大震災が離婚を決意させた人も……
「それがいけなかったのか、夫は一時期、行方不明になったんです。久しぶりに顔を見せると、離婚を言いわたされました」
「長女と長男、そして当時お腹の中にいた次男と、3人の子どもがいます。3番目の子どもは父親の顔を知りません。でも、知っているよりはいいかもしれない」
泣く夫を見て「かわいい」と思った
「前夫には両親がいないんです。母親は埼玉にいるというのですが、なぜか、おばあちゃんが彼を育てていたんです。結婚するときに戸籍を見ましたが、父親の名前は載っていませんでした」
「その話はタブーでした。ただ、戸籍を見たときに、おばあちゃんの養子になったことがわかったんです。母親は何らかの理由で育てられなかったのでしょう。彼について、いろいろなことを知らないので、結婚したらこの先、何かがあるんじゃないか? と思っていました。
「もしかすると、女遊びもしている? と思ったりしました。でも、彼のことはずっと信じていました。それなのに離婚を切り出され、ギャンブルだけでなく、初めて女遊びをしていることに気がついたんです。ずっと隠していたようなんですが、いつ遊ぶヒマがあったんだろう……」
「変則勤務の人は、遊び人が多いと聞いたことがありますが、まさか自分の夫もそうだったとは思いませんでした。でも、この辺りは遊ぶような店はないんです。飲み屋といっても、若い女性が多いというわけでもありません。だから女性遊びといわれても、イマイチわからない。なんなの? って感じです」
「なんで私だけこんな目にあわないといけないの? ふざけんな、って」
「でも、今では強くなりたいと思っています。とはいえ、未練じゃないけど、思い出すと憎らしい。忘れることができれば、どんなに楽だろう」
「原発で何かがあったら、私たちは見殺しだろう」
震災があったから遊べた夫
「娘に夫の古い携帯電話をわたしていたんです。その電話にLINEの履歴が残っていたんです」
「なんだ、その胸の形は!ガリガリじゃないか!」
「好きな人ができたから、もうお前のことは好きじゃない!」
「もうお前のことは好きじゃないから、帰らない」
「暴力はいつもじゃないですが、逃げ場がなくなると手が出るんです。震災前は、原発の運転員だったので、出会いはなく、遊ぶにも限度があったんですが、震災後は営業の仕事をするようになったんです。ある意味、震災があったから遊べたんでしょう」
「いい人に見えたんです。同棲するようになって、妊娠。結婚は出会って、2、3か月後でした。デートも重ねていませんので、いつか私のことを思ってくれればいいと思っていました。でも振り返れば、挙式のときもケンカしていたので、いい思い出はありません」
「自分は、かあちゃんとやるつもりはない」
「彼は人前ではずっといい人でした。“本当の彼”を知っている私は、ずっとガマンしてきたんです。娘もいろいろとわかる年ごろになり、夫のことを『あんなバカ、いらない』と言っています」
渋井哲也(しぶい・てつや)◎ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。東日本大震災以後、被災地で継続して取材を重ねている。『命を救えなかった―釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)ほか著書多数。