橋幸夫
「“奥さまはどうなさったんですか?”って聞いたら、“今回はひとりなんです”って答えてらっしゃいました。前は彼女がスタッフたちにてきぱきと指示を出していましたから。そして、帰国したら離婚報道でしょ。びっくりしちゃったわよ」
3月1日、昨年末に46年間連れ添った妻・A子さんとの離婚が成立していたことが報じられた橋幸夫。
ハワイで2月21日から26日の日程で行われたファン交流ツアーを楽しんだある後援者も、熟年離婚に驚きを隠せないようだった。
「JALの元客室乗務員だったA子さんは、結婚後は橋が所属する個人事務所の役員になったり、夫婦で一緒に本を出すなど、業界では知られた存在でした。でしゃばる感じではないのですが、個人事務所をよくマネジメントしていましたよ」(レコード会社関係者)
そんなA子さんに橋が頼りっきりだったのは、仕事面だけではない。
「'90年に亡くなった橋の母親を、仕事で忙しい彼に代わってA子さんが献身的に介護した話は有名です。亡くなる6年ほど前から認知症が出て、自宅のあちこちで排泄をしたり、近所を徘徊したりしたそうです。姑の世話のため、彼女は2時間ほどしか寝られなかったと話していましたよ」(芸能レポーター)
そんな追い詰められた彼女が頼ったのが、宗教だったという。
「事務所に行くとA子さんによって置かれた水晶玉や壺、そして怪しげな宗教画のようなものがところ狭しと置かれていました。
介護疲れで弱った心を、そういったことで癒していたのかもしれませんね」(スポーツ紙記者)
彼女が心酔していたのは、ある女性霊媒師。当時、個人事務所の名前を決めたのも、その霊媒師だった。
「運命学や易学などが好きな橋も初めのうちは心酔していたそうですが、A子さんのほうはのめり込む一方だった。そんな彼女にだんだんと距離を感じるようになったのかもしれません。最近は周囲に“早くひとりになりたい”と漏らしていたそうですから」(芸能プロ関係者)
とはいえ、古希を過ぎた夫婦が“はい、そうですか”と簡単に別れられるはずはない。購入時は15億円ともいわれた都内一等地にある自宅兼スタジオのビルを財産分与として妻に渡したという。
「過去には佐川急便の会長がタニマチになったりと羽振りのいい時期もありましたが、さすがにそんな気前のいい人は今の時代に現れませんからね。
昨年は新曲も出していないし、今後のスケジュールも白紙だとか。彼にとっては離婚して自由を手に入れたかもしれないけど、老後の生活費は不安かもしれませんね」(同・芸能プロ関係者)
“いつでも夢を”見るには、少しばかり高すぎた代償だったのではないだろうか……。