気づけば、挨拶を交わしたことしかない人の前で、号泣していた。当時、2歳を迎えた次男が自閉症だと診断され、パニック状態に陥っていた。
「その人が、犬の散歩をされていたところを偶然、見かけたんです。話せるのは、この人しかいないと思って…」
相手は、かつて半年だけ住んでいた借家の隣人だった。その家庭に、特別支援学校の高等部に通う自閉症のお兄ちゃんがいた。
そんな人に突然重い相談をしてしまうほど、追い詰められていた。元隣人はじっと話を聞き、優しくアドバイスをくれた。救われた瞬間だった。
鋤田真樹子さん(48)はいま、障がいのある子もそうでない子も一緒になって遊べる“インクルーシブ子育て”の場を運営している。
あの時、自分が偶然巡り合った優しさを、みんなが分かち合えますようにー。
真樹子さんの日々、そして思いを追った。
息子が自閉症と診断され、パニックに
広島市内の小学校に通う、小学1年生の鋤田(すきた)晃志郎くん(7)。体は小さく、言葉の発達に遅れもあるが、乗り物とYouTuberのHIKAKINが大好きな明るい男の子だ。
次男に心疾患があるとわかったのは母・真樹子さんが妊娠7カ月の時だった。
「41歳で高齢出産だったので、ちょっとリスクはあると思っていました。変な話、治るんだったら手術すればいいんだって」
予定より1カ月以上も早く生まれた晃志郎くんは、小さな体で心臓手術を受け、生後8カ月まで入院した。
その後も入退院を繰り返し、2歳を過ぎても言葉が出ない。発達の遅れは明らかだったが、真樹子さんは「外部と接触する機会が増えれば、自然と言葉も出るようになるのではないか」と考えていた。
ところが、保育園に通い始めた2020年に、自閉症スペクトラム障がいだと診断された。
「うそ…?って思いました。言葉の遅れはあったけど、目も合うし、コミュニケーションもとれていたので」
診断後、障がい児が集まる「広島市こども療育センター」へ親子で通園することを勧められた。仕事は辞めなければいけない。
療育センターに対する抵抗感もあった。不安で頭がいっぱいになり、情緒不安定になっていた。
そんなときに出会ったのが、重度障害のある子を育てている、元隣人だった。こんな言葉をかけてくれた。
「今が一番しんどい時よね。どんな幼稚園や小学校を選ぼうが、重度の子は、最後は特別支援学校の高等部に集まるんよ。だから、どんな道を通ってきても関係ないよ」
心の霧が晴れるようだった。迷っていた療育センターへの通園を決意できた。
「特性は治らない」その対策法とは?
療育センターは1クラス6人の少人数制。障がいの特性に応じて、無理なく成長を促してくれた。
自閉症スペクトラム障がいには、感覚が敏感な「感覚過敏」や、特定の音に対する「聴覚過敏」などがある。晃志郎くんは、手のひらと足の裏が感覚過敏だ。
手が汚れることを極端に嫌がり、「お砂遊び」はしたくてもできない。だからといって砂場で遊ばないのではなく、療育センターは対策を一緒に考えてくれた。
スコップや手袋など「手が汚れないアイテム」を使いながら、少しずつ「こうすれば大丈夫」を積み重ねていった。
「特定のものへの異常なこだわり」もある。晃志郎くんの場合は小さなものに恐怖を感じるようだ。
例えば、床に落ちている髪の毛やアリが怖い。日常生活において、髪の毛は排除しきれない。大変なのはおふろの時間だ。
浴槽に髪の毛が浮いていると「髪の毛がある…」と言い、怖くて入れなくなってしまう。そんなときに母・真樹子さんが取る対策は「髪の毛退治ごっこ」だ。
「じゃあ、ママが洗面器で退治してあげるね」
そう言って、髪の毛を洗面器ですくって浴槽の外へ。
「髪の毛、いなくなったよ!もう大丈夫!」
また見つけたら「出て行け〜」と晃志郎くんも一緒になってお湯をバシャバシャバシャ。遊び感覚で退治している。
「特性は治らないんです。だから、苦手なことを排除するよりも『やっつければいいんだ』というふうに対策を考えていくしかない」
特性は治らないどころか、次から次へ出てくるという。学校のチャイムが怖い、芋ほりや絵の具は手が汚れるので嫌だ、家ではできるのに学校だと一人でトイレができない…。
学校側も、真樹子さんも、本人の様子を見ながら試行錯誤を繰り返し、「どうすればできるか」を探り、ちょっとずつ前へ進む。そんな毎日だ。
障がいがあってもなくても思いきり遊べる場
真樹子さんに転機が訪れたのは、晃志郎くんと療育センターに通っていた時。
外部との交流が一切絶たれたコロナ禍の真っただ中だった。療育センターで出会う保護者に共通の悩み があると気づいたのだ。
「障がいや特性のある子どもを連れて出かけたり、イベントに参加するのはハードルが高い」
そこで「遊び場がないなら自分たちで作ろう」と思い立ち、2022年10月、仲の良かった言語聴覚士の髙橋茜さんと市民団体「ぽこぽこトレイン」を設立。
“インクルーシブ子育て”がテーマのオープンスペース事業と、自身の経験を生かした付き添い入院サポート事業の両輪で活動が始まった。
ぽこぽこトレインのオープンスペースは、障がいの有無にかかわらず10歳頃まで1回500円で利用できる。
月に一度、広島市西区の福祉センターの一室に10組ほどの親子が集まり、おもちゃや絵本、クラフト制作、手づくりの的当てゲームなどで自由に遊んでもらう。手にインクをつけて手形アートを楽しむ子もいた。
一見、他のオープンスペースと大きな違いはないように思える。しかし、よく見るとポップなどの掲示物が多いことに気がつく。
真樹子さんはオープンスペースやイベント会場に、障がいのある子どもでもわかりやすい掲示を心がけているという。
「ちょっとした工夫ですが、障がい者にわかりやすい掲示は“みんなにわかりやすい”。むしろ、一般のイベント会場の方がわかりにくいと感じます。『さわらないで』や『入らないで』と書かれていなくても、空気で察しないといけないような…。
例えば、『ここでは静かにしようね』・『ここでは走っていいよ』など伝えたいことを視覚にわかりやすく書く。場面の切り替えが苦手な子どものために”ベルの音”を効果的に使う。また、子どもの楽しい気持ちを急にさえぎらないように、先にその日のスケジュールを伝えるようにしています」
毎回参加する人気者の里信凛夏ちゃん(5)。生まれた後に染色体異常が発覚し、ダウン症と診断された。成長が非常にゆっくりで、5歳だが言葉の発達は「1~2歳ぐらいの感覚」だという。
凛夏ちゃんの母は、こう語る。
「あまり障がいを気にせずにいろいろな場所に連れていっていましたが、まわりからジロジロ見られることもありました。ダウン症は見た目に特徴が出やすい障がいで、顔の筋肉が弱く、つり目だったりするので…。ぽこぽこは気が楽。娘がどんなにダダをこねていても周りの目が温かいです」
お母さんにとっても心を許せる場所だからこそ、こんな本音も聞かせてくれた。
「やっぱり、ほかの5歳児と比べてしまいます。『なんで1回でわからないの?』と言ってしまうことも…。ゆっくり成長すると言っても、ほかの子に追いつくことはないですからね」
参加者のうち、障がい児は3割ほど。多くは障がいのない子どもたちだ。
2回目の参加だという保護者は、「障がいのある子と接してほしくて参加しました。初めて参加した時、すぐに一緒に遊び始めて…障がいの有無は全然関係ないなと思いました。こういうふれあいの場があって良かったなと思います」と感想を語る。
障がいのない兄が弟を「理解」すること
真樹子さんがぽこぽこトレインを立ち上げたのは、障がいや特性のある子どもの「きょうだい児」のためでもあった。
晃志郎くんには3歳年上の兄がいる。智乃助くん(9)はいわゆる健常児。弟の好きな遊びに合わせてあげる優しいお兄ちゃんだ。
「弟が5歳で初めてしゃべったとき、すごいと思った。早く、兄ちゃんって呼んでもらいたかったから、初めて『にーい』と言われたときはうれしかった」
弟のことをかわいいと思う反面、考え方を変えられない弟の特性に難しさを感じることもあるという。
「自分の思い通りにならないと、車のおもちゃをぶつけてきたり、おにごっこで自分がオニになったらやめてしまう」
しかし、オープンスペースで弟以外にもさまざまな障がいや特性のある子どもたちと接するようになり、少しずつ考え方が変わっていった。
「いろんな障がい者がいて、弟にも同じように優しく接したいと思った」
母の真樹子さんは、長男の成長をこんなふうに見ている。
「障がいによって違いがあること、弟の苦手なことと、ほかの子の苦手なことは違うんだなっていうのを、彼なりに少し理解している。
また、障がい児のきょうだい同士が交流することで『自分だけじゃなかった』とか『障がいがない子のお兄ちゃんやお姉ちゃんだって、けっこう我慢している』と気付いたようです」
“グレーゾーン”かもしれない不安
障がいの診断がつかない、いわゆる「グレーゾーン」の子を持つ保護者も、遊び場に困っている。
ぽこぽこトレインなら、ADHD(注意欠如多動性障がい)の特性で走り回ってしまっても周りに理解してもらえる。保護者にとっては不安や悩みを相談できる場でもある。
一方で取材をしていて「障がいがある・ない・グレー」などと分ける考え方を恥ずかしく思う瞬間があった。
小学1年生の女の子に「障がいのある子と一緒に遊んでみてどう思った?」と質問したときだ。
「障がいのある子なんて、全然おらんかったよ」
障がい児を「特別」だと思わない返答だった。子どもは大人の色眼鏡を一瞬で飛び越えてくる。インクルーシブなんて言葉は、子どもには関係ないのだ。
「1年間続けてきて、思った以上にニーズが多いと感じています。『子どもに障がいがあると出かけにくい、人目が気になる』と、同じ気持ちを持つ親は多い。
今後も活動を継続しながら、幼児期、小学校に通う学童期、青年期、そして就職まで長い目で障がい者と社会とのかかわりをサポートしていきたいと思っています」(真樹子さん)
インクルーシブという言葉だけが一人歩きするのではなく、障がいのある子もない子も一緒に遊んだり学んだりしながら理解し合あう「リアルな場所」が求められている。
そこでの経験が、「特性は誰にでもある」という自然な感覚を育てるのかもしれない。
※この記事は、テレビ新広島によるLINE NEWS向け特別企画です。
鋤田さんが運営する「ぽこぽこトレイン」では、活動継続のための支援を募っています。