今、一般人の日常をまねする「あるあるものまね動画」がSNSを中心に話題になっている。その中でも、ついつい見逃しがちな人間描写を、絶妙な着眼点、抜群の演技力で物まねし、注目を集めているのが、お笑いコンビ・スクールゾーンの俵山峻だ。
一般人の物まねのほかにも、実際には見たことがないが、不思議と見たことがある気持ちにさせられるような架空のキャラクターを作り上げたりと、俵山の表現する世界観に魅了されるファンは多く、Instagramのフォロワー数は10.4万人(2020年12月17日現在)を突破している。
2年連続で出場を果たした「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」(12月12日放送、フジテレビ系)では、「モテる小5女子のパパ」「若者にご馳走する昔の偉い人」などの物まねを披露したほか、先輩芸人のスカチャンと3人で「大技を決めそうで決めないシブがき隊」を披露し、スタジオを爆笑させた。
そんな俵山にWEBザテレビジョンがインタビューを実施。キャラクターが生まれたきっかけ、漫才師に憧れていたという学生時代、スクールゾーン結成や養成所時代などについて話を聞いた。
――はじめに、芸人を目指したきっかけを教えてください。
中学1年、2年生の頃が結構なお笑いブームで。夢中になって「M-1グランプリ」(テレビ朝日系)、深夜時代の「はねるのトびら」(フジテレビ系)とかを見て、そこから「(ダウンタウンの)ごっつええ感じ」(日本テレビ系)とかも見ていって、自然に「絶対にこうなりたい」と思って芸人を目指した感じでしたね。
最初は完全に漫才師になりたくて。キングコングの西野(亮廣)さんが漫才やりつつ、「はねるのトびら」で仕切っている姿がめちゃめちゃ格好良くて。僕新潟出身なんですけど、中学生の頃から関西弁で喋ってたり…本当気持ち悪いんですけど(笑)。それくらい漫才師に憧れてました。
高校生の時に、サッカー部の友達と2人でコンビを組んで、僕が作ったネタで新入生歓迎会で漫才を披露した時に、めちゃめちゃウケたんです。その時に、絶対吉本(興業)行こうって思いましたね。
――ここからは、俵山さんがものまねしているキャラクターをいくつかピックアップして、なぜそのキャラクターを思いついたのかなど、お話を伺えればと思います!まずは、「ド変態さん」というキャラクターが生まれたきっかけを教えていただけますでしょうか…?
あれは、めちゃめちゃ手を抜いたやつで、何も思いつかない状態でカメラを回して、適当に撮ったやつです。「これはどうしようもないから」と思って動画をアップしていなかったんですが、2週間たって「アップするものもないし上げてみるか」と思って上げてみたら、あのキャラクターが一番好きって言ってくださる方もいて(笑)。
――「ド変態さん」は、これまでの経験の中にいた方なのでしょうか?
お皿洗ったりだとか日常生活の面倒くさいことをやっている時に、「ああっっもうっ!もうっ!」(急に中性的なキャラクターを演じる俵山)みたいな感じで一人で言って、「面倒くさいな」っていう負の気持ちを楽しい気持ちにしてかき消してるんですけど、「ド変態さん」みたいな喋り方は、そういうふうに生活している中でちょくちょく出てくるキャラクーの延長です。
――「ド変態さん」は、いつも道行く誰かに話し掛けていますが、どういう人に話し掛けているのか、イメージがあるのでしょうか?
あれは、優しそうな人を見極めて話し掛けているんだと思います。そういう嗅覚利くと思うんですよね、あの人…。あと、意外とイヤホン付けて歩いている人を呼び止めていると思うんです。
イヤホン着けてる人って集中していて、周囲をそこまで気にしていなかったりするから、「話し掛けてくるな」オーラを出してないと思うんです。だから行きやすいのかなとか思ったりしますね。
――話し方も、育ちがよさそうな雰囲気を感じます。
そうなんですよね~。良い家庭で育ってずっと押さえられていたから、爆発してるんですよね(笑)。
――次に、マカロン伯爵やチーカップ伯爵など、ファンタジックなキャラクターはどのように思いついたのでしょうか?
メークが思いつかない時は、メークが好きな子に「適当にやって」って言って遊びでメークしてもらったりしてるんですけど、完成した顔を鏡で見たときに「こいつだったらこんなこと喋りそうだな」って思ってそこから服を着ていって…という感じですね。
――ディズニーアニメに出てきそうな雰囲気も感じます。
そうですね!ディズニーとか、ティム・バートン監督の作品とかが好きなんで、インスピレーションを受けていることもありますね。特にディズニーの悪役が好きなので、勝手にああやって出てくる感じですね。
――次は、「イタリアン居酒屋でバイトの子を狙っている店長」。こちらは実際に俵山さんが見られた光景ですか?
どこかで見たと思います!飲食でバイトしていたこともあるので、ちょくちょく見た記憶が…一人じゃないような気がしますね(笑)。ああいう店長クラスの人が20歳前後の女の子バイトに対する接し方ってだいたい似てるっていうか、コミュニケーションの取り方がどこか下心あるみたいな人が多かったので、そういう人たちをギュッと一つにしたらあの店長になりました(笑)。
――キャラクターを作る上で、気を付けている事はありますか?
このキャラクターは、「これは言わないよな」っていうのはイメージします。フォロワーさん増えたり、再生回数が上がってきたりすると、「こうしたらウケるんじゃないか」とかいやらしい気持ちが一瞬よぎったりするんですけど、そういうことをキャラクターに言わせると違和感がでてしまうので、現実に「これは言わないだろうな」という線引きは気を付けてますね。
――「2000年のコワ小6」「給食のおばちゃん」などは、小学生の頃の何気ない日常の光景すぎて、大人になると忘れてしまいそうなキャラクターですが、俵山さんの記憶の中にあった情景を引き出して作られたのでしょうか?
ふとした時に思い出すんですよね。「コワ小6」は、ああいうヘアゴムとか、手首に着けるアクセサリーとかを売っているお店にたまたま行ったときに、僕らが小学生時代、「ハロプロ」に憧れていたような女子が着けてるやつだなと思って、その子たちの事を思い出したら「ああいう状況もあったよな」とか。
――小学生の頃から、人をよく観察されていたんですか?
当時は意識していなかったんですが、違和感があったから覚えているのかもしれないですね。「命の授業で発言する小5女子」っていう物まね動画があるんですが、僕が通ってた学校で豚を飼ってたんですが、飼育した豚を出荷するかしないかのディベートがあった時に、ああいう子がいて。
それがうさんくさかったというか(笑)。かわいく見せるための発言というか、本当に豚の事を思っている気持ちもあると思うんですが、半分は自分をよりよく見せるための発言というか、それが違和感として残っていて、今も覚えているという感じですね。
――俵山さんご自身は、どういう学生だったのでしょうか?
学生の頃の気持ちは完全にキングコングの西野さんなんで(笑)。いじられるタイプの面白い人の隣に居て、そいつを突っ込んで「俺が回してる」みたいな、そういうのになりきってましたね。失敗するのが怖いので、自分から笑わそうみたいなことは、まずできなかったですね。
――最後に、少しおバカだけど、人柄の良さがにじみ出ているところがかわいらしい「八王子のユサ」についても教えてください。
僕、ZOCというアイドルグループの香椎かてぃさんがめちゃめちゃ良いなと思っていて。「family name」っていう曲のMVで香椎かてぃさんが最初タバコ吸ってて、その後バーっと暴れて、最後の方でちらっと笑うんですよ。それがめっちゃかわいくて!「わぁこれになりたい!」と思ってやったやつです。全然違うものになりましたけど(笑)。
そこから、ちょっとおバカだけどいいやつで、なんとなく八王子の方にいるのかな…みたいなイメージを付けた感じですね。
このキャラクターはフォロワーさんの旦那さんなんです(笑)
――これまで物まねしたキャラクターの中で、ご自身と似てるなと思ったキャラクターはいますか?
恥ずかしいですけど…「ダサ元カレ」とか、20代前半の時にああいうこともありました(照)。だいたい、メークしていない状態で物まねしているやつは、僕に近いかもしれないですね。
――「こういう人になりたいな」とか、あこがれているキャラクターはいますか?
「田舎でめっちゃうまいカレー屋やっている男」は、こういのいいよなって思って憧れてますね。この人はフォロワーさんの旦那さんなんです(笑)。その方が動いている所は見たことないんですが、Instagramを見ていて「めっちゃ良いな」と思って。
あと、「モテる小5のパパ」もなりたいですね~。ちらっと迎えに来ているだけで、本気出してないのに格好良いみたいな。きっと奥さんは美人で娘たちも学校でモテていて…僕はあれには絶対になれないんですが、憧れてます。
――最近は、物まねの対象になりそうな人に遭遇しましたか?
そうですねぇ…(メモで埋め尽くされた携帯画面をスクロールしながら)。新橋の居酒屋でサラリーマンと店員が結構なけんかをしている中、関係なく「たこさしー!」って普通にオーダー通す中国人バイトの女の子とかかわいくて。警察呼ばないといけないくらいけんかしているのに「この子強いな(笑)」って、メモしました。
東京NSCに通うも、出席日数が足りず卒業の危機
――ここからは、スクールゾーンについても伺えればと思います。相方の橋本稜さんとは、東京NSCで出会われたんですよね。
僕も相方も高卒でNSCに入ったんですが、半分くらいは社会人とか大卒で、半分は高卒だったんです。高卒の生徒がガバガバ辞めて行ったんですが、その中ではしも(橋本)と仲良くなって、お互いに近いタイミングでそれぞれ組んでいたコンビも解散して…。
――結成しようと言ったのはどちらからですか?
2人でカラオケとか行って遊び疲れて記憶がないくらいくたくたの時に、新大久保の韓国料理屋ではしもの方から言われましたね。当時のはしもは、ギャグを言った後に自分で笑っちゃったりとか、クラスでめっちゃつまらないとされてるやつだったんです、目も当てられないような(笑)。
でも、今日楽しかったし、誰も組む相手いないし、「いいよ」って言って。とりあえず組んだけど、僕は当初はそんなに長く続ける気持ちはなかったんですよね。でも結局10年くらいやってますね~(しみじみ)。
――NSC在学中に、出席日数が足りずに卒業出来ない危機に直面したところ、掃除を続けたことで卒業できたとWikipediaに載っていたのですが…。
みんな面白いし、自分たちは高卒だしっていうのでバキバキに心が折れて。周りは選抜クラスに入っていく中、僕らは喋ることもままならないし、授業の結果出せないし、休んで遊んでばかりいたので養成所も後半行ってなくて。そしたら最終的に「吉本所属になれません」ということになって。
そんな中、先輩に「掃除したら卒業できるんじゃない?」って言われて、「神保町花月」のらせん階段を地下1階から6階まで毎日磨いてましたね。それで事務所の方に顔覚えてもらって、何とか「良いでしょう…」みたいな。
――その後、一緒に同居されていたとか?
芸歴1年目から6年目まで一緒に住んでましたね~。僕が漫才をやりたかったので、結成当初から漫才をやっていたんですが、一緒に住んでいると普通に楽しくて、それにかまけてネタをなかなか作らないんですよね。
でも、4年前に同居を辞めたタイミングでコントに切り替えたんです。そしたら、ようやく「ネタおもしろい」って言ってくれる先輩や同期が増えてきて…そこからコントをやるようになったんですよね。
――YouTubeの「スクールゾーン公式Channel」では、いろいろな場所でコントを撮ってますよね。ネタはお2人で考えてるんですか?
衣装を何パターンか持って、撮影場所を見てからお互いにアイデアを出し合って、その場でだいたいの流れを決めてやってみる感じですね。お粗末なんですが、ほぼエチュードみたいな感じです。
――最後に、2021年はどんな年にしたいですか?
賞レースで勝つのと、作ったネタで世に出るのと、YouTubeもあるので、アドリブ的なものだけではなく、もう少しショートフィルムと呼べるようなものがアップ出来たら良いなと思います!