月乃のあさん
「私は当時、脳梗塞で倒れ入院していたため、そばにいてやれませんでした。娘がこの動画を配信中に《死なないと約束できる?》とケータイからメッセージをしました。娘は《できるよ》と約束してくれました。配信後も《すぐ(屋上から)降りなさい》と送ると、《いま帰る》と返事がありました」しかしこの3日後、月乃さんは自殺してしまう。
死の間際の炎上
「娘は、カフェのオーナーとのトラブルをツイッターでつぶやいたんです。すると、信頼していた女性が娘に怒ってツイートをしたんです。女性の知人2人も加わりました。そのことが原因で匿名掲示板でも叩かれたんです」(母親、以下同)
「私は娘を信じていますが、『これは、信じる、信じないの問題ではなく、(対人トラブルを)ツイッターにあげてはダメ』と言いました。娘は『わかった』と言っていましたが、トラブルのもととなったツイートを消さなかったんです」
「娘は『またアイドル活動を始めるから、入院するわけにはいかない』と言っていました。あのとき、強制的に入院させていれば、と思っています。ひと目会いたかった」
炎上のきっかけ
「9月29日(自殺の前日)に娘はまたいなくなりました。電話やSMSはしていましたが、どこにいるかわかりませんでした。娘のファンの子と一緒に、飛び降りたホテルの部屋に泊まっていたようですが……」
アイドルとしての娘
「屋上に座っている2人を近くから見ていた人がいたそうで、すぐに自殺と判断されました。通夜には400人ほどに来ていただき、出棺のときは静かに見送ってもらいました」
「歌は苦手でしたが、ダンスは得意でした。ファンへの思い入れがあり、中途半端では終われないというのが本人にはありましたね」
「もともとは引っ込み思案で、地元のアイドルと仲よくなり、手紙の交換をするようになったんです。悩みを打ち明け、慰められたりもしていました。交流が続いていたために『(そのアイドルの)グループに入りたい』と言うようになっていき、名古屋市内で歌う活動を始めました」
「ファンは中学生から、“孫が好きで見ていた”というおじいさんまで幅広かったです」
「ツキノノア」母の活動
「金額に応じて、娘の私物も差し上げました。脳梗塞の後遺症があるため、私もいつどうなるかわかりません。そのため、大事にしてくれる人がいるなら渡したい」
「“今、ビルの上にいます”というものもあります。当初は、自分が体験していないのに、アドバイスができるのかと思っていましたが、今ではみんなの気持ちがわかる気がしています」
「生きていてほしいんです。だって、残された人はつらすぎますから」
「当時のことを考えると複雑な気持ちですが、ちゃんと向き合えてよかったです。憎み合うだけじゃなく、話し合うと通じることがあると思います。遺書には『AさんとBさんを憎み続ける』と書いてありました。私も《絶対に許さない》と思ったこともあります。でも娘もきっと、3人のことは許していると思います」(同)
《取材・文/渋井哲也》