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紺野ぶるま 撮影/伊藤和幸
「もうお母さんと一緒に死のう」高校中退を宣告された後、母親にそう言われた。「普通がいちばん」が口癖だった母親を裏切り、“底辺”に転落した日──。ひきこもり生活の末、ようやく人生の軌道修正を志した矢先、今度は多額のお金を騙し取られ、卵巣嚢腫で手術入院……。沈んだ気持ちを救ってくれたのがテレビで活躍する芸人の姿だった。「母親の理想」ではなく、「自分の理想」にこだわった少女の人生挽回劇。
「芸人とかけまして ちんこと解きます。その心は、どちらも噛むと怒られるでしょう」
「上司とかけまして ちんこと解きます。その心は、どちらもうまくたててあげたいでしょう」
病弱だが勉強もスポーツもできる子だった
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「もうお母さんと一緒に死のう」
「うちはやりたいと言えば何でもやらせてくれたんです。お金持ちの家で、私はお嬢様で、しかもこの世でいちばんかわいい。そう思ってました。だけど今思えば、うち、団地だったし、実は普通に貧乏だった(笑)」
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「心臓の手術をしたのが夏休みだったので、母に連れられて毎日のように見舞いに行きました。当時、妹と同じ病気でヒロインが死んでしまうドラマがあったんですよ。だから、妹もいつか死んじゃうのかなと漠然と不安を覚えましたね」
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「病弱だったから、親は妹には甘かったですね。うちはたいして金持ちじゃないのに習い事ばかりして、空気読めないヤツだなと思っていました。僕と妹はいつも正反対の人生を歩んでいた。僕は当時、太っていて勉強もスポーツもできない。妹はどっちもできる。4歳差だから小学生のときは在籍期間がかぶっていた。あるとき妹がマラソン大会で1位になったんですが、僕は全然ダメで。『名字は同じだけど、あれは兄じゃない』と妹が言っていると噂で聞きました(笑)。冷たいヤツです」
「部活が終わって帰ると、気絶して寝るような日々でしたね。そのころはもう勉強は苦手になっていて、塾にも通いましたが、ちっとも成績が上がらない。だけど英語で挽回して、なんとか推薦をもぎとり、私立の女子校に入学したんです」
校長におでんの汁で黒魔術
「私、そのころ“ギャル”に憧れていたんです。ギャル全盛期で、雑誌を見ては私もこうなると決めていた。ガングロ、金髪、濃いメイク、友達と渋谷に行ってファッションを語ったりしたい、と」
「今思えば笑い話なんですが、当時は本当にすべてが嫌だった。もちろん私は目標どおりギャル道を突っ走っていたんですが、学校の雰囲気はそれとはかけ離れていて。夏休みになる前に遅刻、居眠りは当たり前。いつも5分、遅れるんですよねえ。年間100回くらい(笑)。制服はぎりぎりまでスカートを短くしていました。真っ黒に焼いてガングロにして、かつらかぶって学校行ったり、テストは解答を書かずに提出したり……。この学校にいることを否定したい、目立ちたい、自分のポテンシャルはもっと高いと見せつけたい。いろんな感情があったような気がしますね」
「マルキュー(渋谷109)が閉店するまでいて、深夜は地元のコンビニ前で仲間とたむろして……。ただ、何をしても満たされてはいなかった。逆に何をすればいいのかもわからなかった。健全だったら勉強やスポーツで頑張るべきなのに、ここで頑張っても意味がない、と無気力になっていました」
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「母は『普通がいちばん』という人なんですよ。学校の成績も“3”でいい、と。私は特別になりたかったので、退屈なこと言ってるなと思っていました。当時の私から見ると、両親は普通の人だけどしんどそうにしか見えなかった。父は当時測量の仕事をしていて作業着を着て日々働いている。母も駅まで自転車で爆走して仕事に行く。ふたりが楽しそうには見えなかったし、それは私のせいかなとも思っていました。父は明るいけど、母は常に怒っている。だから、母の『普通がいちばん』って意味がないと思ってた」
「その日、門のところに校長がいて……。『おまえまた遅刻か、このあんぽんたん』と言われたので、それは言いすぎだろう、と。校長先生の立っている周りをおでんの汁で囲って、『おまえ、そこから出るなよ、黒魔術で呪いかけたからな』と(笑)。翌日、親が学校に呼ばれました」
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「人前で泣かない母が、『絶対に更生させます、お願いします、お願いします』と頭を下げて。それがつらかった。私は隣で、お母さん、やめてよやめてよと思いながら、一方で、あー、やっちまったとも感じていた。子どものおふざけだから許してくれると予想していたんです。高校生の甘えですね。逆に、そうか、切ることができるのは向こう(学校側)なんだ、権力を見せつけられたなとも思ったり」
高校中退で堕落した生活
「私の部屋はオレンジ色のカーテンだったので、光が入ると部屋のなかがきれいな色に染まるんです。それがまた切なかった。
「親孝行しなきゃ、ここから抜け出さなきゃ、と焦っているのに、どうすればいいかわからない。
家事を手伝ってみても、褒められないから逆ギレしたり……。
教科書を開いてみたけど何が書いてあるかわからなくて、『寿限無』の暗記をしたり、寿司店の湯呑みに書いてある魚へんの漢字を覚えたりしていましたね(苦笑)」
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「コイツは何をどう間違えてこうなってしまったのかと腹立たしかったり、どうなるんだろうと心配したり。フリーターと言うと怒るんですよ。『フリーティと呼んで』とわけわかんないことを言ってましたね(笑)。ただ、しょうもない自己啓発本だけはたくさん読んでいたみたい。当時、両親は『いつになったらちゃんと働くんだ』程度のことは言っていましたが、キツくは言えなかったみたいですね。昔から病弱というのがあるので、そのあたりは親も甘かった。彼女がモデルをしているところを見に行ったこともありますが、結局、ノーギャラだったみたいだし。そのころはイケてる妹とダメな兄が逆転していましたね。僕は大学を出て、地道に就活もして就職しましたから(笑)」
「ブルマをはいた芸人」に魅せられて
「お金がなくて食べられなくても、ここにまじってブルマをはいて芸人として生きていくほうが幸せなんじゃないか、私にとって“生きる”とは、そういうことなのではないかと本気で思いました。それまで“芸人”という選択肢に気づかなかったんですが、これだ、こういう大人になりたいんだ、という直感がありました」
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「最初に、人前に出るのはどういうことなのか、人の悪口を言ってはいけない、遅刻しちゃいけない、芸事のために身を粉にして頑張るというようなことを学びました。同年代の女の子もいたし、レッスンは楽しくてたまらなかった。毎週日曜日に演技やタップダンス、日舞などを習うんですが、芸人コースはその時間にネタ見せをしているんですね。それを見に行っているうちに、やっぱり芸人になりたい、と」
「彼女から誘われたんです。当時、私は短大を出たものの仕事をしていなくて、『就職先が決まるまでならいいよ』と受けてしまって(笑)。ふたりでブルマをはいてネタ見せしたこともあります。ブルマを脱いだら、またブルマはいてる、みたいな。でもすぐに私の就職が決まって1か月ももたずに解散することに。ごめんねと言ったら、いいよってあっさり。ただ、彼女がネタを考えている様子を見て、本気でお笑いをやりたいんだとよくわかりました。地元でつるんで遊んでいたときとはまったく違う真剣さがあった」
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「ブルマの下にブルマというのがマジで受けていなかったので、大丈夫か、と思ったのが最初の印象ですね(笑)。ぶるまは女性タレントコースにいて、数か月してからお笑いに移ってきたので、僕は心の中で、なんだよ今さらみたいな気持ちがあった。だけど彼女がピン芸人になってから妙にシュールなネタをやっているのを見て、だんだん親しくなっていったんです。
女芸人として葛藤する中、「謎かけ」でブレイク
「4年目くらいまでは、絶対いつか売れると根拠のない自信があったんです。だけど26歳くらいになると親も当たりがキツくなってきて。母は『引き返すなら今だよ。医療事務の資格をとって社会保険のあるところに勤めてお見合いしなさい』って……。それはありえないと拒絶したけど、だんだん自分には本当は何もないんじゃないかと思うようになっていって。初期設定では30歳までに売れて、結婚して子どもも産んでいるはずだったんですが」
「女芸人は容姿をいじられて笑われる。それを“おいしい”と思わなければいけない雰囲気もある。女を捨てないとおもしろいと言われないのか、女であることを利用して笑いをとったほうがいいのか。男社会の中で常にそんなことを考えていました。本当は私だって裸で泥の中に飛び込んだりしたい。女だからできないこともたくさんある」
「ちんこと解きます。その心はどちらも、かけます」
「謎かけは昔ながらの言葉遊びでおもしろい。そこに下ネタをかけたら、誰も傷つけない笑いになる。女としてエロを売っているわけではないんですよ」
「その後、深夜番組などに少し出してもらえるようになったけど、別に“売れっ子芸人”になれたわけではない。むしろ家族に迷惑かけているのかなと思ったし、やっぱり芸人を辞めたほうがいいんじゃないかと自分を追い詰めていました。でも、母が言うように医療事務の資格をとろうか、ハローワークに行こうかと考えたら、なんだかひどくしんどいんです。やりたくないことをしなきゃいけない環境から逃れてきたのに、またあそこに戻るのかと思うと、眠れなくなってしまって……。
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ぶつかり続けた母との和解
「スーツを着たまじめそうな男性に『一緒に飲みませんか?』と声をかけられたんです。こっちは腐っているから、『けっこうです』とにべもなく断った。でも、『少しだけ』と言ってくるので、『しつこい』と追い払おうとすると、じゃあ、せめて連絡先を教えてほしい、と。それでようやくまじまじと顔を見たんですが、なんだかあどけない顔をした青年で。また会いたいと言うから、じゃあ、保険証見せてくださいって言ったんです。まるで歯科の受付みたいな言い方で(笑)」
「まだ付き合い始めたばかりだから『クーリングオフしますか』と尋ねたら、『しません』と。彼と付き合うようになってから、毎日が穏やかになったんです。彼は本当に常識的でブレない人」
「結婚すると母に言ったら、ようやくホッとしたようです。彼が社会保険に入っているような会社員だったし(笑)」
「母は外では社交的で穏やかな人なんです。だから本来なら穏やかな人生を送れるはずだった。でも、私の病気や中退が彼女の人生を狂わせてしまったんだと思うと、ショックが大きかった。母は私のことが心配でたまらないから、私の意思をくまずに“安定”を押しつける。それはわかっているんだけど、私も自分を守るために言いたいことをぶつけるしかない」
「母をひとりの人間として見れば、大好きなんですよ。そう気づけたとき、生き方は違うけど、それは悪いことじゃないんだと素直に思えた。だからなるべく友達として見るようにしています。そうすれば、うまくいく」
「あの日、お互いに“許された”という感じがありました。私が結婚したことで、心配性の母は、少しだけホッとしてくれたのではないかと思っています。もちろん子どももほしいですよ。卵巣の病気があるのでどうなるかわかりませんが……」
「ちょっとだけ、この結婚には“母のため”という気持ちがあったと思う。ちょっとだけですよ?」と言葉を足した。
「結婚式はコロナ禍で延期になったんですが、去年の正月だったか妹のダンナさんに初めて会いました。すごくいい人で、優しい人。妹のどこがよかったのかわかりませんが、妹は彼のまともさに惹かれたみたいですね。そのあたりが妹のバランス感覚のよさじゃないかと思う」
お笑いは一生、手放したくない
「よく努力しているなと感心しますよ。テレビの収録などがあるときは、そこで扱うテーマについて事細かに予習してくるんです。自分が話せる内容をメモにたくさん書いてくる。ほかのタレントに対してもそうですが、私はマネージャーとして、タレントのやりたいことを実現させるのが仕事だと思っています。ぶるまは、自分が何をやりたいか明確にしてくれるので、こちらも全力でがんばろうと思えます」
「ぶるまに文才があるとわかったのも、うれしいことでした。仕事の幅が広がったと思います。今回、2冊目の本が出たとき、ぶるまは著者だから出版社から何冊か本をいただけるのですが、私には、わざわざ書店に行って自分で購入し、サインをしてくれたんです。『牛島さんには自分で買った本を贈りたかった』と言ってくれて。これがぶるまの人間性なんだなと感激しました。しかも2冊とも、本の奥付に私の名前を入れてくれたんです。会社の名前が入るのはわかるけど、私は単なるマネージャー。でも『嫌じゃなかったら名前を載せさせてほしい』と。その気遣いが本当にうれしかったです」
「僕だったらもうちょっと調子に乗っちゃうと思うんですが、彼女はいつも申し訳なさそうにしてる。ギャルやってて中退したのはわかっているけど、彼女も僕もワルにはなりきれないタイプなんですよ。自分を防御するために強がっていただけ。ぶるまの本質は謙虚で、でもザ・芸人だと思いますね。最後は絶対に笑ってもらわないと気がすまない。先輩面していたけど、あっさり追い抜かれましたからね。これからもぶるまには頑張ってもらって、何かあったら僕もイベントに呼んでもらいたい(笑)」
「実は、昔からなんです。子どものころ、お祭りに行ったとき、お小遣いを持ってこなかった友達に自分の小遣いを全部あげちゃったことがあるんですよ。それで本人は淡々としている。わが妹ながら変わったヤツだなと思っていました」
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「自分が芸人として舞台に立つのももちろんですが、ほかの人にコントを書いたり、ユニットを組んでネタを作ったりもしたい。小説や脚本も書いてみたいですね。お笑いは私にとっていちばん大事なこと。いちばん好きでいちばん長続きしてきたことだから、活動の形は変わっても、一生、手放したくない。そう思っています」
「いや、やっぱり大女優を目指したほうがいいですかね。最近、スクリーンが見えるんですよ。アカデミー賞とりたい!」
「大丈夫? 誌面に載る前に撤回するのはカッコ悪いよ」と的確にツッコミを入れる。
「え? 言いすぎ? やめとく?」
(取材・文/亀山早苗)
かめやま・さなえ
1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、貧困や格差社会など、幅広くノンフィクションを執筆。歌舞伎、文楽、落語、オペラなど“ナマ”の舞台を愛する