撮影/佐藤靖彦
「『月9』出演は俳優を目指してからの夢でした。今回、初めて出演させていただいてうれしかったです。出たいからと言って、出られるものではないですから」
フジテレビの看板ドラマ枠“月9”の30周年記念作品となる『貴族探偵』に出演中の滝藤賢一(40)。不思議なことに、“月9”にはこれまで縁がなかった。
「『101回目のプロポーズ』や『ひとつ屋根の下』など、月9作品を見て育ちました。だから、『半沢直樹』以降にいろいろなお仕事をいただけるようになって、月9のオファーもそろそろかな、なんて期待していたんですが、壁は高かったですね(笑)」
映画『クライマーズ・ハイ』で注目を集め、『踊る大捜査線』シリーズや『半沢直樹』といった人気作に多数出演。今や映画やドラマに欠かせない名バイプレーヤーとなった彼だが、役者になったキッカケは仲代達矢が主宰する『無名塾』の門を叩いたこと。
「無名塾は1000人受けて数人しか受からないと言われています。はなから諦めていた僕に、まずは受けないと始まらない、と親友が背中を押してくれたんです」
幸先のよいスタートを切ったものの、入所してからは下積み生活が続いた。
「“人の芝居を見て盗め”とよくおっしゃっていました。授業料を払ってレッスンを受けるという指導ではなかったので、自主稽古(げいこ)をする日々。朝早くから掃除をして、10キロ走って、そこから自分たちで稽古。役所広司さんや益岡徹さんたちが在塾されていたころの舞台のビデオを何度も見てまねしていました。今でも無意識に仲代さんのまねばかりしていますね」
しかし当時は自主公演の舞台に、観客が2人しかいなかったこともあったという。一方で同期の真木よう子は無名塾を退所。活動の場を映像に移していた。
「映画『パッチギ!』(’05年)を見たときにすごい女優さんがいるなって思っていて、エンドロールを見るまでそれが真木よう子さんって気づかなかったぐらい。あのときは本当に悔しかったですね」
そんな時期に原動力になっていたのが、仲代に言われたある言葉。
「“君は40歳を過ぎてからが勝負。40歳までしっかり腕を磨きなさい”と言われていたので、その言葉が励みでした。この言葉がなければ、もう辞めていたかもしれないですね。あと、高橋克実さんがテレビ番組で40歳近くまでバイトをしていたと話されていて。だから40歳まではバイトしながら、俳優を続けてもいいんだって思っていました」
20代はアルバイトに明け暮れる日々だったと振り返る。
「バイトを2~3つ掛け持ちしたりしていました。居酒屋でランチをやって、そのままディナー。深夜に駅のホームドアを点検するバイト。ある時期は恵比寿の喫茶店でバイトして、夜はそのまま地下にある居酒屋で深夜まで働いたり。20代のころはバイトばかりでした」
『クライマーズ・ハイ』は人生を変えてくれた作品
俳優としての転機になったのが、’08年に公開された映画『クライマーズ・ハイ』。
「29歳でこのお仕事が決まって、そこから少しずつ役者としての仕事をいただけるようになりました。アルバイトを完全に辞められたのが32歳だったかな」
まだアルバイトをしていた’09年に結婚。無名塾の後輩だった奥さんが「あの人は才能があるから大丈夫」と反対する両親を説得したという逸話も。
「実際はそこまで厳しくはなかったですけど(笑)。でも映画『クライマーズ・ハイ』の試写を見ていた妻が、それで僕の可能性を信じてくれたところもあるので、人生を変えてくれた作品です」
滝藤賢一 撮影/佐藤靖彦
そして’13年放送の『半沢直樹』で強烈な存在感を残し、一躍、全国区に。
「いろいろな役を演じさせてもらっていますし、人気作品にたくさん出演させていただいているのに、街中で声をかけられるのは、ほぼ『半沢』なんですよね……。あの作品で多くの方に名前と顔を覚えていただけたというのは、とてもありがたいです」
そして仲代の言葉どおり、40歳で念願の月9出演を果たすまでに。記念作品だけに、豪華キャストが顔をそろえた。
「“芝居はみんながいい男、いい女でも成立しない。だから君みたいなのをとったんだ”と仲代さんはおっしゃっていました。僕は主役を張れるタイプの俳優ではないので、4番バッターの方にいい形で打順をつなぐような演技ができればと思っています」
主人公が“貴族”という設定のため、劇中に登場する豪華すぎる小道具も話題のひとつ。
「最初に運転したロールスロイスなんて、7000万円ですから(笑)。貴族チームは相葉さん、中山さん、松重さんと4人でひとつという気持ちで演じています。毎回、脚本が届くとゲラゲラ笑っているほどストーリーも面白いし、見どころは全部です!(笑)」
<ドラマ情報>
『貴族探偵』フジテレビ系・月曜夜9時~
出演/相葉雅紀、武井咲、生瀬勝久、中山美穂、松重豊ほか