大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心をのぞいていくシリーズ「レジェンドの素顔」。前回に引き続き、元祖美少女テニス選手のクリス・エバートを取り上げよう。
コート上での冷徹なプレーからついた「氷山の女」や「コート上の外科医」というニックネームとは反対に、クリスは情熱的な私生活を繰り広げていた。お互いのテニス人生を考えて結婚を断念せざるを得なかった初恋の相手、ジミー・コナーズに失恋したクリスのその後の恋愛模様を見てみよう。
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同じ失敗をくり返したくない
それからのクリスは、数多くの恋をした。フォード大統領の息子ジャック、超売れっこ俳優のバート・レイノルズ、同じテニスプレーヤーのビタス・ゲルライテス。婚約破乗という不幸な出来事を乗りこえて、コナーズともフランクなつき合いができるようになっていた。
この頃のクリス(1975年からの4年間)は、テニス一本で過ごしてきた少女時代のうっぷんを一気に晴らすかのように、何事にも果敢にチャレンジした。恋愛に対しても、決して臆病にならず、積極的だった。
たとえば、バート・レイノルズのときがそうだ。出会いのきっかけを作ったのはクリスの方だった。
1976年4月のある日、クリスはニューヨークの有名なレストランで友人と食事をしていた。普段は酒をあまり口にしないクリスも、そのときはワインやリキュールを飲んで、とてもいい気分だった。
食後に支配人が来て、今夜はここでパーティーがあるのでお早めにお引き取りいただけませんか、と言った。聞くと、パーティーの出席者の中にバート・レイノルズがいるという。クリスは酔いのおかげで、勇気百倍になっていたらしい。支配人に、バートにメモを渡してもらえないかと頼んだ。目の前のナプキンを一枚抜き取ると、「親愛なるバート様、ぜひあなたにお会いしたいのです」と書いて、支配人に渡した。宿泊先も教えておいた。
でも、さすがにバートから連絡があるとは思えなかった。この頃のバートといえば、出る映画がすべて大ヒットの大物スター、しかもプレイボーイとしても有名で、いくら女子テニス界のナンバーワンとはいえクリスに電話をかけてくるとは考えにくかった。
しかし、現実は予想した以上にドラマティックだ。その夜遅く、バートからクリスに電話がかかってきた。二人はすぐに意気投合した。その証拠に二人は、電話で早速、ニューヨークのゴミ処理問題についてユーモアたっぷりに論じ合った。いきなりそんな話題を話し合えるカップルなどそうはいない。
忙しい二人ではあったが、その後、機会を見つけてはデートを重ねるようになった。クリスはバートの人柄にすっかり惚れこんでしまった。バートはスクリーン上で度々演じる荒々しい男ではなく、とてももの静かで恥ずかしがり屋だった。できることなら、一生彼のそばにいたいとさえ思った。
しかし、それは到底かなわぬことだった。バートとクリスはあまりに住む世界が違っていた。バートにはバートの、クリスにはクリスの実績というものがあった。お互いに、それを投げ出してくれとは言えるはずがなかった。コナーズのときは、その辺のケジメがわからず失敗した。同じ失敗を二度とくり返したくないとクリスは考えていた。
“妥協”という言葉とは無縁
一人の男性に出会うことによって、これまでの価値観が一変するということは、女性にとってはよくあることだ。もちろん、男性についても言えるのだが―――。
クリスは自分がトップ・プレーヤーである間は、結婚はむずかしいと考えていた。コナーズやバートのことが心に引っかかっていたのだ。ところが、そうした考えを根底から覆してくれる男性と、とうとうめぐり会えた。もちろん、ジョン・ロイドのことである。二人は心に同じ傷を持っていた。というのはジョンも19歳のときスウェーデンのプレーヤーと婚約したことがあったのだ。
「ああいった突っ走りは、若いときに誰もが体験することの一つなんだ。あのまま結婚していたら、おそらく半年ももたなかっただろうね」
ジョンはそう言ってニッコリ笑った。クリスは、今まで接したことのないタイプの男性と知り合って、眼が開かれたような感じがした。ジョンのそばにいるとホッとするのだ。そうした安らぎの時間は彼女にとって貴重だった。
長くツアー生活を続けてきたジョンは、そろそろ落ちつきたいと考えていた。クリスにしても、ジョンがトップ・プレーヤーでなかったので幾分気が楽になっていた。少なくとも結婚に踏み切りやすい状況にはあった。
そして、1979年4月に結婚。
この年、エバート家では3度も結婚式があったから大変だった。兄のドルーが3月、妹のジーンも11月に結婚している。エバート家にとって1979年という年は絶対に忘れられないだろう。
結婚してから、クリスとジョンは、大人のカップルとして仲の良さが評判になるくらいだった。テニスプレーヤー同士の結婚としては“理想的な姿”とまで言われた。
それでも、夫婦の問には他人が窺い知れない難問が生じてくる。
84年1月に二人は期限つきの別居を宣言した。ジョンのプレーヤーとしての不振がひずみを起こしたと一般に見られた。
「再び、二人仲良くやっていける可能性は十分あります。でも、しばらく冷却期間は必要ですね」とクリスは、夫婦の危機を否定しなかった。別居の間、二人はそれぞれ別な相手とのロマンスをウワサされて、オフ・コートを大いに賑わした。
しかし、結局、二人はクリスが言ったように元のサヤに戻った。この別居解消は、二人の絆をさらに深めるかのように思われた。事実、クリスは、「今回の別居解消に関しては、ジョンがうまくリードしてくれました。あらためてジョンのすばらしさを感じています」と語っているほどだ。
しかし、再びロイド夫妻の危機が色々と取り沙汰されはじめ、1984年に離婚した。クリスはその後に2度結婚し、離婚している。
クリスは常に幸福と安らぎを求め続けるタイプの人間らしい。多くの人は自分の限界を見極めて、そこに安住しようとする。しかしクリスはラケットを初めて持った6歳のときから、どんな場合でも“妥協”という言葉とは無縁なのである。
文●立原修造
※スマッシュ1987年2月号から抜粋・再編集
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