになっていたので、浦和駒場スタジアムでの試合運営は、三菱重工浦和レッズレディースのホームゲーム運営を通じて浦和駒場スタジアムを熟知しているレディースのスタッフたちが対応してくれました。
レディースのスタッフたちが、事前準備から当日の対応まで、きめ細かい仕事をしてくれたおかげで、大きなトラブルもなく試合を運営することができました。正直言って、僕らだけではその水準で運営することはできなかったと思います」
小出さんが「クラブ全体で一丸となった取り組み」と表現したのはスタジアムだけではない。大会期間中は試合だけでなく、練習場も用意しなければならなかった。
埼玉スタジアムの第2、第3グラウンドを提供したが、非公開練習を実現するため、練習中は周囲を目隠し用のシートで覆わなければならない。
そして練習が終われば芝の養生の観点から、風の通りを妨げてしまうシートを外さなければならず、この作業は日頃直接試合の運営に携わることの少ない部署のスタッフが総出で対応してくれた。
「トレーニング会場でもJリーグやJFAが協力してくれ、幅広くサポートしていただいたのですが、シートを張ったり外したりする作業については、コーポレート本部のスタッフが朝早くから夜遅くまで対応してくれました。そうした意味でもクラブ一丸となって勝ち獲った決勝へのチケットだったと思います」
準々決勝が埼玉スタジアムにてダブルヘッダーで行われることも懸念事項のひとつだった。
「最も思案しなければならなかったのが観客の席割りでした。浦和レッズのファン・サポーターについては、ホームアドバンテージを最大限に活かすためにも、北サイドスタンドを使用させてもらえるように、クラブとして全力でAFCに働きかけ、了承を得ました。
当初は試合ごとに観客を入れ替えることも検討していたのですが、多くの方に相談し、アドバイスを受け、初の試みでしたが観客席を4つのエリアに分割し、観客の入れ替えを行わないという運用のほうがスムーズに試合を運営できると判断し、AFCに打診しました。幸い承認も得ることができ、準々決勝はそうした形で開催することになりました」
小出さんの言葉を借りれば、ミッションではなくノルマを達成するために必須だったのが、「声出し応援対象試合」での開催だった。スタジアム収容定員は50%になるが、「クラブとしては声出し応援をなしにするという考えはまったくなかった」と小出さんは話す。
声出し応援対象試合として開催するには、Jリーグが定めたガイドラインに準じる必要があると同時に、自治体の承認も必要だった。
Jリーグの担当者もクラブスタッフと一緒に自治体まで足を運び、詳細を説明。声出し応援対象試合での開催を後押ししてくれたのである。
「日本での開催が決まった当初は、声援を送れないのであれば、ブリーラムで開催したグループステージのように声援が許される海外で試合を行ったほうが、選手たちの後押しになるのではないかという声も聞かれました。
それだけに、収容定員は50%でしたが、声出し応援対象試合として開催でき、ファン・サポーターのみなさんが最高の雰囲気を作ってくれたことが決勝進出に大きく影響したと思っています」
8月25日に行われた準決勝、平日の夜にもかかわらず2万3277人が足を運んでくれたスタジアムを見て小出さんは思っていた。
「本来あるべきスタジアムの姿だな」
そして、言葉を続ける。
「正直、ファン・サポーターのみなさんに勝たせてもらった、そんな思いでした。声出し応援もそうですが、僕らクラブがこだわったのはいつもどおりのスタジアムでした。セントラル開催の中でも我々のホームだという雰囲気を作り出すことができたら、選手も落ち着いて試合に臨めるのではないかと。その思いはきっとファン・サポーターのみなさんも一緒だったのではないかと、あの光景を見て感じました」
ひとつでも多くのホームアドバンテージを得るために、クラブはAFCにかけ合っていた。浦和レッズのファン・サポーターに北サイドスタンドから声援を送ってもらえるように働きかけたのも、選手たちにいつもどおりの埼玉スタジアムを感じてもらうためだった。
「クラブとして、こだわったところを挙げればゴールネットもそうです。8月18日のヴィッセル神戸対横浜F・マリノス戦は白のゴールネットでしたが、翌日の試合ではいつもの赤と白のストライプのゴールネットにしてもらいました。
他にも埼玉スタジアムのみなさんに協力していただき、選手動線上の装飾を浦和レッズの試合時だけ、Jリーグのときと同じ装飾に戻してもらいました。準決勝のベンチもそうです。レギュレーション上、ベンチの北と南を入れ替えることはできなかったので、今回、浦和レッズが使う南側のベンチに、普段北側に設置されている赤いシートを設置してもらいました」
ロッカールームにも浦和レッズはこだわっていた。ダブルへッダーだった準々決勝では、埼玉スタジアムにある4つのロッカーを4チームが同時に使用したが、浦和レッズはいつも選手たちが使用している部屋を確保した。
「ロッカーを出て右に行くのか、左に行くのかが違うだけでもいつもと何となく違う雰囲気を感じてしまうと思ったんです。だから選手たちにはいつもと同じロッカーを使って、いつもと同じ動線でピッチに入ってもらうことが大切だなと。もしかしたら、我々スタッフの自己満足に過ぎないのかもしれませんが、勝つためにできることは全てやろうと思いました」
そうした細部へのこだわりが、あの日のスタジアムの一体感を生み、選手たちの躍動を生んだのだろう。
大会を終え、AFCからは「素晴らしいホスピタリティと多くのサポートをありがとうございました」とのメッセージをもらった。小出さん自身は、英語は得意ではないと笑うが、AFCの担当者が掛けてくれた「ありがとう」の言葉が本心だったということは心で感じ取ることができた。
「浦和レッズはクラブ、チーム、ファン・サポーターが一体になると、ものすごい力を発揮すると言われていますが、今回のノックアウトステージではそれを表現できたのではないかと感じています。そこに今回は、JリーグとJFAも加わって、日本サッカー界として力を発揮できたことも本当に心強かった。日本としてこの大会を勝ち獲りに行くぞという思いがひとつになった決勝進出だったのではないかと感じています」
「でも」と言葉は続く。
「僕らはまだ、決勝に進出しただけなので、JリーグやJFA、埼玉県、埼玉スタジアム、浦和駒場スタジアムなど、今回力を貸してくださったみなさんに恩返しできるのはここから。優勝して初めて恩返しできたと言えると思います」
目まぐるしかった日々を終え、ひと息ついた小出さんは、クラブハウスに顔を出すと、強化担当者から早くも来年2月に行われる決勝についての話題を振られたという。それを聞いて同じベクトルを向いていることを強く実感した。
浦和レッズのACLでの戦いは続いている。目指す先はアジアの頂点にある。
(取材・文/原田大輔)