インタビュー取材に応える若新雄純
「中高生に“こんな大人がいてもいいんだ”と思ってもらえたら成功ですよね」
「両親が教師だったこともあり、子どものころは親から期待されていましたね。昔から好奇心は強く、小学校低学年のときに日系ブラジル人のきょうだいが留学に来たのをきっかけに興味を持ち、小学5年生のときには単身ブラジル旅行に出かけたことも」
「楽器を買ってどんどん音楽にのめり込んでいったため、勉強がおろそかに。地元の進学校には何とか進学したものの、大阪大学などに進むエリートコースに乗ることはできず、ドロップアウトした状態になって……。やりたいことと親から求められることへの狭間で葛藤し、いわゆる“中2病”をこじらせた状態でしたね」
「テレアポのアルバイトをしながら、ニートのような生活をして過ごしました。そのときに自分で自分の生活を作っていく楽しさに目覚めたので、当時の経験が貴重なものになっています」
在学中に会社を創業
「近場の国公立大学だと周囲に学校のレベル感もわかるし、大きな都市に行きたいという思いもありましたね。地元の福井も保守的な土地柄でしたが、東北も同じような感じで。まじめな学生たちが多い大学で、自分のアイデンティティを模索した結果、造花の薔薇を加えて表現する自己陶酔劇『ナルシスト狂宴』というイベントなどを企画するように」
「取締役COOに就任したのですが、大きくなっていく会社の組織に適応できずに、”髪を切りたくない”と、1年7か月で辞めることに。また大きな組織を作るのではなく、自分で独立してやっていこうと考えたとき、日本人は学歴が好きだなと思い、会社の株を売却したお金で慶應義塾大学大学院に進むことにしました」
「大学に残って研究を続けたかったのですが、当時の先生に気に入られていなくて……(苦笑)。そんなとき別の先生に拾ってもらい、個人の心理ではなく、人と人の関係性に興味を持つようになり、コミュニケーション論を専門に研究しはじめました」
「大学生は遊べて楽しいだけでなく、学ぶ場もあり成長できる期間だと思うんです。そんな生活で唯一足りないのがお金。大学生のような生活を続けながら1千万円くらい稼げれば、企業に勤めて同じ額を稼ぐよりも何倍も幸福なんじゃないかと思ったんです」
「ロックが好きでその語源となる“価値観を揺らす”ような固定観念を壊すことが好きだったので、ニートだけの会社を始めたんです。そしたら仕掛けたことがメディアで軒並み取り上げられて、自分にこんなに企画力があったのかと(笑)。拾ってくれた大学の先生も僕の活動を面白がってくれて、プロデュース業と並行して慶應義塾大学特任准教授も兼任できるように」
TOKYO MXでコメンテーターデビュー
「2015年スタートの『ABEMA Prime』も番組開始時から出させてもらっていますが、いろんな方が出ては消えていく中で今でも出させてもらっているのは運がいいなと思います」
「コメンテーターの仕事をするときは、一番正しいことを言う人ではなく、“こういう考え方もある”というのを見せる人でありたいんです。この番組ではこういった視点が欠けているなと思えば発言を変えていますね。やっぱり原点がロックなので、いろんな生き方や視点があるという多様さを見せたいんです」
「子どものころに報道番組を見ていて難しくてわからなかったんです。大人になれば理解できるのかと思っていたけど、大学院まで進んで比較的学習する機会が多かった僕でもわからないことが多くて。今の世の中は“わからない人が悪い”という風潮があるけど、まずはわかりやすい言葉で説明することを誰かがやったほうがいいと思うし、意外とそういう人がいない。ライバルが少ないということは、自分もそれだけチャンスが増えるということですから」
議論では橋下徹には勝てない
「正論を言う専門家であれば上には上がいるし、議論の戦いでは橋下徹さんには勝てないですから(笑)。自分の価値を考えたとき、わかりやすく説明することだったり、完璧ではない人間が視聴者と同じ立場で意見を言えることだと思ったんです。僕は田舎出身だし、中2病をこじらせていることやマザコンだということも隠そうとは思わない。そんな“不完全な”コメンテーターが今までいなかったから、面白がってもらえているのかなと思います」
「僕の人生は挑戦というよりは実験なんです。だから古い価値観であればあるけど、その中で実験するのが面白いんですよね。コメンテーターという仕事も僕にとっては面白い実験の場なんです」
「僕の好きなロックバンドも正解は教えてくれないけど、人々に可能性や広がりを与える存在だと思うんです。だから僕も答えを教えてくれる人ではなく、視点を増やす存在であり続けたいですね」