浅香光代さんと内縁夫の世志凡太
「安らかな最期でしたよ。子どもたちが葬儀を執り行っています」
「悲しいとかはないですね。普通です。90歳を超えていますし、大往生だと思いますよ」(世志)
「所属していた劇団が、座長の急死により解散となり、周囲に担ぎ上げられる形で14歳のときに『浅香光代一座』を立ち上げました。舞台のアクションの最中、生脚が着物からチラチラと見えるのが色っぽいと評判になり、“チラリズム”という言葉も生まれるなど話題になりましたね」(芸能レポーター)
「浅香さんと沙知代さんは友人関係でしたが、何度も食事を奢らせたり、浅香さんの着物を断りなしに持って帰ったりと、沙知代さんの度を超えた厚かましさに面倒見のいい浅香さんは辟易。そんななか舞台共演する機会があったのですが、そこでも振り付けを無視したりして浅香さんが激怒。ラジオ番組で不満をぶちまけ、日本中が注目する批判合戦に発展しました」(スポーツ紙記者)
「私は幼いころから兄と2人で、母と離れて暮らしていました。生活は母のお手伝いさんが見てくれて。なかなか大変でしたがいい思い出です。普段は母のことは“先生”と呼んでいましたよ」(北岡さん、以下同)
政治家との“不倫”を暴露した
「結局わからずじまいです。自分も聞きもしなかったですね。興味もなかったです。子どものころから母のお手伝いさんたちに“親なんて誰だっていいじゃない”と聞かされて育って来ましたから、“そうなのかな”って染み付いちゃったんでしょうね。子どものころに聞いたことはありましたが、“あんたの父親は、戦争で飛行機に乗っていて戦死した”と言ってました。私が生まれたころは、とっくに戦争が終わっているのに(笑)」
「豪快で決断力があって、母というより父のようでしたね。まだ元気だったころ、お茶を飲みに喫茶店に入ったのですが、そこに知り合いの芸者さんが席まで挨拶に来てくれたんです。それで母は店長に芸者さんたちの分も払おうと、“芸者さんの伝票持ってきて”と伝えたんです。
「昔はあったかもしれませんが、大人になった今では確執といった感情はないですね。先生の内縁の夫である世志さんとも普通に接しています。どうしようが母の自由ですよ。生んでくれて感謝しかありません」
「高校のとき、私がヤンチャしていて、授業態度や成績の件で先生に呼び出されたんですが、突っ張って行かなかったことがあったんです。そしたら担任の先生がうちの母と連絡をとった際、“うちのせがれが何かしたんですか? なんだったら退学させてください”と言ったそうなんです。
最後は「コーラが飲みたい」
「今年の10月に入院して、すぐ知らせが来ました。入院してから5回ほどはお見舞いに行きましたが、新型コロナウイルスの影響で、担当医からは面会時間は1分と言われていました。さらに母は耳が遠くて、大声を出すと飛沫感染する恐れもあるので“元気?”とかこっちが質問して、向こうがうなずくなどといったコミュニケーションしかできませんでしたね。
「この世では2度とああいう女には会えないだろうね。あと何年かしたら、“座布団敷いて待ってたわよ”って迎えてくれるかもね(笑)」