カルーセル麻紀
カルーセル麻紀のこれまでとこれから
「戸籍を変えたメリットは、気兼ねなく海外に行けるようになったことね。19歳のときに初めてハワイに行ったときは、パスポートの性別は男のままでワンピースを着て、女優帽をかぶっていたんだけど、入国審査で止められたんです。そのまま病院の精神科に連れていかれて真っ裸にされたのは、本当に屈辱だったわ」
「まあ、私はそんな札を下げなかったけどね! でも、現地のゲイバーに行くと私と同じような子たちが『私たちはこれを下げずに外を歩くと捕まるのよ』と嘆いていました。今のアメリカの状況からは考えられないほど、性的マイノリティーに厳しい国でしたね」
「私の愛するフランスは、当時からトラベスティ(異性装者)に寛容な国だったので、まったく問題なく入国できていたの。だから、性別なんてどっちでもよかったけど、ほかの国にも行きたいし、いろいろな国の殿方と出会いたいでしょ。戸籍の性別を変えるのは本当に大変だったけど、自由に世界を飛び回れるようになってよかったと思っています」
あげまんならぬヒットマンだ!
「孫ほども若い男の子たちにときめくわけじゃないけれど、私は昔から、男性は“鼻”の大きさと形で選んできたのよ。鼻の穴が横に広がった、ワイルドな形の鼻の男性が好きなので、試合中は各国選手の鼻をチェックしていたわ。『あら、いいわね〜』なんて。
昔はプロ野球選手のお友達もたくさんいて、特定の球団を応援できなかったんですよ。もちろん、夜のお相手もたくさんしました。ある人気選手は、不調続きで2軍落ちしそうだった時期に私と夜を共に過ごしたんだけど、その翌日の試合でヒットとホームランを2本も打ってスランプ脱出! それを聞きつけたほかの選手が『カルーセル麻紀はあげまんならぬヒットマンだ!』なんて言い出して、私の夜の試合数も増えちゃったわ」
「おととしからスマホに変えたんです。スマホには歩いた距離や歩数を測る機能があるので、それを見ながら毎日5000歩以上歩くように決めているの。基本的に家の中を縦横無尽に歩くだけだから、傍から見るとすごく滑稽なんだけどね(笑)。でも毎日続けたら足腰も強くなったし、お腹まわりも締まってきて、今日初めてはいたレザーのパンツもピッタリ! 全部スマホのおかげですよ」
「身体を動かすようになったきっかけは、3年前に発症した脳梗塞。幸い後遺症もなく退院したけれど、それからすぐにコロナ禍になって外出を控えたら、ますます太っちゃった。このままじゃマズいと思って、家の中で運動をするようになったんです。2年前には下肢閉塞性動脈硬化症の6回目の手術もして、またピンヒールが履けるようになってうれしいわ」
「女優の草笛光子さん(89)もグレイヘアがとても素敵ですよね。昔、草笛さんと映画で共演したときに、とても気さくに接していただいたのはいい思い出。それに、あのお年でバリバリ働く彼女を見ていると、私も頑張ろう!って思えるんです。今は年を取ってトイレが近くなったのが悩みだけど、元気に100歳まで生きなくっちゃね!」
バカにされたら殴りかかった
「私がこの世界に入ったころは『オカマ』と呼ばれて、化け物扱いなんて当たり前。本当にひどい状況だったけど、いちいち傷ついていたら生きていけなかった。嫌なヤツには『なんだこの野郎!』って殴りかかってましたよ(笑)。ちなみに私は、トイレもお風呂もずっと女性用を使っているけど、何も言われたことがないわ。私にとってそれが自然な選択だから、周りの人も気にならなかったのかもしれないですね。そもそも、去勢をして胸もある私が男湯に入るほうがおかしいわよね」
「もしも、平原家の次男がカルーセル麻紀だなんて地元で知られたら、家族が苦労するかもしれない。親、きょうだいには迷惑をかけたくなかったから、妹が結婚するまで本名は口が裂けても言えなかった。それが今では、たくさんのゲイタレントが活躍して、多くの人が私たちのようなLGBTQについて知り、考えてくれている。私たちの時代ではありえないことがどんどん起きてる。長生きはしてみるものね」
「今はまだ詳しくはお伝えできないけど、5月ごろにはご報告できそう。みなさん、期待して待っててね♪」
カルーセル麻紀(かるーせる・まき)●1942年、北海道生まれ。15歳でゲイボーイになる決意をして、札幌のゲイバー「ベラミ」で働き始め、その後、大阪「カルーゼル」などの有名クラブで名をはせ、映画やラジオ・テレビでも活躍。1972年にモロッコで性転換手術を受け、2004年には戸籍上も女性に。ゲイ界のパイオニアのひとり。
取材・文/大貫未来(清談社)