黒田勇樹(撮影/山田智絵)
「もともと好きだった太宰治と坂本龍馬が36歳で亡くなっているから、僕もなんとなく36歳で死ぬと思っていたんです。なので、今は、余生を楽しんでいるという感じ。その最中に子どもが生まれちゃったから、あと30年くらいはダッシュしないといけないんですけどね(笑)」
「俺が8歳のとき、宇梶剛士おじさんが“おまえは小劇場を見ないとダメだ”って首根っこつかんで劇場に連れていってくれました。そのときは、渡辺えりさん主宰の『劇団3○○』の舞台を見せてもらって。僕がいま演劇をしているのは、そのおかげだと思います。宇梶おじさんとは今でも変わらず付き合っていて、突然“勇樹、いまから仙台行くぞ”って家の前に車で来てくれたり(笑)。ミュージカルやオペラは以前から見ていましたが、小劇場の芝居を教えてくれたのは宇梶さんでしたね」
28歳で突然、芸能界を引退
「先輩俳優に、六角精児さんがやっていた下北沢のお店によく連れていってもらって、そこでずーっと演劇の話をしていました。最高でしたね。とある映画監督に映画の話題を振られて、“生意気だった17歳くらいの黒田くん”が“1回も一緒に仕事したことないのに、そんなこと聞かれてもしょうがなくね”と言ったら、翌月にその監督の映画に出ていたことがあります(笑)」
「芸能の仕事しかやってこなかったから、普通の人と自分の何が違うかわからなくて。それで、芸能から離れようと。“普通コンプレックス”だったんですよね。でも、いざ一般社会に出てほかのことをいろいろやってみた結果、“これ(芸能)しかできないなぁ”と」
「僕、クレーム対応がすごく上手なんです。だって、会社として相手に言っていいことは決まっているじゃないですか。だったら、その言葉に気持ちを込めればいいだけなんです。冷たい“こちらではお答えできません”なのか、温かい“こちらではお答えできません”なのか……。役者の経験があったから、それが超上手だったんです。だから、めちゃくちゃ昇給しました(笑)」
「演技の幅も広がったというか。俺は、世の中に悪い人はいないと思って演技をしていたんですが、いざ社会に出るとやっぱり悪いやつもいて(笑)。それを知ったら、“悪いやつ”の演技を思いっきりできるようになって。“これ、めっちゃいい取材じゃん”って現実社会に出て気づいた感じですね」
2020年に再婚、1児の父親になった
「僕は、嫁……いや、妻とか、関わる人たち全員を人間として見るというのを決めていて、もうすぐ2歳になる息子に対してもそうしています。息子は最近、怒ったときに机をたたくようになって、注意しようとしても“ダメ”と言われるのが嫌みたいで。でも人間として話し合いを続けたら、机をたたくのを我慢するようになって、嫁に“勇樹くん、パパの能力ありすぎない?”って言われました」
「“嫁”は家に入る人、“奥さん”は奥にいる人で、“妻”というのが正しいという世の中の風潮があるじゃないですか。僕はあえて統一せずにめちゃくちゃに言うようにして、“別にどれでもよくね”ということを発信するようにしています。だって、そこを気にしていたら演劇とかドラマがつまらなくなっちゃいますもん。言われて嫌な人がいるなら言わないほうがいいでしょうけど、“言われて嫌な人”が減ればいいと思っているので、わざと散らして言ってます。せっかく結婚してるし、こういう戦い方もあるんです(笑)」
「息子が、言葉がわかる3歳くらいになったら、1回舞台を作らせてみようと思って(笑)。もうキャストは集まってきていますし、ドラマターグという演出家のアドバイザーのような役割に“黒田勇樹さん”という最近話題のあの方が参加してくれることが決まっているので(笑)。今年の8月で2歳になるので、来年の年末くらいにやりたいですね」
自分は“エンタメ遊びおじさん”
「サーファーの気分ですね。“好き勝手に生きて、来た波にはちゃんと乗る”のが、芸能人の生きざまだと思っています。波が来て乗らないやつはカッコ悪いし、波を狙わないやつもダメ。難しいところではありますが、波なんて自然現象だから、自分では起こせないじゃないですか。でも、乗ることはできるので。感覚としては、ずっと“ただ遊んでるだけ”なんですよね」
「だって、子役のころから劇場とかカメラの前で遊んでたから、今もそれ以外の方法をあまり知らないんです。エンタメの中にいられればそれでいいという“エンタメ遊びおじさん”ですね。だから、今でも劇場で遊んでるんでしょうね、僕は」
黒田勇樹 '82年4月23日生まれ。脚本・演出を担当した舞台『黒田薔薇少女地獄』が8月24日までアーカイブ配信中。8月13日には監督を務めたドラマ『妖ばなし』(TOKYO-MX2)が放送