シャツを脱いだ彼の胸には、異様ともいえる大きな膨らみがあった。
「バド」と呼ばれる補助人工心臓装置が、そこには埋め込まれていた。
下腹部には穴が開き、そこから電気ケーブルが伸びていた。その先にあるバッグの中には、コントローラーとバッテリーが入っている。
29歳の若者の心臓は、24時間、機械に助けられて動いていた。
バッテリーの充電切れや機械の故障はすなわち、死を意味する。
そんな生活を送って、すでに3年が過ぎようしていた。
広島県広島市に住む森原大紀さんは、レスリングの国体選手にも選ばれた屈強な青年だった。
高校教師として生徒に寄り添い、海外へ移住するという夢もあった。それを一緒に叶えようとしてくれる、イギリス人の恋人もいた。
順風の人生が暗転したのは2015年、26歳の時だった。
原因不明の息切れが続き、精密検査を受けた病院で告げられたのは、「特発性拡張型心筋症」という聞いたこともない病名だった。
医師は続けた。「心臓移植しか、生きる道はない」。ただ、心臓の提供者が現れるまではかなり時間がかかる。それまでは今の心臓を機械で動かし続けるしかない。
「冗談だろうと。なんだそれ。心臓移植なんてテレビの世界のことじゃないのかと」
移植手術すれば助かる可能性がある。
すがるしかない希望が、途方もない道のりだということは、ほどなくしてわかった。
日本で心臓移植を待っている人はおよそ900人。そのうち、移植を受けられるのは年に60人程度。大紀さんはこの時、その列に並んだのだった。
何年かかるのか。それまで僕の身体は、そして補助人工心臓装置は、持つのか。
一人の若者はやがて、自分の命を懸けて日本の臓器移植の現状を変えようと立ち上がる。
突然の発症 支えてくれたのは…
特発性拡張型心筋症は、約1万人に1人が発症する難病で、心臓を動かしている筋肉が弱くなる疾患だ。突然発症することも多く、ほとんどの原因は分かっていない。
病状は、すでに進行していた。皮肉にも、ハードなスポーツをこなし、体力があっただけに発覚が遅れてしまったのだ。
考える余裕さえないままに、補助人工心臓装置を体に埋め込む手術をすることとなった。
文字通り、命がけの大手術となった。
大好きな彼女と外国に移住するという夢が消えていく。愛するレスリングも、もうできない。
当たり前のように続くと思っていた日常が、当たり前ではなくなった。
イギリス人の恋人・リンジーさんには、こう伝えた。「ごめんね。故郷(くに)に帰ってもいいんだよ」
彼女から返ってきたのは、思いがけない強い言葉だった。
「(故郷へ帰るなんて)あなたに決められる筋合いはない。自分がどうするかは自分で決める」
言葉はこう続いた。
「私はあなたを支えたい。それが私のミッション」
ほどなくして二人は、夫婦となった。
海外と比べ愕然…周回遅れ 日本の移植医療
知れば知るほど、日本の移植医療をめぐる現実は厳しいものだった。
リンジーさんは故郷イギリスとの違いに愕然とした。イギリスにいたとき、6ヵ月待てばできていた移植手術。それが、日本では約3年4カ月も待たなければならない。(2021年・日本臓器移植ネットワーク)。日本では、臓器移植の提供者数が圧倒的に足りないのだ。
100万人あたりの臓器提供者数は、移植先進国のアメリカやスペインの約60分の1に過ぎない。同じアジアの韓国に比べても15分の1と極端に少ない。
待機期間中に、機械の傷口から感染症にかかったり、脳卒中になったりと、様々な不具合が起こり、移植の順番を待たずして、亡くなってしまう人は少なくない。
移植を待つほとんどの患者は病床で日々を過ごすが、幸い、大紀さんは補助人工心臓装置さえ身に着けていれば外出することもできた。
現状を少しでも変えるため、大紀さんは行動を始めた。
移植医療の普及・啓発の「グリーンリボン」の活動に参画し、小学校などをはじめ、講演を請け負うようになった。
子供には、こんな風に語り掛ける。
「いっぱい泣きました。なんで自分がって。毎日、御飯が食べられるってすごいことなんだよ。それから家族の存在のありがたみを感じました。一人じゃないんだと」
家族への感謝を述べる大紀さんの視線の先にはいつも、リンジーさんとそして、母・ゆう子さんの姿があった。
家族が抱く複雑な想い
大紀さんは補助人工心臓装置のバッテリー交換などで、24時間の介助が必要だ。
働いて家計を支えるリンジーさんに代わって、昼間は母・ゆう子さんが付き添うことが多い。
大病と向き合う息子に対し、母はこんな風に思っていた。
「手の間からこぼれていきそうな砂をすくっているような、何とも言えない不安の中にいました。ただ、絶対に救ってやろうという気持ちが強かった。救える命を、手放せない」
移植を待ちわびる一方で、ゆう子さんには複雑な思いもあった。
「本人には元気になってほしい。でも移植には命をつないでくださる方がいる。その人にも家族や周りの人がいる。そこには一緒に悲しみもある。移植が決まってもすべてが万歳万歳、よかったよかったと言える自信はない」
移植が実現するということは、提供してくれる誰かの死がある。誰かの涙が、命をつなぐ、それが移植医療の難しさだ。
実はこの「家族の思い」こそが、日本の心臓移植が増えない現状に深くかかわっている。
「人の死」の定義が2つ? 矛盾抱える日本
なぜ、諸外国に比べ日本の心臓移植はこんなにも低調なのか。
そこには、「脳死」の扱いをめぐる日本特有の法規定がある。
心臓の臓器提供は、脳死後の処置となる。「脳死」とは、脳全体の機能が失われた状態で、回復の可能性がある植物状態とは異なり、回復することはない。薬剤や人工呼吸器などにより、しばらくは心臓を動かし続けることができるが、やがて心臓も停止する。そのため海外ではほとんどの国が、脳死を「人の死」としている。
しかし日本では、「臓器提供を前提とした場合に限り、脳死を人の死にする」と規定されている。そのため、残された家族が臓器提供を決意したときにのみ、脳死が人の死になっている。
つまり、脳死を人の死とするかは、家族が決めるということだ。
仮に、家族が突然の事故に遭い、脳死状態になった時のことを想像してみてほしい。
目の前に、体は温かく心臓はまだ音を立てている家族がいる。でもまもなく、亡くなることはわかっている。
そして医師から、臓器提供への同意、つまりこの状態の本人を「死んだとするかどうか」を問われ、その場で家族が決めなければならないのだ。
移植医療に携わる広島大学病院の大段秀樹教授は、「大切な家族を失ったときに、脳死の定義について改めて考える余裕は普通はない。非常に難しい要求をしていることになる」と語る。
こうした背景もあり、日本の臓器提供は進んでいかないのだ。
脳死を決断した家族の想い
実際に、くも膜下出血で脳死状態となった母親の臓器提供に同意した、山田さん兄弟(仮名)は、その時の経験をこう語る。
「母は生前、死ぬときは使えるもんは全部使って、骨まで残すなと冗談交じりで言っていた。意思表示カードは書いていなかったが、言葉として温度を感じていた。ちゃんと生きているうちに決断を託されていたから、こちらの決断は鈍ることはなかった。体は温かくて寝ているだけにしか見えない中、決断ができたのは、生前話し合っていたからこそ」
臓器提供を終えた後、移植で助かった患者たちから感謝の手紙を受け取った。母は知らない人の体の中で生きているように感じ、決断に後悔はないという。
一方、複雑な思いを抱えているドナー家族もいる。
夫が突然脳死状態となった米山順子さんは、看護師をしていたこともあり、その状況をすぐに理解できたという。そして、臓器提供をする道を選んだ。決断の決め手は夫の免許証の裏の意思表示と生前の言葉だった。
「延命治療をしなきゃいけないような状況になるなら、それは絶対したくない。人の役にも立ちたい」
決断に後悔はないが、複雑な心境も抱いている。
「脳死が人の死ではないと言われることがやっぱりある。だったら、私が彼を殺したのだと思ってしまう。第3者からそういう声をかけられるとやっぱり傷つきます」
「脳死が人の死かどうかを家族が決めるのはすごく重いものだと思う。個人的には、家族が決めるのではなく、医療が決めてほしい」
米山さんは、悲しみの中で決断に踏み切ったドナー家族が集える場「くすの木の会」を立ち上げ、臓器提供が抱える課題と向き合っている。
「提供することが善だという風になってしまうと、提供しないことを決断した人たちが後ろめたさを感じる、それもあってはならないと思う。ノーと言える環境が整うからこそ、イエスという決断が生きてくる。人生最期の過ごし方の選択肢として臓器提供というものがあるのだと私は思う」
「意思表示カード」を知っていますか?
手元にもし運転免許証や保険証があれば、ぜひその裏側を見てほしい。そこにはもれなく、臓器提供の意思表示欄がある。
2021年度に行われた「移植医療に関する世論調査」では、臓器提供に関心がある人の割合は65.5%で、そのうちの67.2%が、免許証や保険証の意思表示欄に関心を持ったことを理由に挙げている。しかし、運転免許の更新を訪れた人にインタビューをすると、「知らない」人の多さに驚く。「関心がない」人も非常に多かった。調査上の数字以上に、浸透していない現実が浮き彫りになった。
大紀さんも実は、そんな一人だった。病気になる前は無関心だったという。
講演やイベントでは、移植にまつわる4つの権利を必ず紹介する。
移植を受ける権利、移植を受けない権利、臓器提供をする権利、臓器提供をしない権利、だ。
選択はどれでもいいから、とにかく知って考えてほしい。いつだれが当事者になるかわからない。そのときに慌てないために考えてほしい。
大紀さんは病状を押してそう伝え続けた。
移植を待ち続けて4年が過ぎた。大紀さんのケーブルは経年劣化し、断裂しそうになっていた。テープで応急処置をしてしのいでいたが、いつ故障してもおかしくない状態だった。
ただ、ドナーを待つ順番は、かなり上位まであがっていた。
ついにやってきた“順番” その時…
そして、その日は突然訪れた。大紀さんにドナーが現れたと連絡があったのだ。
発病から4年以上が経っていた。大紀さんの移植手術は成功した。
ドナーの心臓が大紀さんに新しい人生をくれた瞬間だった。入院とリハビリにかなりの時間は要したが、大紀さんの体から“あのバッグ”はなくなった。
それだけではない。その後、リンジーさんとの間に子供まで授かった。ドナーの心臓は、大紀さんの命だけなく、新たな命まで育んだのだ。
移植後授かった子の誕生に立ち会った大紀さん
青白い顔をして、病と闘う日々を送っていた大紀さんは今、健康体そのものだ。レスリングのマットにも立ち、後進の指導に当たっている。
新たな心臓を胸に、後輩の指導に当たる大紀さん
大紀さんの変化は、移植医療が持つ魔法のような力を一目で伝えてくれる。
一方で、笑顔の裏には忘れることのできない思いがある。
自らに命をつないでくれたドナーへの感謝。
そして、一緒に励ましあって移植を待っていたのに、かなわずに他界した仲間たちの無念。
日本では今も、心臓や肺、膵臓や腎臓などドナーを待つ患者が約1万5千人もいて、1週間に8人のペースで、移植することなく亡くなっているのだ。
「他人事」から「自分ごと」へ
病を克服した後も、森原さんは自らの人生の「宿命」として、移植医療の現状を伝える活動を続けている。現在は、臓器移植普及推進月間である今月末(2022年10月)行う普及のためのライブイベント「グリーンリボンキャンペーン㏌広島2022」に向け、クラウドファンディングの真っ最中だ。
父として、夫として、子供に、妻に、見せたい背中がある。
「妻と子供と一緒にいられるのは本当にうれしい。そこに尽きる。待機期間が長くて、仲間も亡くなった。移植が普通の医療として、選択肢としてありうる世の中にしたい」
臓器移植法が日本で成立して今年で25年。この国では、いまだに多くの命が失われている。
いつ自分が患者に。
いつ自分がドナーに。
「他人ごと」から「自分ごと」に変えることが、初めの一歩なのかもしれない。
◆森原さんは臓器移植普及・啓発のためのライブイベント「グリーンリボンキャンペーン㏌広島2022」に向けた、クラウドファンディングへの協力を呼び掛けている<2022/10/16(日)まで>。
⇒詳細はこちら
※現在は終了しています。
(テレビ新広島報道部・石井百恵)
※この記事は、テレビ新広島によるLINE NEWS向け特別企画です。