タレントヴァニラさん 撮影/山田智絵
全身合計、2億円以上のカラダ
「“こんな顔に生まれてきたかったわけじゃなかったのに!”と、ずっと思い続けてきたの。性同一性障害の人が“間違えた身体で生まれてきちゃった”と思い続けるように。
この障害を手術で本当の性に戻るように、自分の顔に戻す手段、それこそがカスタムなの─」
「小学校4年のときでした。友達に誘われて公園に行くと木の机があったの。そこに修正ペンで私の名前が書いてあって、全面に“死ね!”と……。ショックで唖然となりましたね」
「小学校のとき、体操服を汚して帰ってきたのを見て“ひょっとしてこれは……?”と思ったことはありましたね。登下校のときに、陸橋で男の子から空き缶を投げつけられたのを見たこともあります」
「いじめられていると思いたくなかったからかな……。いじめられていると言ったら、よけい、いじめられそうだったから。つらかったけど、つらいと思わないようにしていた。負けたくなかったの。そんなことで凹んでいたら、悪口を書いた人たちの思いどおりになるだけ。人の思いどおりになるのって、好きじゃないから」
「小学校のときは、みんなが欲しがっていたものを親が買ってくれていたから妬まれやすかったのかもしれない。でも中学では、なんでいじめられたのか……。自分でもわからないです。目をつけられやすかったのかな……?」
「転校生で、家を建て、どちらかといえば都会から田舎のほうに引っ越してきたというのがあって、変なふうに目立ってしまったのかしら、と」
父親からの心をくじく言葉
“本当にブスなんだからしょうがない! 整形でもするしかないだろ─!”
「家の2階で寝ていると、1階にいる両親が話している声が聞こえてきて。気になって聞き耳を立てていると、私を施設に入れるという話が。両親から愛されていないのがわかりました」
「(夫は)仕事一筋の人で短気だし、娘に対してデリカシーのないところは確かにあったと思います。
「ご飯が全然食べられなくて、先生からは“このままでは死ぬよ”と言われたことがありました」
「病気と診断されたんだけど、お父さんはわかってくれなくて無理やりご飯を食べろって。小さな器のシチューを食べるのに1時間ぐらいかかったりして、毎日、“なんで食べないんだ!? 早く食べろ!”と言われるのが怖くて怖くて。つらかった……」
「お父さんも過去にいろいろあったみたいなんですよ。家庭の事情が複雑で、父の父、私のおじいちゃんは3回ぐらい結婚していて、実のお母さんの顔を見たことがないみたい。“自分(父親)もいじめにあっていた”とお母さんが。自分が愛されて育っていないから、私を愛することもできなかったのかもしれないな、と」
自分の顔のすべてが嫌だった
「おばあちゃんの家の居間にあった、フランス人形さんだったの」
「どうしてあんなにきれいなの!? 私もあんなふうになれたらいいのに……!」
“よくそんな顔で生きていられるよね─”
「だって“確かにそうだな”って思うから。自分の顔が嫌いすぎて鏡も見たくなかった。七五三のとき、写真撮影に行くじゃないですか。一切笑えなかったんです、自分の顔が嫌すぎて。私の顔のすべて嫌だった。これは自分じゃないと思っていたから」
「だって、ブスだったからブスって言われるの、当たり前じゃないですか! 自分は自分の顔がブスだったと思うから、反論しようとは思わない。だから、いじめは私の整形とは、まったく関係ないですね!」
いじめがなくなってもしんどかった
「目立つというか、イケイケグループの1人になったんです。カラコン入れて髪を染めて、スカートはメチャクチャチョンチョン。誰よりも短くして登校していました(笑)」
「その当時から個性的で“お人形になりたい”と言っていましたね。不思議ちゃんというか、ぶっ飛んでるキャラでした(笑)」
「自分的にはすごくしんどかったんです。いじめはなかったけれど“いつも自分を作っている”って感じで、無理して周りに合わせていて。それまでいじめられていたのに急に派手になって、ギャップがすごかったからかな。でも、またいじめられるのが嫌で、仲間についていかなくちゃって、無理をして合わせていた」
「皮膚科に通うと、“二重のり自体もかぶれるから、まぶたがただれてよけい二重じゃなくなるよ”と言われて」
「高校を卒業したら整形しよう、そう決めました。整形費用は、ケンタッキーやテレアポの仕事で働いて7万円を貯めて。手術をしたのは大阪の共立美容外科だったかな。ちょっとだけ緊張したけど、自分よりちっちゃい子とかも来ていたから」
「ずーっと鏡を見ていました。そんなこと、それまで1度もなかったから」
“カスタム”をすれば堂々と歩ける
「初めて整形したあとだったかなあ、久々に会ったら目が大きくなっていた(笑)。でも昔から知っているからか、見た目は変わってもあまり“変わった”っていう気はしないんですよ。思いやりがあって優しいという中身はそのままでしたから」
「やっと(家を)出られるわい! という感じ(笑)。もとには戻りたくないと思いました。でも寂しがり屋なんで、初日だけは寂しかったですね」
「クラブとか水商売は厳しいし、1週間で辞めちゃう子とか多いじゃないですか。でも、ここで頑張ることで強くなれると思ったんです。というか、逆だと思うんですよ。ここで頑張らなかったら、自分が求めるものにたどり着かない。逆にすぐに辞める人の気持ちのほうが私にはわからない」
6年前のブレイク
「自分が整形していることを売りにすれば、有名になれるとわかってた。だから社長にもそう言って。私、クラブ時代から整形していることを公表していたし、整形が悪いことだとは少しも思わなかったから」
『ツイン・プラネット』のチーフマネージャー、中井晴夫さんがこう証言する。
「ヴァニラと会って、“フランス人形になりたい”と言っているのを聞いて、これは面白い生き方だと思いました。芸能界って、整形って隠すのは当たり前じゃないですか。それを堂々と公言していて、しっかりとしたポリシーというか、自分の哲学を持っている。賛否両論はあるだろうけど、共感を得られる子だと思いました」
「すごかったです。整形なんてよくないものとされているから、すごいバッシングがくるだろうと思っていたのに。でも、印象に残らないより、バズっても印象に残ったほうが絶対いいと、思い切っていろいろ言ったら意外と肯定派が多くって、びっくり(笑)」
「爆発的な反響がありましたが、男性は圧倒的に批判する人のほうが多かったですね。でも、本人に落ち込む様子はまったくありませんでした。世間的には、整形って“可愛いと言われたい”とか“モテたい”とか、周りの評価を上げたくて受けるじゃないですか。でもヴァニラの場合はそういうのとは根本が違う。
ヴァニラ女子の急増、月々の美容費
「来客には“会いたかった”と言って来てくれるファンが多いですね。中には感激して泣いた子もいました。整形を公表している生きざまが素敵だという人も多いです」
「認めてくれる人がいるんだと思うと、整形についていろいろと考えるようになりました。それまではあんまり深く考えたことはなかったんですけど、そういう人たちの光になれればいいな、と。偏見をなくしていこうと、メッチャ思いましたね」
「カスタムした場所に関しては、むしろやっていないことを言ったほうが正確かも。骨切り系はやっていません。やってみたいけど、本当に信頼できる先生じゃないと怖くて考え中。でも、やるんなら、頬骨とVライン(あごの骨)を削るか。ルフォー(鼻下の骨を削って長さを縮める)とかもやりたいなあ」
彼女は依存症ではない
「彼女はとっても知識が豊富。やりがいがありますが、質問も鋭いから、ベテランのドクターでないと負けてしまう。怖い患者さんですね」
「変な衝動に駆られて必要もない手術をする。それが整形依存症だと思うんです。友達にも、“手術をしていないと落ち着かない”という子がいて、あごにプロテーゼを入れたと思ったら今度は取ってみたりとか。そういう意味のない手術をしているのが依存症。私はちゃんとした目標があって、それに近づきたいだけなの」
「依存性というよりも、彼女は可愛くなりたいという思いがすごく強い。だから、“それをやってもそんなに可愛くないと思うよ”と言うと“あ、そうか”と。依存症といわれる人の中には“(手術を)やっていないと落ち着かない”とか“(手術後の)あざがないと嫌だ”って人もいるんですが、彼女はそうではない。僕の中では、彼女が依存症であるという感覚はないですね」
「心配です。健康を損なってまできれいになってもしかたない。“もうやめたほうがいいんじゃないの!?”と言っても、聞かないですから……」
「心配はあります。関係者全員が心配しているんじゃないですか? クリニックの先生が止めることもありますし、僕としてもすすめませんし」
「依存症だとは思いませんが、普通の人から見たら理解できないというか、やりすぎという面があるとは思っています。手術には、どんなものにもリスクがあります。医師としては、益よりリスクが上回ってしまったらストップをかけなければ。
日本はブスが生きにくい国
「日本って、ブスが生きにくい国だと思います。みんな“顔じゃない”ってきれい事を言うけれど、きれいな人とブスとでは、生涯年収が数千万円違うと、数字ではっきりと出ているんです。
男の人もきれいな人をチヤホヤするし、大企業の受付だって、見た目で決められてるじゃないですか! 言っていることとやっていることが違うくせに、美容整形には偏見を持ってるの!私にはそんなきれい事ばかりを言う日本の文化がわからない。だから頭おかしいと思われても、今の生き方を続けていきたい」
取材・文/千羽ひとみ(せんば・ひとみ)ドキュメントから料理、経済まで幅広い分野を手がける。これまでに7歳から105歳までさまざまな年齢と分野の人を取材。「ライターと呼ばれるものの、本当はリスナー。話を聞くのが仕事」