栗原心平(寺澤太郎(大和書房『栗原家のごはん』)より転載)
「母は仕事で留守にするときも多かったけれど、僕らの好きなおかずを必ず用意してくれていたので、寂しい思いをした記憶はないんです」
いつも食卓には母の料理、今では食事担当
「家事の中で僕は食事を担当しているので、一緒に食べられないときでも支度をしてから出かけます」
「これまでは子どもと妻が当日食べ切る分量で用意していましたが、最近は僕も一緒に食べられるので、残り物も活用しつつ、献立を考えるようになりました。翌日のためにあえておかずをちょっと残しておいたりと工夫してます」
気づけば朝食担当になっていた少年時代
「日曜の朝、子ども向けのアニメ番組がありますよね。あれを楽しみに1人で早起きをしていたんです」
「僕だけ早起きしているので、朝ご飯までにめちゃくちゃお腹がすくんですよ。休みの日だから親もなかなか起きてきてくれなくて。もう自分で作ろうって思って(笑)」
下田で過ごした夏の思い出
「インクの匂いがする昔ながらの印刷工場で、活版印刷用の活字を選ばせてもらったり紙が裁断されるさまに見惚れたり、日がな一日飽きもせず時間を過ごしていました」
「僕も大人に交ざって一緒にお菓子を食べながら談笑したり、繁忙期じゃなければ納品のトラックに乗せてくれて、帰りに釣りに連れて行ってくれたこともありました」
祖母が作る魚料理ですっかり魚好きに
「僕が堤防からサビキ釣り(釣り針をいくつも付けて魚を釣る方法)でアジを200匹ほど釣ってくるんです」
「祖母の料理はどれもおいしかったけれど、アジの押し寿司は特に絶品だったんです。僕が渋い味好みだったことを差し引いても、最高においしかった」
祖母の味を再現するのに難航
「まず第一関門は、ちょうどいいサイズのアジを探すことでした。大きすぎても小さすぎてもダメなんです。当時、僕が釣ってきたアジは小ぶりだけれど身がキュッと締まっていてうまかった」
「祖母がアジを捌くのを手伝ってはいたけれど、作り方は直接教わっていなかったんです。実は祖母の味は母でさえたどり着けないほど再現が難しいんです……。非常に難儀しました(笑)」
母に料理を細かく教わったことはない
「料理に関してはひとつひとつを習ったことはないんです。ただ、日々のお手伝いはよくやっていました。お米をといでおいて、大根おろして、薬味を切っておいてなど、母から言われたことをこなしていたので、料理を手伝っているという感覚もなく、ごく自然な流れで台所には立っていたんです」
「きっとこうやって作るのかなと子どもながらに考えて。実践あるのみでした(笑)」
「火を使うことにも抵抗はありませんでした。そのころわが家の台所は電熱コイル型のコンロだったんです。火が出ないぶん、両親も安心だったんでしょう。小学校高学年のころには、揚げ物でも何でも作るようになっていました」
母の作った料理を批判したことも
「たしか小学校高学年ごろだったと思うんですが、蒸した豚肉に青じそのソースがかかった料理を出してくれたんです。なんだか味がぼやけていたので『何これ……全然おいしくない』と批判した記憶があります。そのときの味、いまでも覚えてます(笑)」
「僕らが子どものころ、母の料理を好き勝手に批評していたように、僕の料理も息子からいろいろと言われる日がくるのかもしれません(苦笑)」
毎日食べている味が「家の味」になる
『栗原家のごはん』を出版した心平さんに、私たちにも「わが家の味」を残すためにできることはあるのか聞いた。
「あえて何かアクションを起こす必要はないと思います。毎日食卓に料理を出していれば、家族にはすでに伝わっているはずですから」
「昆布やにぼしからだしをとろうと市販の顆粒だしを使おうと、その家で食べられているみそ汁が『その家のみそ汁』。母のみそ汁もだしやみそもさまざまで、いろんなみそ汁が出てきましたが、どれを食べても『母のみそ汁』なんですよね」
「時々、『私ははるみさんの味で育ちました』と僕に声をかけてくださる人もいますが、レシピは母のものだったとしても、料理は作った人の味に自然になっているはずですし、それがやがて『家の味』になっていくんだと思います。そして、その味の記憶が子どもに引き継がれていく。それが続いていくことが『味を継ぐ』ということなんだと思います」
母、栗原はるみのこと。
しばらくは、泣いている母を傍らで支えながら、ただただ時が過ぎるのを待っていました。どんなにやさしい言葉をかけようと、父を失った悲しみは母にしかわからないからです。最近になってやっと元気を取り戻しつつあるような気がします。周りの大勢の人に温かく見守られながら、自分のいる場所をきちんと整理しつつあるように思います。
(大和書房『栗原家のごはん』より一部抜粋)
料理をつくるときに大切にしていること。
プロフィール:栗原心平
料理家。株式会社ゆとりの空間代表取締役社長。会社の経営に携わる一方、幼いころから得意だった料理の腕を生かし、料理家としてテレビや雑誌などを中心に活動。
<取材・文/飯田美和>