“吃音(きつおん)の弁護士”がいたって、いいじゃないか。
そんな僕だからこそ、寄り添える人たちがいるはずだ。
そう思えるようになるまで、長い時間が必要でした。
戸田侃吾(とだ・かんご)さん(23)には "吃音"があります。
【戸田侃吾さん】
「吃音による精神的な、な、な、悩みがちょっと…大きくなって…で、で、まぁ、なんて言うんだろう。(自分に吃音のあることを周囲に)言ってみることで何か変わったらいい…みたいな感じで(周囲に)言った、みたいな…」
例えば「明日」と言おうとすると、「あ、あ、あした」と出だしを詰まったり、「あーーした」と伸ばしてしまったりと、スムーズに口に出せないのです。
伝えたい思い、ちょっとした軽口、抱いた怒り。何度、我慢を重ねたことでしょう。
それでも侃吾さんには「吃音のある自分」と折り合えるきっかけがありました。
23歳になった今、亡き父の背中を追い、弁護士を目指して大学院で猛勉強中です。
「吃音の弁護士」だからこそ、寄り添えることもあるはずだと。
勉強の傍ら同じ悩みを持つ子供たちをサポートする優しい青年です。
侃吾さんの伝えたい思いに迫ります。
「周りと違う…」という恐怖
専門機関によると吃音のある人は125人に1人と決して少なくありません。2歳から5歳に発症する場合がほとんどで、そのうち2割は幼児期を過ぎても症状が続きます。
侃吾さんが自身の症状を強く意識したのは小学生になってからでした。授業の発表で、自分の話し方が周囲と違うことを自覚しました。
「吃音は恥ずかしい。隠したい…」
クラスの仲間に自分の症状について話したことはありませんでした。面倒くさいヤツと思われ、仲間外れになるのが怖かったのです。
中学校に入ると、侃吾さんが恐れていたことが起きました。
廊下で友達とすれ違いざま「赤坂サカスと言ってみて」とからかわれました。当時、活舌の悪いお笑い芸人に対する「いじり」が流行っていました。
苦笑いでごまかしましたが、心は黒く塗りつぶされるようでした。
さらに苦痛だったのが英文を時間内に音読する英語の授業でした。クラスの皆が「制限時間内に終わらせてやる」と意気込んでいました。
【戸田侃吾さん】
「音読で詰まったらクラスの人から笑われる。ク、ク、クスクスされる。吃音をどう思われるか不安だったので、周りの生徒に言うことができなかった」
音読の授業がある日は、音が聞こえるほど心臓が鼓動し、手足は冷たく、まるで自分の体ではないようでした。
その頃、まだ英語の先生は侃吾さんに吃音があることを知りませんでした。音読で詰まる度、侃吾さんは周囲に謝り続けました。
そんなある日、クラスメイトが、突然こう話しかけてきました。
「なんで謝るの?」
ハッとしました。
「そもそも…吃音で上手く話せないことは悪いことなのか?」
「自分の話し方は他人に迷惑をかけているわけでもないし、何も悪くない」
気持ちが少しだけ楽になりました。それでもまだ、周囲に伝えることはしませんでした。
心の叫び
侃吾さんの家族も吃音を気に留めないよう振る舞っていました。
母親の戸田祐子さん(55)は「いつか侃吾が自分の方から相談してきてくれるのでは」と思っていました。
「吃音のことを話すのはかえって傷つける。どうやって話題にしていいのか分からなかった」
侃吾さんが思春期を迎えた頃、祐子さんは同じ境遇の人に勧められ、意を決し、息子に「吃音」をどう思っているかを聞いてみました。
祐子さんはその時の侃吾さんの様子を鮮明に記憶しています。
【母親・戸田祐子さん】
「吃音さえなければもっといっぱいしたいことがあった。もっと授業で発表したかった。発表の順番が近づくと、手も足も唇まで震えてくる。どんな仕事でも吃音があると困るだろうね。逆境で頑張れる強さは俺にはない。お母さんには分からんよ」
息子の心の底に沈殿していた苦悩に、その重さに愕然としました。
「もっとオープンに話ができていたら、ここまでしんどい思いをさせなくても済んだのに」
取り返せない時の流れ。後悔しました。
「あなたは、あなたのままでいい」
高校入学前の春休みに、母と息子は初めて正面から「吃音」に向き合いました。祐子さんは、「クラスの自己紹介で吃音のことを伝えてみない?」と提案しました。
侃吾さんはすぐに受け入れることができず、それから2人は1カ月間、毎晩のように話し合いをしました。
大学に行けばもっとコミュニティは広がる。社会に出れば、コミュニケーション能力そのものが問われる場面だって多くなる。
祐子さんは、丁寧に説得を続けました。
「この先も、話す度に吃音が出て不安になることが心配なんよ。高校は先生が協力してくれる最後のチャンスだから、安心して話せる環境を作る練習をしよう。これが自分の話し方だと皆に知ってもらおうよ。話さなければ吃音を隠せるかもしれないけど、心は苦しくなるんじゃないの?」
母の思いはただひとつ。
「あなたは、あなたのままで、この先も生きていってほしい」
まず自分を認めることから
侃吾さんの心も揺れ始めていました。
担任の先生も協力的で「たとえ言葉が詰まっても自分らしく話したい」という親子の願いを理解してくれました。
入学式の日、自己紹介が始まる瞬間まで悩んだ末、侃吾さんは、自分に吃音があることを、クラスメイトに打ち明けました。
「吃音という言葉が詰まる障がいがあります。よろしくお願いします」
その日から、侃吾さんの世界は少し変わりました。
高校では、友達が吃音を真似したり、笑ったりすることはありませんでした。そして何より、侃吾さん自身が精神的に安心することができました。
柔道部で活躍。友人とも自然に接する中で、卒業する頃には「発表」に対する不安や緊張はなくなっていました。
きつおん親子カフェに集う子供たち
自らの経験をもとに、母親の祐子さんは2011年、吃音のある子供が交流できる「きつおん親子カフェ」を設立。これまでにおよそ2800人が参加しました。
カフェの運営は、吃音のある子供の親たちが担い、侃吾さんもスタッフとして参加しています。
ある日、小学生の男の子が侃吾さんに質問をしました。
「吃音のことを皆に知ってほしいけど、言うことができず、どうしたらいいですか?」
侃吾さんは、こう答えました。
「僕は吃音に対する理解がない中で過ごせるほどメンタルが強くない。みんなに知ってもらうと楽になるから一人で抱え込まないで、親や先生、友達に気持ちを話したらきっと分かってくれるよ。“どもる”ことは悪いことではないと思うと、心が少し楽になるよ」
吃音で苦しむ子供たちの気持ちが侃吾さんには痛いほど分かります。
だからといって、吃音を周囲に打ち明けることを強要はしません。吃音が出やすい場面や特徴も、悩みの深さも、本人の性格も人それぞれ。自分が乗り越えてきた過程は、あくまでもひとつの処方箋。すべての人に当てはまるとは思っていません。
なんでも話せる親友や恋人ができたり、スポーツや趣味に夢中になったりすることで、徐々に「吃音」が出にくくなったという人もいます。
しかし、学齢期以降も吃音が続いている場合、一時的に症状が消えることはあっても再発するなど治ることはほぼありません。
大切なことは「自信になるものがあってもなくても、吃音のある子どもが自分らしく豊かに生きていける環境」です。
【戸田侃吾さん】
「私自身、どもること自体の悩みと、どもる自分を見られることによる不安の悩みの割合は1:9くらいだと思っています。どもる時の自分の顔がどんな顔をしているかわからないから、見られたくないというような不安や恐怖心が、どもることに対する悩みを倍増させているのだと思います」
侃吾さんは、吃音のある人が「堂々と“どもれる”社会」になればいいな、と思っています。
吃音の弁護士だっていいじゃないか
侃吾さんは今、広島県の大学院で弁護士を目指して猛勉強中です。
難関の国家試験に挑むことにしたのは、父親の影響です。弁護士だった父の慶吾(けいご)さんは、5年前に54歳で亡くなりました。
家では、あまり仕事の話をしなかった父。葬儀などで父の教え子からその仕事ぶりを聞かせてもらいました。
困り果てた依頼者に法律の知識を伝えるだけではなく、ときには依頼者と一緒に涙を流し、相手の心に寄り添うように相談にのっていたといいます。
父の生きざまに触れたことで、侃吾さんの心は定まります。「吃音」と向き合ってきた自分だからこそ、気づけることがきっとあるはず。
「僕も誰かに寄り添える弁護士になりたい」
そう語り歩み始めた息子の成長を、母親の祐子さんは「夢のようだ」と話します。
侃吾さんの静かな決意
この社会には「吃音」に対する誤った認識が根強くあります。
目をそらしたり、驚いてみたりという過剰な反応や、「落ち着いて」といった過度な心遣いは、かえって吃音のある人たち、特に子供たちにプレッシャーを与えてしまうことになります。
「普通」がいいのです。
自然に接することで、黒く塗りつぶされた心の色が静かに薄まっていったことを、侃吾さんはよく知っています。
侃吾さんはこう話します。
「困っている人がいたら『どうしてほしい?』と気軽に声をかけてあげよう。そして、どうしたらよいか一緒に考えてあげよう。きっともっと多くの人が自分らしく、のびのびと生きることができるはずだ」と。
(テレビ新広島報道部 高橋徹)
※この記事は、テレビ新広島によるLINE NEWS向け特別企画です。