英月 撮影/山田智絵
「日本に帰ってきて10年。とにかく走り続けてきて、このままでいいんやろうか、どうなんやろうと思っていたときに、この本が立ち止まるきっかけになり、自分を見つめ直すことができました」
「昼メロくらいすさまじい」母との攻防
「大河ドラマにはならないけど昼メロぐらい、すさまじかったです(笑)。どんな親子も何かしら(問題は)抱えていますが、私の場合は、お見合いだったと思います」
「カフェで働いていたときに、パンのヘタ(みみ)をもらったんですが、子どものころから鳩のエサにしていたので、食べるものではないと思っていました。うちは、鳩と違う。でも、お腹がすいているので食べたら、おいしいかった。それからは、集めるようになって、部屋の冷凍庫にためて食いつなぎました。
英語が話せなかったから、お金がなかったから、出会えた人、経験できたこともあった。それによって今の私がある。無駄なことは何ひとつないということをしみじみ感じました」
“ポスト瀬戸内寂聴”に?
「自分のわがままで好きにやっていたアメリカの10年より、日本の10年のほうが大変で今に至っています。
「他人をあてにしたり、依存してほしくないと思うからです。それよりも、私が出会った教え、仏教に出会ってほしいと思っています」
「私に言うても意味ないですから、ほかの方に言うてぇ(笑)」と、恐縮。
少女時代の夢は小説家
「本を出して、取材をしてもらってアゲアゲの状態だからこそ危ないと思うんです。私は仏教に救われ、その教えを伝えるのが役目なのに、私自身が脚光を浴びてしまってはボタンの掛け違い。だからこそ、ふんどしを締め直して、仏教の教えに耳を傾けていかないと。
「高校時代には、国語の先生から文学賞に応募するように言われましたが、言葉を遊んで上っ面を書いているだけ。人生を知らない、と世に出る前に筆を折りました(笑)」
「シャットアウトはしていません。ご縁があればいつでも。洋の東西、老若も問いません」
ミニ説法 “量ることのない世界”……あてにするというのは、相手を量ることです。自分にとって、いい人、好きな人は自分の尺度や都合で量っている。例えば、信頼していたAさんが何かのきっかけで一生、口をききたくないと思う人に変わる。それは、あてがはずれた、自分の都合どおりにならなかったからです。そう思っていても、Aさんがちょっと助けてくれたら、あの人もいいところがある、と変わる。Aさんは何も変わっていません。自分が相手を量っているだけです。仏教の「阿弥陀」は、サンスクリット語の「a-mita」の音写語です。「a(ア)」は打ち消し(無)、「mita(ミタ)」は「メーター」「メジャー」に通じる言葉で、量るという意味。「アミタ」とは、量ることのない世界。腹を立てたり、悲しんだり、ねたんだりするのは量っているから。人生は一本道にたとえられ、踏みはずすことが不安になったりします。仏教では、自分の都合や思い、計算で進んでいる道から落ちた下にも別の道があり、量らなくていい世界があることを教えてくれています。そういうことを知る、知らないでは、人生の質が違ってくると思います。
PROFILE●英月(えいげつ)●京都市生まれ。真宗佛光寺派長谷山北ノ院大行寺住職。銀行員になり35回以上のお見合いを経験して渡米。帰国後は、住職のほか講演会やメディア出演を行う。著書に『あなたがあなたのままで輝くためのほんの少しの心がけ』『そのお悩み、親鸞さんが解決してくれます』ほか