中村玉緒 撮影/伊藤和幸
「夫からのプレゼントは、14億円の借金です。それをぜーんぶ返したのは、私(笑)」
「今は大変な世の中で、みなさん元気もないですよね。でも、私と同年代の五月みどりさんや水谷八重子さん、少し下にはなべおさみさん……みんなとっても元気なんですよ。私の健康の秘訣? それは『今日のことは今日で忘れる』という性格でしょうね。翌日には引きずりません」
自分で決めてダメなら仕方ない
「インスタグラムは長年の私の付き人が投稿してくれていて、コメントも読み上げてもらっています。私は、新しいことを考えるのが好きなんです。自分で『こういう企画がしたい』と思い立ったら、事務所の社長に直談判。私は自分でマネージメントをしていた時期が長いから全部自分でできちゃうんですよ。今は秘密ですが、新しい企画も進行中なんです」
「遊びの予定もきっちりこなします。赤坂に行きつけのパチンコ店があるんです。決めてることがあって、スロットのレバーは右手を使う。でも、麻雀牌は左手で取る。勝っても負けても予定どおりに進めば万々歳! これも元気の秘訣です」
「今はマネージャーさんがいますけど、自分のスケジュールは自分で決めたほうが寝心地がいいんです。他人任せにすると失敗したときにその人を責めたくなるでしょ。私は誰かの悪口を言いたくないから、自分で決めます。人間ですから間違う日もありますけど、自分で決めてダメなら仕方ない……そう考えながら眠るのが私の“睡眠薬”なんです」
父親に「玉緒が男やったらなあ」と
「父は私に役者の才能を感じていましたが、女なので歌舞伎役者にはなれません。子どものころの私は母のような舞妓さんになるのが夢でしたね」
「主人との初共演は『源太郎船』でしたが、婚約をしたのは1961年の『悪名』の公開後でした。初めて会ったときは結婚するなんてまったく思いもしませんでしたね」
「当時、主人が自宅で開いたパーティーに私も招かれたんです。すると主人のマネージャーに呼び出されて『勝さんのこと好きですか? 嫌いですか?』と聞かれて『好きか嫌いかで言うと、好きです』と答えたんです。1週間後、そのマネージャーから『勝さんが結婚を前提にお付き合いしたいと言っています』と言われました」
「主人の兄の若山富三郎さんにも、実の妹のようにかわいがっていただきました。若山さんはとても女性に好かれましたから、主人がうらやましがって『お兄ちゃんはいいなあ。右手に女、左手に女、右足に女、左足に女。僕は玉緒しかいないんだよ』なんて言うんです。ひどいでしょう?(笑)」
勝新太郎の意外な繊細さとは……
「その夜、主人に『玉緒、今日は来ないほうがよかったよ』と言われたんです。理由を聞くと、その日はラブシーンの撮影があったようで、私が挨拶に行ったせいで彼女が積極的に演じられなくなってしまったみたい。主人には、相手の気持ちの変化を察する繊細さがありましたね」
「主人はお酒を飲むけど、健さんはお酒を飲まれなかったでしょ。撮影中は健さんが好きなコーヒーばかりで『毎日コーヒーを何十杯も飲んで大変だったよ』と言っていました。主人をしても、健さんには『一杯飲みに行こう』と言えなかったようです」
「健さんから『玉緒さんとご飯をご一緒したい』と直接電話がかかってきて、ある有名ホテルの中華料理店にお招きいただきました。同じテーブルには、健さんのご友人の散髪屋さんや、メガネ屋さんが座っていて、芸能界の関係者はひとりもいないんです。『僕はね、俳優とご飯を食べたくないんですよ』とおっしゃっていたのが印象的でしたね。でも、私はなんでよかったんですかね。もう1度くらいお食事に行きたかったです」
“勝新太郎の妻”として立派に死にたい
「主人は人のために動くのがとても好きな人。飲みに行けば全員分の勘定をしたり、見知らぬタクシーの運転手さんに多めに運賃を支払ったり、他人の借金も背負ったり……人から漏れ伝わる主人の話を聞くと『そりゃあ14億円も借金しますわ!』と笑うしかありません。他人にも自分にも甘いというか、優しい人やったんです」
「いろいろなことを言われてね。みなさん、面白がって適当なことを言わはるでしょう。嘘も多いですね。でも、私はじーっと、反論しないで、一晩寝たら忘れるの。
本当にいろいろありましたけど、私は『勝新太郎の妻でよかった』と思っているんです。
私は昔からズバッとした男っぽい性格なんだけど、主人のほうが柔らかい、女性的な性格だったと思います。だから、合ったんでしょうね。
亡くなるとき、まだ生きようとしている主人の目を私の手で閉じるのがとてもつらかった。実はね、あまりに悲しくて、命日の日付がわからなくなっちゃったんですよ」
「母は“中村鴈治郎の妻”として立派に生きました。私も“勝新太郎の妻”として立派に死にたいのですが、今の状態だとお迎えがまだまだ来そうにありません。今日も一日前を向いて、しっかり生きるしかないですね」
なかむら・たまお 7月12日、京都府生まれ。松竹映画『景子と雪江』でデビューし、1954年に大映と専属契約、1965年に大映から移籍して現在に至る。映画やドラマで活躍する傍ら、明石家さんまにその才能を見いだされ、バラエティー番組にも数多く出演し人気を博す。私生活では1962年に勝新太郎と結婚、2児をもうける。今年3月よりInstagramとYouTubeチャンネル「中村玉緒の今日のことは今日で忘れる」をスタート!
《取材・文/大貫未来(清談社)》