宗家会理事長 和泉節子
マスコミが密着したカーチェイス
「2つとも義理のある仕事なら双方を立てなきゃいけませんよね。単なる営利目的だったら、やりませんよ。“どうしても宗家にやってほしい”と言われたらキチンとやらなきゃいけないのです!
「マスコミが追っかけてくるから、元彌には帽子をかぶせて、婦人用コートも着せて、目的地とは全然違う方向に走らせたり。……そういうことも、やりましたねぇ」
'01年NHK大河ドラマ『北条時宗』で主演したことが大きかった。数多の人気俳優を差し置いての大抜擢だった。
「馬に乗って海岸沿いを走るなんていう撮影もありましたが、ケガもなくすんでよかったです。私は心配でしょうがなかったので、ずっと現場についていました。そうしたら私にも“お百姓さんの役で出ませんか?”なんて誘われましたけど、断りましたよ。宗家より私が目立っては悪いから(笑)」
「実際は父の元秀が亡くなる前に、元彌は宗家を継承していたんです。披露パーティーまでしたのに、後になってから“元彌では若すぎる”なんて言われるのはおかしいんです。元秀は元彌が1歳半のころから20年間かけて芸を伝えており、40年間分のことを注ぎ込んだから大丈夫なのに。
実業家のもとに生まれた「和泉節子」
「短大を出たら早くお嫁に行くように言われて、お見合い話が100件ぐらい来ました。その中で残ったのが元彌のお父さんの元秀。幼くして宗家を継ぎ、ものすごく努力していたんです。十九代の歴代宗家で、254曲という全曲を仕上げたのは584年続く歴代の中で元秀だけ。
「女性狂言師は、今まで狂言の世界にはいなかったんです。ただ、女性がやってはいけないという女人禁制は謳われていません。娘たちには、男の子と同じレベルのことをしてきましたよ」
「敗訴はしていないんですよ。裁判で裁判長が“裁判になじまないので告訴は棄却するから、双方で話し合いをもって和解するように”ということ。2人の姉は、その間も今も、変わらず能楽協会員なのですけどね」
「全国にある文化会館や教育委員会から直接、宗家に指名がきます。中学校、高校へ多いときで月に15~16校は行きます。北海道の稚内から沖縄の石垣島まで3000kmの移動をしたこともありますよ」
「それでも日本全国を回るのは、伝統芸能を若い世代に伝えなければいけないからなんです。大切なのは、日本の伝統文化を尊重し、尊敬し合って舞台を作り上げること。これまで世界14か国、40都市に出向いています」
「それは、いっさいないですね。彼女が稼いだお金は全部、彼女のお小遣いです。
「あれね、私は全然、知らないのよ。上沼恵美子さんに“よくあんなところへ嫁に行ったわね”なんて言われたようですけどね(笑)。彼女は何にも言わずに出ていっただけですから。
いつ死んでもいいです
「テレビ番組で元彌が“ソロリ、ソロリ”の発音をちゃんと教えましたからね。ただ、もし脱線しすぎたらブレーキはかけなければいけません。彼らは狂言を楽しいものとして伝えているし、今のところ狂言が“傷むレベル”には至っていないので、まあ大丈夫でしょう」
「主人の妹が2億8000万円もの借金を作ってしまったのですが、必死になって返しました。残りは2000万円くらい。借金は、ちゃんと真っ白にして、次の世代に引き継ぎたいと思っています。
「孫も4人中3人が一人前になりました。やりきったという気持ちはありますから、いつ死んでもいいと思っております。とはいえ日本は、まだまだ“年功序列”を振りかざすオジサマたちも多い。だから、親の私が生きているほうが得なんですッ!」