’98年のフジテレビ系ドラマ『WITH LOVE』で俳優デビューしたころの及川光博
「都市伝説では、渡真利は半沢にしか見えてないフェアリー(妖精)なんじゃないかと。自分(渡真利)がいなかったら、半沢は前シーズンの第3話で詰んでいます」
小学生時代のあだ名は“キザ男”
「自営業を営む父親、宝塚歌劇団のファンの母親のもとで育ったこともあり、小さいころの愛読書は『ベルサイユのばら』だったとか。また、小学生時代のあだ名は“キザ男”で、そんなキャラクターゆえに男子からは仲間はずれにされたこともあったといいます」(テレビ誌編集者)
「学生時代はバレンタインの日は60個ほどチョコをもらうなど、当時から王子様っぷりを発揮していたそうです」(レコード会社関係者)
「100人規模のライブハウスにバラをくわえて登場。そのバラを客席に投げるというパフォーマンスをしていたものの、最初の1年ほどはバラを受け取ってもらえない時期が続きました。それでも心折れずに続けたところ、レコード会社の人の目にとまり、デビューのチャンスをつかんだというからすごいですよね」(音楽ライター)
忌野清志郎さんの助言に背中を押される
「日本テレビ系の『おしゃれイズム』に及川さんが出演した際、MCを務める藤木直人さんも同じオーディションを受けていたことを明かしていました。『マツキヨ』のCMが話題になり、音楽番組などに引っ張りだこになったものの、しばらくはイロモノっぽい扱われ方が続きましたね」(テレビ局関係者)
「どのように音楽業界やテレビ業界になじめばいいか……と清志郎さんに相談したところ“なじんでどうする? ずっと浮いてなさい”と言われ、そこから吹っ切れたんです」(前出・音楽ライター)
「及川さんが詞を書いているときには“迷うな。迷うものはたいていダメなんだ”“直すとどんどん平均的になってつまらなくなる”といった、清志郎さんの言葉に刺激を受けたそうですよ」(前出・テレビ誌編集者)
美輪明宏の言葉で迷いがなくなった
《ミッチーというキャラクターが浸透したとき、何だか窮屈になったんです。そのころが一番しんどかった》
「小学生のときに美輪さんが出演する映画『黒蜥蜴(くろとかげ)』を見て以来、憧れの存在だったとか。’99年にトークショーで初対面。親睦を深めた際に、見せたいものと客の望むもののジレンマに悩んでいることを美輪さんに相談したところ、“人間は誤解されて当たり前。だから、誰がどう思おうが、自分の美意識で選んだ道を行けばいい”と言われ、迷いがなくなったといいます」(前出・音楽ライター)
《おもしろいイキなセンスを持っている人だと思っていたの。(中略)番組で話しているのを見て、非常に知的人種だと感じていた。この人はもっとレベルの高い芝居の世界に行ける人だと感じた》
「番宣でたまに出るバラエティー番組の収録でも、常に王子様のように言動がスマートです。クイズ番組に出たときは正解率が高く、知的さも備えている印象を受けました」(制作会社関係者)
「前回の『半沢直樹』でご一緒したときは、暑い日の外ロケだったにもかかわらず、待ち時間も嫌な顔ひとつせずにスタッフと談笑されていました。撮影が終わったときは、エキストラのほうにもきちんと挨拶して帰られて、品のよさを感じましたね」(エキストラに参加した女性)