女優を目指したきっかけは、新聞に出ていた新人募集の記事を読んだことだったという
「私はいま、昔の撮影現場や監督さん、俳優さんのことを話し伝える語部(かたりべ)なんですよ。あちこちに出向いて話をしています。だから、けっこう忙しいんですよ」
優しい笑みを浮かべながらこう語るのは、女優の香川京子。'50 年に公開された映画『窓から飛び出せ』でデビューを飾った後は数多くの作品に出演。今でも映画だけでなくドラマや舞台、CMなどで活躍を続けている。
そんな彼女は今年、女優生活70年を迎え、それを記念して『凛たる人生 映画女優 香川京子』(ワイズ出版)を上梓した。
名監督と中華料理屋でバッタリ
くしくも、今年は名監督として名高い、小津安二郎監督の生誕115周年に当たる年。
香川は小津監督の代表作と言われる『東京物語』に出演しているが、彼と初めて出会った日のことを鮮明に覚えているという。
「監督さんがひいきにしていらした銀座の中華料理のお店に、私が映画会社に勤める叔父と一緒に行ったところ、たまたまいらっしゃっていて、叔父が紹介してくれたのが初めての出会いでした」
そのときは挨拶だけだったというが、後に『東京物語』の出演オファーが来る。巨匠の作品に出演できるということで感激もひとしおだったと思いきや、意外にも、
「小津監督は“大監督”でいらしたけれど、正直言ってあまりよくわかりませんでした。私は原節子さんに憧れていて、原さんとご一緒できるということがうれしかったんです」
「人間を描いていればテーマはちゃんと出てくる」
大監督と駆け出しの女優では、なかなかその距離は縮まらず、話をする機会もなかったそうだが、あるときふたりきりになる時間ができた。
「照明の準備を待っているときでした。監督さんが突然“僕はあまり世の中のことに関心がないんだよね”とおっしゃったんです。
私は映画『ひめゆりの塔』の撮影が終わったばかりで、若くて感受性の強かった時期ですから、女優も社会人のひとりとして、戦争や平和をちゃんと考えないといけないと思い始めていたころでした。だから、おっしゃっている意味がよくわからなかったんです」
彼女がその意味を理解したのは、それから何十年もあとのことだったという。
「無理に表に出さなくても、人間を描いていればテーマはちゃんと出てくるという、そういう意味だったのがやっとわかりました。人間を描くということがいちばん大事だということを。演じる立場としても、そういう気持ちで演じなければならないんだということを教えられました」
香川が若いころに一緒に仕事をした先輩俳優や監督、スタッフ、当時の現場を知る人たちの多くは鬼籍に入っている。そのため、彼女はいま当時を話し伝える役目を担っている。といっても、決して女優を辞めたわけではない。
「みんな、意外だと言うんですけど、喜劇をやってみたいんです。ワァーッて笑うんじゃなくて、何となくおかしい、クスッとしてしまうような楽しい作品をね」
瞳の奥がキラリと光った。
“人間を描けば社会というものが自然と出てくる”という小津監督の教えは、今も彼女の胸にしっかり刻まれている。
〈取材・文 佐々木博之〉
《イベント情報》
6月16日〜22日/新宿ピカデリー
6月23日〜7月7日/角川シネマ新宿
7月6日〜12日/なんばパークスシネマ
7月13日〜26日/ミッドランドスクエアシネマ
8月10日〜23日/神戸国際松竹にて
小津安二郎生誕115年記念企画『小津4K 巨匠が見つめた7つの家族』が開催