ビートたけし
史上最低の視聴率に終わった今回の『NHK紅白歌合戦』。だが、そのなかでも気を吐いた人がいる。歌手としては初出場となった、72歳のビートたけしだ。
『浅草キッド』にかけた思い
歌手別視聴率では、嵐(1位)や氷川きよし(2位)にこそ及ばなかったものの、石川さゆりや松任谷由実(同率7位)松田聖子(10位)の上をいく堂々の5位。もの珍しさもあったのだろうが、ネットでは「感動した」という声が目立った。自身の下積み時代を歌ったバラード『浅草キッド』が多くの視聴者の胸に響いたわけだ。
歌唱前に流れたVTRでは、
「自分がある程度、売れたときに作った歌で、同じ時期に同じような生活をして、一緒にお酒を飲んだり騒いでいたのに、なんでこいつが落ち込んでいって、自分が売れていったかっていうことに関しては、すごいちょっと罪悪感あるよね」
と、かつての仲間たちへの思いを吐露。この夜も前半には『紅白歌合戦』70回を祝うゲストとして登場し、芸人らしく笑いをとる仕事もしていた。それもあって「泣き」のたけしがより新鮮に感じられたのだろう。
ただ、彼はもともと、情の深い人間だ。'86年のフライデー襲撃事件は、交際していた専門学校生をかばうためのものだったし、'91年に先輩芸人のなべおさみが替え玉受験事件を起こした際には、窮地に陥った息子をたけし軍団に引き取り、なべやかんとしてデビューさせている。
そんな性格が育まれた背景についても、早くから世に知られていた。'85年のドラマ『たけしくん、ハイ!』(NHK総合)では、貧しくも家族愛にあふれた幼少時代が描かれ、翌年には続編も作られた。ちなみに、彼が『浅草キッド』を発表したのは、まさにこの時期('86年)である。
しかし、毒舌で世に出た芸人にとって「実はいいひと」的なイメージが広まるのは諸刃の剣だ。それゆえ、彼は「泣き」の部分をなるべく出さず「笑い」に徹しようとしてきた。映画監督として国際的な評価を得てからも『足立区のたけし、世界の北野』(フジテレビ系)という主に下ネタ系の深夜番組をやったように、バランス感覚を大事にしたい人なのだ。
そんなたけしだが今から26年前「泣き」を全開にした瞬間があった。'93年5月、関西の視聴率男と呼ばれたやしきたかじんがやっていた『たかじんnoばぁ~』(よみうりテレビ系)にゲスト出演したときのことだ。
たけしが心を込めて歌った1曲
高級バーのセットを実際に作り、本物の酒を飲みながらトークするこの深夜番組で、たけしは思いきり羽目をはずした。たかじんや島田洋七、トミーズ雅らとオフレコレベルのお笑い談議で盛り上がり、ホステス役のおねーちゃんたちの前でグラスの酒を目で飲もうとするベタなボケも披露。「どんな番組なんだ、いいのかよ」などと大喜びしながら、カラオケタイムになると、徳永英明の『壊れかけのRadio』を熱唱したのである。
その訥々(とつとつ)とした歌いっぷりは、今回の『紅白歌合戦』に優るとも劣らない。いや、ハプニング的だったぶん、いっそう感動的だった。その選曲も含めて、たけしの本質が実は「泣き」なのではと思わされたものだ。このときの様子は彼のファンの間で、のちのちまで語り継がれることとなる。
ではなぜ、たけしはこんな姿を見せたのか。実はこの時期、彼はひとつの節目を迎えようとしていた。翌月に公開された映画『ソナチネ』の撮影中には「もう未練はない。死ぬことも怖くない」「伝説化される事故死がいい」などと語っていたという。
また、年末には親友の逸見政孝さんががんにより他界。逸見は『ソナチネ』のロケが行われていた沖縄に手土産を持ってふらりと訪れたりして、それをたけしがうれしそうに番組で語ったりしていた。
逸見は'93年1月にがんの宣告を受けたが、9月のがん告白会見までたけしには深い事情を内緒にしていたという。「たけしさんが普通にできなくなる」というのがその理由だ。
実際、たけしは親友の訃報に接し、弔辞を読むのを断るほどショックを受け、翌年8月には、自らもバイク事故で生死の境をさまようことになる。自殺願望が関係していたのでは、と報じられたほどだ。
そんな時期だったからこそ「泣き」を全開にしてしまったのかもしれない。そして、実は今回の「泣き」も、たけしにとっての節目というものが影響していたと考えられる。
たけしにとっての新しい節目とは
昨年、39年間連れ添った夫人と離婚。ひっきりなしに浮気をする夫を支え、バイク事故の際も献身的に看病した糟糠(そうこう)の妻だ。と同時に、オフィス北野からも独立して、新しい事務所を立ち上げた。喪失感と希望とが混在するような胸中だったのではないか。
人一倍、情の深いたけしは、'99年に母を亡くした際、記者に囲まれた公の場で泣き崩れた。また、娘・北野井子が歌手デビューした際には、自身の番組にゲスト出演した和田アキ子に対し「うちの娘をよろしくお願いします」と、あいさつ。その娘が子どもを産むと、'07年に『さんまのまんま』(フジテレビ系)でこんな本音を漏らした。
「孫だからって感覚変えちゃいけないと思って“なんだこんなガキ”って言おうと思ってジーっと見てたら、意外に可愛いかもなって」
人情の本質はいつの世もさして変わらない。とはいえ、こうしたあからさまな表現は昭和の芸人ならではだろう。たけしのあとの世代だと、ここまで情の深さをあらわにすることは珍しくなった。
そういえば、この年末年始には彼にとって浅草芸人の先輩にあたる渥美清さんの代表作『男はつらいよ』シリーズの新作が公開された。あの泣き笑いを好む年代の人たちが『紅白歌合戦』のたけしを支持したのだ。
いや、それだけではない。若い人たちにも新鮮な驚きやリスペクトの念をもたらしたことを思えば、この郷愁は幅広い層に共有されるものなのだろう。
令和の日本に、郷愁を呼び起こす。たけしはまだまだ健在のようだ──。
PROFILE
●宝泉 薫(ほうせん・かおる)●作家・芸能評論家。テレビ、映画、ダイエットなどをテーマに執筆。近著に『平成の死』(ベストセラーズ)、『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)、『あのアイドルがなぜヌードに』(文藝春秋)などがある。
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