土屋敏男さん
バラエティー番組のつくりが変わった
「平成が始まったときに出てきたのが“お笑い第三世代”。ダウンタウンは吉本興業が経営するお笑い学校『NSC』の第1期生。ウッチャンナンチャンの師匠は内海桂子・好江さんだけど、寄席ではなくてコントライブ出身。とんねるずは、ウンナンと同じく『お笑いスター誕生!!』から出てきた。
師匠について下積みするという寄席・演芸場的な残り香がまったくなくなった世代なんです」
「やはりNSCなどができたことで、平成の30年間で芸人志望者は100倍以上に増えているんじゃないんでしょうか。『M-1グランプリ』を見ると、芸人のレベルの高さ、才能の集まり方は異常だと思いますね。
「電波少年は“コーナーギリギリってどこだろう?”と考えていました。今まで気がついていなかったところギリギリに投げてみて、“ここも大丈夫だった”と新しいストライクゾーンを発見できる。そうやって生まれたのがアポなし企画やヒッチハイク旅。まあ、ボールになり怒られたこともありますが(笑)、今のバラエティーにはそういうことも必要だと思います」
平成の大きな流れは“ドキュメント化”
「アポが取れないなら行っちゃえ、という現場の運動神経ですよね。ある種、無謀なのかもしれない(笑)。今でこそ街を旅する番組で、タレントがその場で交渉するのが当たり前になっているけど、あのころはスタッフがやることだった。
そういう意味で言うと、平成におけるテレビの大きな流れのひとつが“ドキュメント化”だと思っているんです。そこにあるものを映す、という。
「笑いって基本的に“裏切り”だから、あるひとつの型ばかりになっちゃうと笑わないんです。ずっとアポなし企画ばかりやっていると、みんなその型に慣れてしまうから、そこを裏切らないといけない。
テレビは残り続ける
「なぜネット系コンテンツのクオリティーが上がってこないのか、ずっと不思議だったんです。それは彼らが“ビジネス”を優先するからだと思うに至った。広告収入を得るため、再生数を上げるテクニックに走り、おもしろさよりもビジネスが先に来ちゃう。
「カウントダウンを2分間違えたの、ですかねぇ」
「あれはやっていいことか悪いことなのか、今でもわからないっていうか……。でもね、この番組を見てくれた人たちだけは、21世紀に入った瞬間を覚えているわけですよ。この“テレビが時間を間違えるギャグ”をやるために数年前から年越し番組を担当しました。そうやって僕はクビをかけた(笑)。
《PROFILE》
土屋敏男さん ◎日本テレビ放送網日テレラボシニアクリエイター。演出、プロデュース番組として『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』などを手がける。