田村正和さんと妻の和枝さん
「以前、和田誠さんが亡くなったときにね、いろいろなところからコメントを求められて、それがとてもつらかったんです。なので田村さんのことは、新聞で連載しているコラムでだけ、お伝えすることにしました。ごめんなさい」
「田村さんが都内の病院で息を引き取ったのは公表の1か月以上も前の4月3日。葬儀も近しい親族だけですませた、と」(スポーツ紙記者)
田村正和さんの“遺言”
『眠狂四郎』『うちの子にかぎって…』『パパはニュースキャスター』『ニューヨーク恋物語』そして『古畑任三郎』……と、数々のドラマを大ヒットに導いた名優である。芸能界には親しい知人や友人、関係者も数えきれないほどいたに違いないが、遺族はその死を、冒頭の三谷を含め誰にも知らせなかった。
「すべて、田村さんご本人の“もう、静かに消えていきたいんだ”という意向……遺言だったと聞きました。田村さんはもともと心臓に持病があって50歳を過ぎたころ、手術も受けたと聞いています。3年前のスペシャルドラマ出演を最後に事実上、引退して都内のご自宅で“悠々自適の生活を送っている”なんて報じられていたので、落ち着いていらっしゃるとばかり……」(別のスポーツ紙記者)
「ただ、正和ちゃんは昔から“達観”しているようなところがあって。“引き際”っていうのが、わかっていたのかもしれませんね……」
「昭和の垢抜けない時代なのに、正和ちゃんだけは洗練されていて。きれいで礼儀正しくて紳士で……。真っ赤なスポーツカーに乗っていたんですが、それで家まで送ってくれたりね。一時は兄妹のように仕事で一緒だったけれど、共演しなくなってからは連絡も取らなくなって。最後にお会いしたのは覚えていないくらい昔です。年賀状やお中元、お歳暮のやりとりをいっさいしない方でしたから」
役のイメージを壊したくないがゆえに
『古畑任三郎』で“犯人”として刑事・古畑と対峙した田中美佐子にとっても、田村さんは特別だった。
「現場では、ジョークを言っては静かに笑っていたりもする田村さんですが、リハーサルでも本番でも1発OKでNGは見たことがありません。台本を持っている姿すら見たことがないんです。私は共演というだけで緊張してしまって、お芝居以外ではひと言もお話しできませんでした。田村さんに話しかけられるのは芝居のときだけ。普段は話しかけてはいけないって」
「食事をしている姿を他人に絶対見せなかったというのは有名な話。撮影の合間でも、食事はいつも控室か宿泊先のホテルの部屋でひとりでとっていましたから。そういうところを周りに見せて“俳優・田村正和”のイメージや、あるいは役のイメージを壊したくないと考えていたんでしょう。世の中の人に、いいドラマを見てもらうためにね。“1シーンごとにその場で映像チェック”とか“撮影は朝8時から夜10時まで厳守”も同じ理由です」(ドラマ関係者、以下同)
「だから“気難し屋”なんて誤解されたりしていましたけど、正和さんはむしろ話し好きで人好き。誰に対しても気さくでしたし冗談も言う。だから仕事帰りに飲みに行けるような親しい仲間はもちろんいたけれど、でも、そうしないんですね、正和さんは」
海外ロケにも和枝さんを連れて
「オフもほとんど自宅で過ごしていたから、どんなに親しくても俳優仲間と会ったりすることはなかったんじゃないか。仕事に“私”を持ち込まないのが彼の美学でした」
「“ウチの奥さんは100点満点”って。『ニューヨーク恋物語』の撮影でニューヨークに滞在したときは、和枝さんを日本から呼んで3か月間向こうで暮らしたんですから。家族の目もマスコミの目も届かない海外での長期ロケとなれば普通は羽を伸ばしたくなるでしょ? そこに奥さんを呼ぶ俳優なんて正和さん以外いませんよ。それだけいつもそばにいてほしい存在だったんでしょうね、和枝さんが」
「当時は正和さんも20代半ばで若かったから夜遅くまで遊び回っていたんです。何せ周りが放っておかないからねぇ(苦笑)。それで和枝さんとケンカになって。“俺が浮気してないとは思ってないだろ?”と言ったそう。
もちろん本当に浮気していたわけじゃなくて、ちょっとした意地悪だったんですが、和枝さんは笑いながら“するなって言ったって無理なんだから、それは考えないようにしているの”って。正和さんは、その日以来、飲み歩くのをピタッとやめたそうなんです」