小柄でイケメンな翔猿(本人のインスタグラムより)
四股名の由来は“申年生まれ”
「正代は時津風部屋の力士。熊本県出身の力士として初の優勝を飾りました。今回の優勝を受けて大関昇進が決定。熊本県出身の大関は栃光関以来58年ぶりです」(スポーツ紙記者)
「大相撲の番付は下から序ノ口、序二段、三段目、幕下、十両、幕内と6段階。初めて幕内に入ることを新入幕というのですが、翔猿も秋場所が新入幕でした。新入幕力士の優勝は、大正3年夏場所に両国という力士が成し遂げたのが唯一。翔猿が優勝すれば106年ぶりの快挙でした」(同・スポーツ紙記者)
「翔猿は東京都江戸川区の出身。彼の兄も英乃海という力士です。お兄さんは身長185センチ156キロという堂々たる体格なのに、翔猿は175センチ、131キロ。力士としては小柄ですが、素早い攻めで大型力士を翻弄する相撲が持ち味。申年生まれで猿のように動きまわることから、四股名に猿の文字を入れたそうです」(相撲ライター)
幼少期から熱血漢だった
「目鼻立ちがくっきりしていてイケメンですよね。取組後のインタビューではユーモアたっぷりにハキハキと話していて、いい意味でお相撲さんらしくないのも新鮮です。すぐファンになっちゃいました!」(相撲ファンの女性)
「お兄さんが力士になったということは有名でしたが、弟さんも相撲をしていたことは今回の優勝争いで初めて知りました。お兄さんは小さいときから身体が大きく、あだ名は“ジャイアン”。でも、おっとりした性格でしたね。逆に弟さんは活発な性格。サッカーや野球などいろいろなスポーツをしていて、友達と街中を走り回っていました。それでいて正義感が強く、いじめられている子を助けたりするような一面もありましたね」
「いたずら小僧で、当時はやんちゃ盛り。相撲教室でも楽しくワイワイ騒いでいたな。それを叱ったりするとさっさと逃げたりしていたよ(笑)。足が速くて運動神経はよかったね。あのころから今と同じ前傾姿勢で立ち向かう相撲を取っていたよ。学校を休んでも相撲の稽古には必ず来ていたから、真剣に取り組んでいたと思う」(相撲を教えていた佐久間幸一さん)
「小学生でも体重が100キロを超える選手はたくさんいるからね。兄の英乃海と違って普通の体形だし、食も太いほうじゃなかったから当時は苦労したと思うよ。それでも大きな相手にも真正面から向かっていく度胸があったね」(佐久間さん)
とにかく男にモテモテだった
「だんだん身体ができてきて、体格のいい相手にも勝てるようになってきてね。同学年の中でもトップクラスの強さになっていたよ」(佐久間さん)
「2年生のころからどんどん実力をつけて全国大会の団体戦で優勝。人望もあって、3年生のときにはキャプテンに選ばれました」(相撲部の山田道紀監督)
「人懐っこく口も達者でみんなに好かれていたね。とにかく男にモテモテだったよ。女子は知らないけどね(笑)。あるとき、翔猿に“お前は男前だから活躍したら女性人気も出るかもしれないな”って冗談っぽく話したこともあったけど、まさか本当にそうなるとはね……」(山田監督)
「大学相撲で結果を残した翔猿はプロを決意。日大出身が多いという理由で追手風部屋に入門。あまりのスピード出世でマゲも結えず四股名をつけるタイミングを逃したことで知られる遠藤が同部屋です」(前出・スポーツ紙記者)
「秋場所の前、高校の後輩たちにお米を600キロも送ってくれたんだよ。幕内に上がったことでの感謝の気持ちだったんだろうね。心の余裕もあったんじゃないかな。今後はケガをしないで頑張ってほしい」(山田監督)
休憩時間は英単語の勉強
「うちは追手風部屋と長い付き合いでね。今はコロナウイルスの影響であまり来られないけど、以前はよくうちに来てくれていたよ。今でも週に1回か2回、夜に本人が電話で出前を頼んでくれるね。うどんや蕎麦とどんぶりが一緒になった天丼セットやカツ丼セット、ヒレカツセットの注文が多いかな」
「今は感染しないように稽古漬けの日々を送っているみたい。夜遊びの話も聞かないね。昔はいたずらっ子だったようだけど、今じゃ立派でまじめな力士だよ。最近は、休憩時間にタブレットを使って英単語の勉強をしているらしいよ」(片岡さん)