高崎線の宮原駅前でビラを配りながら大宮の独立を訴える吉田一郎さいたま市議会議員(無所属)
「埼玉県に対する関心を高めていただける大きなチャンスととらえています。多くのみなさんが埼玉を訪れて、魅力あふれる“本当の埼玉”を体感していただくことを期待しています」(埼玉県庁観光課)
「大宮は浦和の植民地のようなもの。もう離婚しかない!」
「その8か月後に『浦和県』と名を変えられて、県庁を持っていかれてしまいました。大宮の郷土史に詳しい人によると、浦和の有力者が明治政府に強烈に働きかけたんです」(吉田議員)
「明治16年に高崎線ができたが、大宮は人口が少ないから駅もつくってもらえなかった。大宮は本当に没落したんです」(吉田議員、以下同)
「大宮は“官はアテにできない”と、“民の力”だけで街を発展させてきた。それに比べて、浦和は役人頼み。役所があれば、“えこひいき”されて栄えますからね」
『さいたま市』が誕生すると市が浦和を“えこひいき”
「さいたま市の最初の市長は旧浦和市長でした。だから、市役所も浦和に置かれて、次は“市の顔”にもなった。だから、浦和のことばかりにお金をかけるんです!」
「合併から18年もたっちゃったんだから、そりゃ格差が出ますよ。浦和は『中央図書館』など公共施設も充実しているし、浦和駅東口には『パルコ』ができるし。さらに浦和駅に『湘南新宿ライン』を通す高架化費用も市がお金を出しているんですよ」
「大宮の税金が浦和に使われちゃっている。大宮の人はそれをわかっているから、ライバル視するんです。浦和の人は気にもしていない」
「大宮の住民は電車で東京に出る際、必ず浦和の駅を通らなければならない。変わっていく浦和の様子を毎日見ているんです。浦和の住民は大宮を通らずに東京に行けるから、地域格差を感じていない」
「浦和の開発は自前でやってください。あと、合併時に結んだ合併協定書も守ってください。市役所は浦和と大宮の間の『さいたま新都心』に置くという内容に調印しているのに、18年間、ずーっと浦和にある。これはおかしい」
「結婚のときに約束したことを守れなかったら離婚。それは自治体同士でも同じでしょ。このままなら浦和とは離婚して、独立しかない!」
大宮側の言い分に浦和派が真っ向否定
「今、市役所がさいたま新都心に移転する案が優勢になっているが、これは公平ではないんです」(川村議員、以下同)
「この2都心を指すのが、『浦和』と『大宮・さいたま新都心』。この言い方からもわかるように、『さいたま新都心』は大宮に非常に近い存在なんです。鉄道でも『さいたま新都心駅』の次が『大宮駅』で、距離的にも近い。一見、浦和でも大宮でもない公平な場所に思えるが、浦和にしたら大宮への移転と同じなんです」
「それは、『浦和美園』の都市開発に費用がかさんだから、予算格差があるように見えているだけ。’02年に『埼玉スタジアム』ができるまでは、何もなかったところ。住宅の区画整理の範囲も広く、お金がかかるのはしかたがないんです」
「浦和の東の端にあるので、浦和の人間からしたら浦和を開発しているように思えないんです。浦和駅を開発していたら、大宮に“浦和のためにお金を使いすぎ”と指摘されるのはわかりますけど」
「それは浦和駅東口があまりにも遅れていたから、市が先に手をつけただけ。一段落ついたので、次は大宮駅という流れになっています。今後は『大宮駅グランドセントラルステーション化』の構想があり、大宮も十分に予算を使っているんです」
「確かに475億円かかっていますが、市税だけでまかなっているわけではありません。県税、国税も含まれていますから、イコール大宮の税金とは言えませんよね」
「’00年3月、浦和市、大宮市、与野市が合併して市名を決めるとき『埼玉市』『さいたま市』『関東市』『彩市』『さきたま市』の5案が提示されました。同年4月に大宮は5案にない『大宮市』案を押してきた。遺恨になるからと、『浦和市』案と『大宮市』案は検討からはずしていたのに再び蒸し返すとは。ちょっと乱暴なんですよね」