タレント/映画コメンテーター LiLiCo 撮影/伊藤和幸
「ヘイヘーイ(スウェーデン語でこんにちはの意味)、LiLiCoです! いろいろ大変なときだけど、今日も元気にとばしていきますよ! 午後4時までお付き合いくださいね~!」
やりたい、と声に出したら夢が現実に
「でも、なんか私の場合、声が抑えられてちょうどいいんじゃないって!?」とLiLiCo。
「ちょうどいいんじゃない?(笑)オレたちの場合」と稲葉も合いの手を打つ。
「普通、演者の方ってネタ選びとかしないんですけど、LiLiCoさんは自身でアンテナを張って集めたネタを提供してくださるんですよ。この間も“安心安全に育てられたサーモンを出してくれるお店を見つけたから一緒に行かない?”と予約してくださって。実際よかったので、じゃあ紹介しようってことになったんです。オンエアでは急にキャラ変して妖精になったり、紹介する食べ物の声になりきったりして(笑)。毎回楽しく盛り上げてくださるので、すごいなあって思っています」
「やりたいやりたいと言ってたら、夢が現実になったんですよ。夢は叶えるものだと思っていて、やりたいことは口にしないと誰も気づいてくれないから、声に出すことが大事だと思っているんです」
「全部叶うわけじゃないんですけどね。売れてないときとまったく同じことをやってます。でもそれを日本でするのは、私と別所哲也さんだけだと思いますよ(笑)。私たち似てるよねって、話してます」
「心が死んだら終わりだと思っていましたから、いつもの調子で、下積み時代に5年間、車中泊のホームレス生活をしたエピソードを話したんです。車の中で座ったままで、まっすぐ寝られなかったので、腰は痛いし、エコノミークラス症候群になりそうだったんですよ。だからそうならないように、動ける人は歩きましょうって言ったんです」
「印象的だったのは94歳のおばあちゃんからきたFAX。筆で“この子は私たちが失ってしまったものを全部持ってる。5年間、車の中で住んでた人がこんなにも明るくできるんだから、まだ2か月の私たちは何をやってるんだ、もっと強くならなきゃダメだ”って書いてあったんです。被災地からの言葉に自分自身が勇気をもらいましたね」
弟の母親代わりになると決めた
「父がジョン・レノンの大ファンで、日本人女性と結婚したいと夢見ていたところでバックパッカーの母と出会って、私が生まれたんです」
「当然、母は働きながら2人の子どもを育てなければいけなくなり、私が生まれたばかりの弟のお母さん代わりになろうと決めたんです」
「毎日、弟が生きること、それだけしか考えていませんでした。今でも子どもの泣き声と救急車のサイレンを聞くと、弟が発作を起こして病院に運ばれたときのことを思い出してドキッとします」
「それは確か青い部屋で、どの部屋より温かで僕にとって安心できる場所でした。特に母とケンカしたときは、すぐに姉の部屋へ行きましたね。姉は僕を足に乗せて、よく飛行機みたいに飛ばしてくれました。
後から聞いたのですが、“弟がアレルギーなのでうちに遊びに来るときは香水はつけないで!”などリストをつくって友人に配っていたみたいです。とても感謝しています」
「涙が止まりませんでしたよ。うれしくって……おばあちゃんになった気分でしたね」
スターへの憧れ、そしてホームレスに
「イジメにあったことは母に話せませんでした。アジア人や日本人という理由でいじめられてると言えば母が傷つくと思ったので」
「マドンナもみんなと同じじゃないことでイジメにあったり、シルベスター・スタローンが顔面麻痺を克服して俳優になったことを知って、有名になった人もみんな苦労したんだって励まされたんです」
「日本にはオーディションもたくさんあるし、チャンスもある。日本に行って、好きな歌でアイドルになろう!」
「“ホイットニー・ヒューストンもこぶしだから”と言われて(笑)。そのころマルシアさんが演歌を歌っていたので、私のような外国人にも歌わせたら面白いんじゃないかと思ったみたいなんです」
「空腹を満たすためにサービスエリアのお茶を飲んで、公園の水で身体を洗うような生活でした。祖母の家に戻ったり、母に泣きつくことは、スターになるって出てきたので、意地でもできませんでしたね」
セクシー路線も水商売もチャンスと信じ
「その仕事も5年やりました。知らない人としゃべるトーク術を学びましたね。ショータイムも楽しかったですし、テレビ局の関係者も来ていたので、どこかチャンスがあればいいなと思っていたんです」
「とにかくインパクトが強かったですね。歌がすごくうまくて、志村けんさん的な顔芸も面白かったですし。キレイだけど変な色気がなくて、竹を割ったような性格でした」
「私はアイドルになりに来た。だからなる、と言ってました。この作品に出たと見せてくれたのがVシネマで、アイドルになりたいならマズいんじゃない? と言ったら、いいの、とにかく出ないとダメなのって。公園の水で身体を洗っていたなんて、寒かったでしょ? と聞いても、スウェーデンだったら寒くて死んでるけど、全然暖かいよと。あのメンタルの強さはすごいと思いましたし、彼女ならきっと成功すると確信していました」
「守さんが育ててくれなかったら今の私はありません。男女の関係を疑う人もいたけど、そんなことはなくて、家族であり師匠であり同志でした。あれから音信不通のままですが、“LiLiCoは俺から離れてよかった”って言ってたと風の便りに聞きました。当時使っていた携帯番号は今もそのままにしています」
「彼女は見た目が派手でワイルドな印象ですが、実際は日本人より古風なところがあって、気遣いにあふれているんです。どうしたら周りが喜んでくれるかを常に考える人なので、人を楽しませて笑顔にするという今の仕事にとても向いていると思います」
「大失恋したり、あてにしていた仕事がうまくいかなかったり、いろんなことが重なったんですが、そんなことで弱音を吐く人じゃなかったので、慌てて彼女を訪ねました」
「とりあえず上がらせてって中に入って、こんなときは食べるのがいちばんだってお鍋をやったんです。これでもかっていうぐらいお肉もたくさん入れて。そしたら作りすぎちゃって……あのときは食べすぎるぐらい食べたねって今でも笑うんですけど」
私こう見えて超ネガティブ人間なんです
「出演を検討してもらいたいコーナーがあります。TBSに来ていただけますか?」
『王様のブランチ』から連絡があったのは'01年の冬、LiLiCoが31歳になる年だった。テレビ雑誌の「今週の声優」というコラムで好きな映画を挙げた記事が関係者の目にとまったのだ。
「このコラムは何かにつながるかもしれないと思って、ちょっと通っぽい映画を挙げてみたんです。無修正版の『サウスパーク』とサンドラ・ブロック主演のコメディー『デンジャラス・ビューティー』、官能的なスウェーデン映画『太陽の誘い』でした。それを放送作家が見て、この子、映画のことわかっているねと」
「そのとき、やったー! と頭の中で『プリティ・ウーマン』の主題歌が大音量でかかりました。でも今ほど日本語もしゃべれなかったし、日本の映画のことはまったく知らなかったので、さてどうやって紹介する!? と。毎週落ち込んで、放送後はすぐ家に帰って寝込んでました。お前、下手くそって言われるんじゃないかって、コワくて外に出られなかったんです。自分の実力を思い知らされて、ただテレビに出たいとばかり言っていたことが浅はかに思えました。
「映画は食べものと一緒で好みがありますし、味わい方は人それぞれ。ただ単に怒りを持っている人が銃をぶっ放すシーンでストレス発散するのもいいし何げなく見た作品のひと言が心に響いて残るかもしれないし。だからこういうふうに見たら楽しめますよとか、こういう気分ならこの映画はどうでしょうっていうふうに、入り口を教えてあげる映画ソムリエみたいな存在でいたいと思っているんです」
「最後までわかり合うことはできませんでした。何でもっとうまくやれなかったのかと思うんですが結局、私の人生での母との関わり方はこういうことだったのかなと思っています。今になってわかるんですが、強くないと海外ではやっていけないんですよ。まだ日本のほうが暮らしやすいと思いますが、スウェーデンは大きな会社に入らないと仕事がないですから。母は知らない土地で2人の子を育てて、すごく頑張ったんだろうと思います」
最愛の夫だけに見せる素顔
「甘えることがない獣が甘えるのを見て、わ、懐くんだー!って思いました(笑)。ちょっとしたことでも喜んで、“パパがね、ドーナツのピアスを買ってくれたんだ”なんて話すときのうれしそうな顔!」
「小田井ファースト」で家事を完璧にこなし、祖母に教わったとおり、夫を台所に入れない大和撫子を貫いている。
「一緒にテレビを見てると、隣で感動して泣いてたりとか(笑)。アフレコやナレーションの仕事の前は毎回、台本に書かれている日本語のイントネーションやアクセントを確認しています。息つぎの場所に色鉛筆で印をつけたり、漢字もふりがなをふったり。日本語が達者なので苦労してないと思われがちですが、根本は日本人じゃないので。事前準備をすごく丁寧にやってます。仕事もプライベートも」
「たまに些細なミスをするので、それを見るのもちょっと面白いなって(笑)。みんな帰った後、椅子に座ってグラスを傾けながらホッとしているときに見せる顔が、たぶん彼女の素顔なんでしょうね」
「僕自身が結構抜けてるところがあるんで、それにイライラすることもあると思うんですけど(笑)、うまい具合に押すところと引くところが逆なので、うまくいってるんじゃないかなと思います」
「なんであんなババアがって思ってる人もいるでしょうけど、頑張ってと言ってくれる人もいる。彼にもうやめようか? と聞くと、何で? 嘘でしょ? って、笑っちゃうくらい悲しい顔するから、あーわかったわかったと(笑)」
プロレス、養子縁組にも挑戦
「日本にいていちばん残念なのが、みんな30代でおばさんになった! 終わった! とか言うことです。100歳まで生きるんだったら、まだ3分の1じゃないって。私なんか今年50になるとこで、やっといろんなことがわかるようになったっていうのに。
50歳からでも筋トレはできるし、『ハスラーズ』のジェニファー・ロペスみたいにポールダンスだってできる。いつだって何でも始められるわけだから、終わってるってそれはあなたの問題でしょって」
「女子プロレスラーの方って、セクシーな衣装着てカッコいいじゃないですか。男性を蹴ったり、投げ飛ばされたり、超楽しそうだからずっとやってみたいと思っていたんです!」
「アイアンマンヘビーメタル級選手権バトルロイヤル」でリングアナウンサーを務めた際、団体の社長に直訴し、'15年から参戦するようになる。やるからには本気で臨もうと、受け身から始め、技を学んだ。
「両国国技館が縮んだ瞬間を私は見たんですよ(笑)。みんな“どうせタレントがふざけたことするんでしょ”って斜に構えていたと思うんですけど、私が本格的なドロップキックをしたら、“えー!”って、前のめりになっていましたからね。負けましたけど、誰もバカにしませんでした。試合のたびに両足を捻挫するし、青痣だらけになるんですけど、数日たつとまた戦いたくなるんですよ。今は妊活中でちょっと控えてますけどね」
「独身のとき、大勢で飲みに行ってはひと晩でたくさんお金を使っていました。それはそれで楽しかったからよかったんですが。“LiLiCoは毎晩シャンパン飲んでるの?”なんて周りから言われて。私が必死で働いたお金をどう使おうと勝手でしょって当時は思ってたけど、だんだんほかに使えないかなと思うようになったんです」
「彼女たちからの便りが楽しみなんです。“勉強も大事だけど、いっぱい友達をつくることも大事だよ!”と話したり、日本のことも紹介します。彼女たちの世界が広がったらいいなと。自分の職業などは明かさないでやってます。そういうときはみんなのイメージのLiLiCoでなくていい瞬間です。だって私は私なので。別に野獣とか肉食系とか自分で考えたんじゃないですもん(笑)」
「人はずっとは生きられなくて、いつかはお墓に入るわけだから、映画『デスノート』のリュークみたいな死神にトントンと肩をたたかれたとき、“やり残した~”と後悔するより、“あれやっといてよかった~!!”って万歳したまま、2メートル50センチぐらいの棺桶に入りたいなって(笑)。
ここまでくるのに、ちょっと行きすぎるくらいにいろんな経験をして、そこまでする必要はなかったかもしれないんですけど、すべてが自分の肥やしになっていると思っています。いろんな出会いがあって、いろんな人に助けてもらって、今の私があるので」
取材・文/森きわこ(もりきわこ)ライター。人物取材、ドキュメンタリーを中心に各種メディアで執筆。13年間の専業主婦生活の後、コンサルティング会社などで働く。社会人2人の母。好きな言葉は「やり直しのきく人生」。