短冊に《“時間ですよ 平成元年”がヒットしますように…》('89年)
「何も知らないファンの方たちのため、最期を知る人間の声を届けてほしいんです」
そう語るのは、'90年代にアイドルや女優として活躍した川越美和さんの死を知る、元同僚の城野よしかず氏。亡くなるまでの約1年間を知る彼は、今まで語られなかった川越さんの死について、その知るところを話してくれた。
川越さんといえば、'88年に歌手デビューすると、翌年には『時間ですよ 平成元年』(TBS系)にレギュラー出演。この年は『夢だけみている』で第31回レコード大賞新人賞も獲得し、芸能界で絶好のスタートを切った。
このころ、川越さんをインタビューしていた芸能ジャーナリストの佐々木博之氏は、
「“地元では電車がなくて、東京に来て初めて電車に乗りました。山手線は乗降する人も多くて初めは怖くて乗り込むことができませんでした”と、あどけない表情で話していたのが忘れられません」
と振り返る。
レコ大新人賞を獲得後も『スクールウォーズ2』『HOTEL2』(ともにTBS系)などの話題作に続々出演。映画やCM、雑誌のグラビアなどにも数多く登場して、順風満帆な芸能生活を送っていたかに思えたのだが……。
引退後の仕事とは
「川越さんは'07年4月に公開された実写版映画『ゲゲゲの鬼太郎』にヒロインである井上真央の母親役で出演していましたが、それを最後に突然、芸能界を引退してしまったんです」(スポーツ紙記者)
引退後、川越さんがついたのは不動産会社のテレホンアポイントの仕事。そこで、前出の城野氏と会うことになる。
「川越さんが会社に入ってきて、びっくりしましたよ。時給は1400円ほどで1本契約を取るごとに5万円とか入る仕組みで、彼女はかなり、いい成績でした」
このころ、川越さんは会社が用意した墨田区内のマンションで、フレンチブルドッグ2匹と暮らしていたという。
「何度か街で見かけたのですが、いつも帽子やフードをかぶり、あまり芸能人オーラを感じませんでした。当時はフレンチブルドッグが珍しかったから覚えているんですよね」(近所に住む男性)
また、近所での彼女のある行動がとても印象に残っている人がいた。
「(写真を見て)この人、よく覚えていますよ。ある日突然来て、“お金はないんですが、髪を切ってくれませんか”と言うんですよ。そんなことは初めて言われたので、正直、びっくりしましたね。“お金のかわりに何でも手伝いますから”ということだったんですが、さすがに断りました」(美容室オーナー)
当時、彼女の部屋の中は、床一面にブランド品のバッグや靴が置いてあったという。
「本当に足の踏み場もないので驚いていたら、“オークションに出すんです”って言っていました。芸能界にいたころは、広尾あたりに住んでミニクーパーに乗っていたそうです。
でも、芸能関係の悪い人間に引っかかって、何かの保証人になってしまったみたい。それで、本人に金銭の請求が来るようになり、“悪い輩に騙された”って寂しそうに話していました」(城野氏)
テレホンアポイントの仕事は半年ほどで辞めてしまう。そのために'07年の末ごろには会社が提供していたマンションを出ることになるのだが、ここでまた問題が。
「犬が爪で引っかいたのか、部屋の床や壁がめちゃくちゃになっていたんです。彼女は80万円くらい請求されてましたね。そのころから精神状態がひどくなって。
ある日、錦糸町のクリニックから出てきたら、コンビニのビニール袋みたいな大きさで2袋分くらい薬をもらってきていたんです。10種類くらい服用しているようでした」(城野氏)
その引っ越しトラブルについては彼女の元上司だった大野計氏も鮮明に覚えていた。
「彼女じゃ埒があかないので実家の父親に電話したら“勘当した”って言うんですよ。お酒を飲んだり金使いが荒かったりといろいろあったようで、“次に会うときは骨を持って帰るときだ”って断られてしまったんです」
そして終の住処へ
その後、品川区内のアパートに引っ越したが、家賃滞納のため3、4か月ほどで出ることに。そして、大田区内にある羽田空港にほど近い、木造アパートに逃げ込むように移ったという。
「'08年4月に引っ越して1週間くらいで、大家さんが異変に気づいたそうです。警察と一緒に入ったら川越さんはひとりで死んでいたそうです。死因は心不全とかじゃないかな。亡くなってから発見されるまで3、4日たっていたと聞いています。
少し前に会ったときは、食事をしていないようで、ガリガリでかろうじてしゃべっているような感じでした。部屋には犬のエサの袋が何個か積んであったみたいですが、お腹をすかせた犬が破いたのか袋が散乱していたそうです」(城野氏)
彼が川越さんの死を知ったのは、大田区の福祉関係の部署から「亡くなったので犬を引き取ってほしい」と連絡が来たからだという。
「でも、数日後に区の担当者から“鹿児島の実家と連絡がつき、あちらが犬も含めいっさいやるそうです”と言われました。家族が出てきてパッと持っていかれ、僕は最期のお別れができなかったんです。
お父さんとは電話で話しているところは見ましたが、姉妹とは何十年も交流がないって言ってましたよ。いきなりピシャッとカーテンを閉められてしまった感じで、やるせなさと悔しさをずっと感じたままなんです」(城野氏)
川越さんは実家があった鹿児島県錦江町にあるお墓に静かに眠っている。享年35歳と書かれた墓碑銘が寂しさをより一層、かき立てる。
実家近くに建てられたお墓の碑銘には《川越美和 平成二十年四月二十二日 三十五才》と記されていた
「葬儀はやらず、親族だけで四十九日だけやったって聞いてます。
美和ちゃんが亡くなった3年後に父親も亡くなり、母親は長野県に嫁いだ彼女の姉さんのところに住んでますよ。妹さんも嫁いで出てしまったし、実家は空き家になっていて売りに出しているそうですよ」(実家の近隣住民)
すでに、川越さんの実家は解体が進んでおり、在りし日の面影はない。そこで、近所に住む叔父さん宅を訪ねたが、
「何も話せないよ。美和の妹がいるから、聞いてみてよ」
と鹿児島県内に住む彼女の妹さんに電話をしてくれたが、
「いまさら話すことは何もありません」
と、にべもなく断られてしまった。
「大田区に引っ越したとき、彼女は“ここから裸一貫、イチから頑張ってみる”って話してくれてたんです。そんな矢先に亡くなって、無念だったと思いますよ」(城野氏)
お墓からは、彼女が小さいころから見て育った美しい錦江湾が眺められる。波の音を聞きながら、彼女は安らかに眠っている……合掌。