スーパー『アキダイ』社長 秋葉弘道さん 撮影/齋藤周造
テレビ局が取材の行列
「らっしゃい! らっしゃい! 安いよ、安いよ!」
「奥さん、白菜安いよ! 持ってって!」
「初めての取材がいつだったかは覚えてないけど、一気に増えたのは、東日本大震災のときですね。野菜の流通や、福島の風評被害について話してほしいって、テレビ局が行列を作るほどでした」
「俺、出たがりっていうのもあるけど、困ってる人がいたら放っておけない性分なんです。道を聞かれたら、教えてあげるでしょ。そんとき、お金なんかとらないですよね。俺にとってテレビの取材は、それと一緒です」
「これね、人のためより、自分のためなの。困ってる人を放っといたら、あの人、どうなったかって気になるのが嫌なだけ。あとね、俺、ブーメランの法則って呼んでるんだけど、いいことをしたら、いつか自分に返ってくるような気がするんだよね」
「俺、小学校のとき、お世話になった女の先生がいてね。テレビに出てたら、いつか先生が俺に気づいてくれるかもって、期待してたんです」
「いつもの取材だっていうんで、カメラの前で話してたら、ポンポンって後ろから肩をたたかれて。振り向いたら、『秋葉君、わかる?』って、先生が立ってらしたんです。もう驚いたのなんのって。40年ぶりの再会でした!」
「もうね、うれしくって、何しゃべっていいかわかんなかった。俺が死ぬとき、真っ先に思い出す、人生最高のシーンでした!」
激安価格の秘密は信頼関係
「昔は3時半に起きて市場に行ってたけど、今は前の晩に、支店の注文も全部まとめてオンラインで買いつけます。一括で購入したほうが割安だし、食品ロスも減らせるので」
「この時間だとほとんど取引は終わってるけど、逆にそれが狙い目なんです」
「秋葉さんは、男気があるんです。うちが在庫を抱えて困ってると、店で売れ残るのを覚悟で買っていってくれる。その気持ちがうれしくて、俺もいい野菜が入るといちばんに秋葉さんに知らせるし、喜んでもらいたいと力を尽くします。目先の損得じゃなく、相手を大事にする商売をする人です」
「この商売、朝が早いんで深酒はしないけど、秋葉さんは明るい酒です。酔うと高校時代にやんちゃだった話をしたりね。うちの若い衆も、“焼き肉行くか”って連れてってもらったりしてます」
「家から少し遠いけど、ここは安くて新鮮だから、つい来ちゃうわ」(70代・女性)
「B級品ていうの? ちょっと傷がついた野菜がすごく安く買えるから、家計が助かってます」(40代・女性)
「あんまり人に言うことじゃないけど、つらいこと、いっぱいありました。嫌になっちゃうことや、それこそ死んだほうがマシって追い込まれたことも。だけど、そういう経験ほど、振り返るといい思い出になってますね」
しゃべれない少年を支えた恩師
「うちは貧しかったですね。着るものも、全部いとこのおさがりだったし、運動靴も破けちゃって、晴れの日も長靴で学校に行ってました。だけど子どもだから、貧乏とか気にしなかったな」
「とにかくしゃべれない子でね。言葉が出ないから、ちょっかい出されると、すぐに手が出ちゃう。そんで、取っ組み合いのケンカになっちゃう。小学校に入ってからは、毎日のように怒られて、廊下に立たされてました」
「授業中に当てられても『うんとね』しか言えない俺を、先生は気長に待ってくれて。『秋葉君が言いたいのは、こういうことかな』って言葉にしてくれました。4年生まで3年間、吉野先生が担任で、俺、救われたんです」
「卒業式で吉野先生に涙ながらに言われたんです。『秋葉君、もうケンカしちゃダメだよ』って。だから俺、先生との約束を守ってきました」
「そのときの公約が、俺が生徒会長になったら、パンしか買えない購買部で弁当を買えるようにするってこと。当時は男子校で、食べ盛りの男ばっかでしたからね、みんな盛り上がってくれました。もちろん、当選後は学校と掛け合って、公約を実現しました」
「俺が通ってたのは、当時、埼玉県で“三大ワル高校”って言われるほど、不良が多い学校でね。やんちゃしてるやつもいっぱいいました。俺も髪を茶色く染めてパーマなんかかけて、見た目はチャラかったですね。バイクが好きで、よく走らせてました。あ、でも暴走族とかじゃないですよ!」
高校生で桃1日130箱完売!
「高校生アルバイトの時給が540円だった当時、その八百屋は1日10時間働いて日給6000円。これだ! って飛びつきました」
「バイトは朝9時からだけど、30分前には行って、搬入された商品を売りやすいように並べておくの。早く行っても時給は出ないけど、自分も働きやすいし、社長や社員さんがほめてくれるのもうれしくて」
「買ってもらうには、コツがあるんです。知りたい?」
「単に、大声で呼び込みしてもダメなの。それより、お客さんが来たら、わざと小声で“お母さん、お母さん”て声をかけるの。まだ高校生だから『奥さん』じゃなくて『お母さん』(笑)。そんで、“この桃、めっちゃ甘いですよ。いろいろ(箱を)開けたら、これがいちばん甘かった”ってそっと教えるの。そうすると“ひと箱ちょうだい”って、たいてい持ってってくれる」
「早めに売り切れちゃうと、社長に“明日は150箱仕入れてください”って頼んでね。売れ残ったら悔しくて、駅まで桃を担いで売りに行ったこともあります。じきに社長から“原価を教えるから、好きな値段で売ってみろ”って、売値も自分で決めさせてもらえるようになりました」
「秋葉は青果界の清原! スーパールーキーだ」
「もう楽しくて、楽しくて、のめり込んでました。この業界独自の数え方で符牒ってのがあるんだけど、ピン、ニマル、ゲタって、学校のトイレで必死に覚えるほどでした」
「俺、数学の成績がよかったんで、進路指導の先生には東京電機大学に推薦できるって言われたんです。だけど、親に大学行かせてくれなんて言えなかった。当時、おやじの製本所は伝票の電子化が進んで、にっちもさっちもいかなくなってたから。人より4年早く社会に出て働こうって決めたんです」
「らっしゃい、らっしゃい!」
大手企業を辞め、青果の道へ
「俺が改造車で通勤しても、“元気のいい高卒が入ってきた”って上司が言ってくれる、いい会社でした。でも、俺自身が、勤め人に向いてなかったんです」
「身体使って、声だして、自分の力で売っていく。俺にはそっちが合ってると。どうしても気持ちを曲げられなかったんです」
「会社を辞めるとき、おふくろは“もったいない”って反対したけど、おやじは“好きなようにやらせてやれ”って言ってくれました。親や会社の上司の期待を裏切ったぶん、腹をくくって働こうと」
「トラックを往復して、荷物を積み終わったら、そっからが俺のゴールデンタイム!」
「先輩たちが戻ってきたら車に乗って、俺は運転しながら、おふくろが作ったおにぎりを食べる。それが朝食です。1日の小遣いは、缶コーヒー代の100円だけ。いつか自分の店を持つために、貯金したかったんで」
「まだ若かったから、別の仕事をやって、確かめたかったんです。自分が一生をかけて八百屋をやりたいのか。独立したら、もう後戻りできないですから」
「働きづめで、カミサンとも新婚らしい生活ができてなかったんで」
「男ばっかで出かけていって、人生初のナンパをしたんです。その相手が、カミサン!」
「茶髪でチャラそうな男が突然話しかけてきたんで、彼女、警戒してたみたいです。でも、同い年ってわかって、夜にみんなで花火やろうって約束したんです。でね、話がまとまって立ち上がるとき、今でも覚えてるけど、俺、こう言ったの。“先に言っとくね。座ってるときはわかんないけど、俺、ちっちゃいから。驚かないでね!”って」
「母に聞くと、デートはいつも父の好きな車屋さんで、おしゃれな雰囲気にはほど遠かったみたいです。それでも父を選んだのは、グイグイ引っ張っていくところがよかったと。決断力があるぶん、父は1度言い出したら人の話を聞きません。夫婦仲がいいのは、母が一歩下がってついていっているからですね」
「俺の両親と同居だったんで、カミサンと両親の3人家族みたいになっちゃって」
「トラックを走らせながらも、目につくのは八百屋ばかり。店の雰囲気や、お客さんの入りをチェックして、『テナント募集』の貼り紙があると気になって見に行っちゃう。転職して半年で覚悟を決めました。俺には八百屋しかない。店を出そう! と」
プライドを捨てた呼び込み作戦
「まずね、八百屋の元社員で23歳の若造に、テナントを貸してくれる大家さんがいなかったんです」
「大家さんがいい人で、俺が娘さんと同い年って知ると、自分の息子みたいな子が頑張るなら応援するよって」
「融資担当者が事前に下見したら夕方のかき入れどきでも人通りがない。ここで商売は無理だと判断されたんです」
「どんなに条件が悪くても、俺ならできる!」、八百屋なら誰にも負けない自信があったからだ。
「開店から2日間は、特売のチラシを持ってお客さんが来てくれたけど、3日目からはパタッと客足が止まって。店を手伝ってたカミサンが“ひろくん、大丈夫?”って心配するんで、“大丈夫、大丈夫!”って明るく答えてたけど、俺、内心真っ青だった。こんな悲惨な店、初めてだったから」
「どうせすぐつぶれるって思われてるんだろうなってね。今まで、10数年にひとりの逸材だなんてほめられてたけど、鼻をへし折られた心境でした」
「夜遅くに家に帰って、売り上げの計算して、寝るのは12時過ぎ。そんで、朝は3時起きですからね。カミサンなんて、俺より先に起きるからいつ寝てたんだか。俺、3日で後悔しましたよ。なんでこんな商売、始めちゃったんだろうって」
男のロマン、支店を出したい
「1年後に閉店しようと決めたんです。店への執着心がなくなったら、気が楽になりました。ただし、お世話になった人たちに、あれだけやっても無理ならしかたないって納得してもらえるよう、1年間は全力を尽くそうと」
「紙に大きく、『大根10円』って書いて、バスに向けて掲げたの。そうしたら、おばあちゃんたちが降りてきてくれてね。ほら、乗り降り自由のシルバーパス持ってるから。そんで、“お兄ちゃん頑張ってるね”って感心して、“嫁に言っとく”って帰ってくの。で、今度はお嫁さんが来てくれる。だから、うちのお客さんは、ほとんど口コミなんです」
「ありがたかったですね。そのころには、閉店しようと考えてたことも忘れてました」
「男のロマン、ですね。次々に支店を出しては、苦労をしょい込んでました。カミサンや家族が反対しても、俺、耳を貸さなかった」
「特に3号店には苦労しました。借金の返済がにっちもさっちもいかなくなって、死んで保険金で払おうかと思ったほどです。借金のカタに自家用車を没収されたときは、小さかった娘たちが泣いてね。粘土で代わりの車を作って、自分たちの小遣いを差し出してくれてね。うれしかったけど、情けなかった」
「兄は根っからの商売人で、逆境を力にかえていくタイプです。驚くほど運も強くて、今度ばかりは無理だと思っても、周りの人や銀行に助けてもらえる。それは、兄の人柄のせいかもしれません」
「父はめったに怒らないけど、逆鱗に触れるツボがあるんです。子ども時代に私が友達におもちゃを貸してあげなかったときも、『減るもんじゃない! 貸してやれ』って、すごい剣幕で怒られました。父は、人に喜んでもらうことが好きなんです。自分のことよりも、友達や周りの人のことを優先します。そういう父だから、困ったときに、恩が返ってくるように思います」
亡き父に伝えたかった感謝
「アキさん、じゃがいも、いくら?」
「イチキュッパ!」
「秋葉さん! きゅうりは?」
「イチニッパ!」
「俺のこと、誰も社長なんて思ってない(笑)。みんな対等だから、遠慮ないの。俺もスタッフの一員って感じです」
「今だったら、注意する前に2つほめて、1つ叱るみたいにできるけど、若いころは自分の考えを押しつけてました。そんで、裏で悪口言われて、それを告げ口されて嫌な思いしたりね。1度、みんなを集めて言ったことあるんです。俺の悪口言ってもいいけど、告げ口すんなって。俺、少なくともみんなのこと好きでいたいからって。そうやって、いろんな思いしながら、俺自身、育てられてきました」
「私もそうだけど、うちの従業員はパートも含めてみんな長いの。20年なんてざらです。働きやすいからね。アキさんは、なんでも本気で言い合える仲間です。だから一緒に店を盛り立てていこうって思える。“助かった”“ありがとう”って、感謝を口にしてくれるのもうれしいですね。みんな社長なんて呼ばないですよ。アキさんとか、お父さんが『あんちゃん』て呼んでたので、そう呼ぶ人もいます」
「おやじは自分の商売をたたんで、1号店から俺を手伝ってくれました。だけど、従業員には責任のある役職をつけても、おやじは最後までヒラのまま。配達や支払いに、都合よく使ってました」
「一緒にいると忘れちゃって、感謝の言葉もろくに言わなかった。おやじ、息子の下でどんな思いで働いてたのかなぁ」
「父と兄は、『あんちゃん』『おやじ』と呼び合う、昔気質の親子で、ケンカもしょっちゅうしてました。晩年、父は重い病気で片足を切断しましたが、入院中も廊下を這うように、『あんちゃんを助けるんだ』って出ていこうとするんです。父にとって、アキダイで働くことは生きがいだったんです。兄がテレビに映ると、父は病室でうれしそうに見ていました。兄は長男として十分に親孝行をしたと思います」
「経営者は欲がなきゃいけないんだけど、今は欲しいものもないし、事業の拡大も考えてません。いつか引退したら、携帯を置いて旅に出るのが夢ですね。俺、ずっと点みたいなちっぽけなところで生きてきたから。世界中を回って知識を仕入れて、この業界で役に立つ話をコンサル的にできたらなって。お金なんかとらずにね。ボランティア精神で人生を終える! それが俺の次なる男のロマンかな(笑)」
「らっしゃい、らっしゃい!」
取材・文/中山み登り(なかやまみどり) ルポライター。東京都生まれ。高齢化、子育て、働く母親の現状など現代社会が抱える問題を精力的に取材。主な著書に『自立した子に育てる』(PHP研究所)『二度目の自分探し』(光文社文庫)など。高校生の娘を育てるシングルマザー